最終更新時刻:2009年11月28日(土) 10時00分
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ゲーマー世代は上の世代から見ると「異常に生意気」?

公開日時:
2004/11/08 09:07
著者:
umeda

11月1日の本欄「ゲーマー世代の若者といかに付き合うか」へのトラックバックが面白かったのでご紹介しよう。

このエントリーでは、最近出版された「Got Game: How the Gamer Generation is Reshaping Business Forever.」という本の著者インタビュー記事を取り上げた。この著者は、「1970年生まれ以降の人々」を「ゲーマー世代」ととらえる。正直に言うと、僕は昔から全くゲームをしない。だから、この記事を読んでも、ゲームが性格にもたらす影響みたいなことについて、自分の経験に照らして考えるということができなかった。だから逆に、ご紹介した著者の主張に対する読者の方々からの反応がとても楽しみだった。

「Unforgettable Days」からいただいたトラックバック「「ネット世代論」には、ある種の真実があると考える」は、長文の考察がとても面白かった。

前エントリーでは、この「Got Game」という本のテーマの要約に近い文章を9項目に分け、

「(1) ゲーマー世代は、他社や他者を「(ゲームの)プレイヤー」と見なす。

(2) ゲーマー世代は、(ブーマー世代に比べて)、より競争的で、「勝つ」ことへの執着が強い。

(3) ゲーマー世代は、想像し得るどんな問題を解くことに対しても、より楽観的で断固としている。

(4) それは、ゲーマー世代が、成功にたどりつく解(行動の組み合わせ)が常に存在すると信じているからだ。

(5) そのことが、ゲーマー世代を、ものすごく創造的な方向に動かしている。

(6) ゲーマー世代は、企業のリーダーに対して不審を抱いている。

(7) ゲーム世界は階層構造を重視しないし、ゲーマー世代は、自らに対してものすごく自信たっぷりなのだ。

(8) 起業家のように、ゲーマー世代は、成功・失敗は、自分の能力次第と考える。

(9) ゲーマー世代は、(ブーマー世代と比べて)、リスクを取ることになじんでいるが、無謀ではない。」

とまとめたが、その部分について「個人的には、もうちょっと変化させたいところです。」と、以下のように考察される。

敵/味方の二項分類的発想

  • (1)と(6)から「他社や他者を敵キャラと味方キャラに分類して理解する」と統合したいところです。
    つまり、協力できる相手か潰すべき相手かのいずれかで判断することから、対立関係にある他社/他者と落とし処を探ることに対しては苦手であると言えると思います。そして、この特質は(2)へと結びつきます。つまり「妥協」ではなく「勝敗」に執着するのです。
  • 勝敗に執着した結果として「敗者に対して断固で容赦ない態度を採る」と言う傾向も挙げられそうです。
    自分以外の敗者は「プレーヤー」です。取替えの効く存在です。味方であろうと敵であろうと、負けたのであればゲームから「退場」して欲しいと言う想いだけです。ですから、「企業の社会的責任としての雇用維持」などについては、ほとんど理解が及びません。
  • (4)は(3)に対してだけでなく(7)にも影響しているでしょう。「『こうすれば上手くいくはず』と言う論理的結論に絶対的な自信がある」と言うことです。
    その一方で、論理的結論にしがみつく傾向があるために、その通りに進まないと「シナリオ」に原因を求めてしまう。つまり、現実世界で「シナリオ作成」に相当するのは企業や国家のリーダーであったり法律であったりします。そこに原因を求めた結果、より(6)の特質が強化されることになります。
  • そして、この「Unforgettable Days」氏の結論は、

    「この「敵/味方」と言う二項分類的発想が、ゲーマー世代・ネット世代を特徴付ける鍵と言えそうです。結果、「妥協」や「落とし処」と言う考えが生まれにくいのでしょう。」

    となり、「自分の論理を絶対的な解答と信じる様子」、「自分が勝利すると言う自信・楽観論」、「敵への容赦ない対応」といった特徴を理解すると、「ゲーマー世代」への理解が深まると主張される。そしてその論に立って、昨今の日本での議論、たとえば「音楽の著作権問題」などの議論における特徴を例として挙げておられる。

    ネットがゲーマー的価値観を広げる

    また、こうした「ゲーマー世代」の「「敵/味方」二項分類的発想」は、ネットによっても助長されているという。パソコン通信までは参加者数が限られていたネットの世界が、インターネットの登場によって「無限大」に広がったことで、その傾向がぐっと強まったのだと。

    「それまで出会っていた人間と比較すると無限大とも思える人数とアクセス可能なインターネットの世界では、1つの価値観を共有する人たちでコミュニティが形成されていきます。つまり、無限大の価値観がある中で、特定の1つの価値観だけが純粋培養されていくコミュニティができてくるわけです。

    この単一価値観のコミュニティから見ると、その価値観と対立する存在はコミュニティにとっての敵になります。離れた存在であれば問題ありませんが、接点を持てば、純粋性が失われる可能性があるので必死に自分たちの価値観を守るために相手を攻撃して撃退しようとします。

    インターネット上のコミュニティを見て気付くことは、当初、「異文化コミュニケーションができる」ことが魅力とされていたにも関わらず、「同質文化コミュニティに縮退している」現実です。

    パソコン通信のフォーラムなどでも同じ傾向がなかったわけではありませんが、インターネットコミュニティほど、極端ではなかったように感じています。」

    もしこの分析がかなり的を射ているのだとすれば、「ゲーマー/ネット世代」が中心になって動く日本社会のある部分は、アメリカのビジネス競争社会(特にIT産業に顕著な苛烈な競争感覚)と、おそろしく似てくることになるかもしれませんね。

    世界最高と言われる人やモノへの情報のアクセス可能性

    あともう1つ面白かったのが、トラックバックをいただいた「0410.jp/memo/ 教科書は読み終わるけれど、人生は続く」の「世代」というエントリーへの「大分の阿部」氏からのコメントであった。

    「俺の思う現世代の違いは、「世界最高と言われる人やモノへの情報のアクセス可能性が高い」ということですかね。

    例えば、野球少年。小学生の時とかは、隣町の身体がでかいやつをめちゃくちゃ尊敬して、ライオンズの選手なんかは神のような存在。
    まあ、みるテレビ的には巨人の選手なんやろうけどな。

    でも、今はテレビでもネットでも雑誌でも、いきなりボンズがみえる。
    ボンズ知ってる小学生、多分かなりいる。俺がハナタレの頃は、メジャーで知ってる選手は、ノーラン・ライアンをファミスタで名前だけ知ってたくらい。
    しかも、メジャーはどうやら世界最高レベルと、大人が言う。

    サッカーでも、いきなりロナウド。
    中田の日記までよめちゃう。

    こうなると、
    ・隣町の身体がでかくてホームラン打つやつへの尊敬の念は薄れる
    ・コーチの言う教えが、絶対でないと思ってしまう
    ・日記とか読めるから、妙に「世界最高」に親近感が湧く
    ・情報は本当に溢れてるのに、結構みつけやすいから、どんどん深みにはまっちゃう

    他にもいろいろ言えるね。
    まあ、上の世代からみれば、要するに、生意気だな。異常に。」

    「現世代」は「世界最高と言われる人やモノへの情報のアクセス可能性が高い」ですか。なるほど、面白い。
    ではまた明日。

    ※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。

    このエントリーへのコメント

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    「世界最高と言われる人やモノへの情報のアクセス可能性」

    の項にある、事象、分かる気がします。
    が。

    ここで展開されている考え方が進展することの、社会的影響というのは、既に現われているのでしょうか。

    世界最高の価値にアクセスすることによって、野球少年がコーチを頼らなくなるのと同様に。
    ・ビジネスマンは、上司や身近な経営層に幻滅し
     世界最高の経営者について語るようになる。
    ・子供は、自分の両親が社会的に大した地位を占めて
     ないことに気がつき、言うことをきかなくなる。
    ・主婦は、うだつの上がらないダンナに幻滅し
     世界最高水準のスターとの疑似恋愛に陥る。
     (あ、これは昔からかも。)

    次には、例えば子供だと。
    ・自分も世界最高水準を目指そうとする。
    ・しかし、そこに至るギャップが激しい
    ・あきらめる
    ということが発生し、ひょっとすると、ニートが
    増えているという現象の遠因となっているのではないかと
    考えてしまいました。

    たやすく手に入る世界最高の情報群は、たすやく現状に
    あきらめを見出す構造も生み出しているのでは・・と。

    身近なお手本を元に、少しずつ自己を向上させていき
    ステップを踏んで能力を上げていたのがこれまででした。
    それが、難しくなるのではないかと。

    情報を統合して知的好奇心を満たすためには、ある程度
    の学力/教育が必要であって、それを得ている大人は
    こういう議論やものの見方を楽しめますが、子供は
    どんな反応を、今後、この情報環境で示すのか気になります。

      sagawata on 2004/11/11

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    すみません、先ほどのポスト、htmlが使えないのを知らず、リンクが無い状態でした。下記の佐々木氏のblogに触発されたものです。
    http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/5ce555962d2fecb9531d1a44535dcf18
    ひろゆきとライブドア社長の共通項って?

      hengsu on 2004/11/08

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    今回の話は、何だか、<a href="http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/5ce555962d2fecb9531d1a44535dcf18">ひろゆきとライブドア社長の共通項って?</a>を彷彿とします。
    どちらも、成功体験を語る人に多いタイプなのかなと思ってます。傲慢というよりも、実も蓋も無い感じがぴったりでした。

      hengsu on 2004/11/08

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    製造業に勤め苛烈な競争に疲れ、近年のアメリカの傲慢さに強い嫌悪を感じる30後半のリーマンです。
    Unforgettable Daysさんの話は最近読んだ『木を見る西洋人、森を見る東洋人』と似た内容で、ゲーマー世代は西洋人に属するのだなと感じています。
    とするなら、やはり私にとってゲーマー世代は傲慢で認め難い存在ということになります。何故、敵/味方と言う単純な分類で「自分の論理を絶対的な解答と信じ」「自分が勝利すると言う自信・楽観論を持ち」「敵への容赦ない対応」するのでしょう。何故、色々な価値観があることを認めず、そういう人達にも敬意や思いやりを持たず、例え価値観が異なっても妥協点や落とし処を探り協調する道を選ばないのでしょうか。それでは憎しみが深まるばかりで、世界は対立し混乱するだけです。まさにイラク戦争の泥沼化はこれからの社会の泥沼化を暗示しているようで薄ら寒さを覚えます。
    これはネットの中の文字ばかりに躍らされ、面と向かって相手の目を見、呼吸を感じて相手の気持ちを掴む、自分の気持ちを伝えるというコミニュケーションの基本が出来ていないからでしょう。そしてコミニュケーションのないところに相互理解など求める術もありません。

      taro on 2004/11/08

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