sameo(友人)のダイアリーを読んでいたら、「「サロンに改革者はいない」に触発されたネット世代論」というエントリーに出くわした。最近の野球新規参入問題をめぐる新聞論説に対する感想として書かれたもの。そこで、楽天の三木谷社長、ライブドアの堀江社長の7歳の年齢差に着目し、
「 三木谷は38才。堀江は31才。Mosaicがネットで公開された1993年に二人は27才と20才。日本興業銀行の行員と学生と二人のおかれていた立場はずいぶんと異なる。
つまり私の中で、概ねネット世代かそうでないかは1993〜1994年時点で20〜24才であったかそれ以上であったかということで判断される。つまり分水嶺は1969〜1974年生まれ、今年30〜35才ということになる。」
と彼は書き、2人をめぐる新聞論説に、若干の違和感を表明している。
以前も本欄でネット世代論については書いたけれど、「証明せよ」と言われれば困るが、僕もsameoと同じく、1970年生まれ前後のあたりに、何か明らかな分水嶺があるように感じている。ちなみに、Google創業者の二人は1973年生まれ。sameoの議論をあてはめれば、「Mosaicがネットで公開された1993年」、彼らは20歳の学生であった。
1970年代生まれ以降の米国ゲーマー世代の分析本
さて、今日ご紹介するのは、HBS Working Knowledgeの「Managing the Gamer Generation」という記事である。最近出版された「Got Game: How the Gamer Generation is Reshaping Business Forever.」という本の著者インタビューである。
この本も、やはり「1970年生まれ以降の人々」というところで線を引くのだが、ネット世代という表現ではなくゲーマー世代と表現する。
「They are different from you and me, this generation born after 1970. They grew up with a finger on the keyboard and an ear to the cell phone, and in a world where the forces of globalization have broken down national barriers like no time in history.
And right now this group is moving up in the business ranks, becoming managers, partners, and eventually CEOs. Chances are you manage employees from this generation, and it's not far-fetched to believe you may yourself be managed by them before you check out of your career.」
冷戦構造が崩れた1980年代末にまだ20歳にもなっていなかったゲーマー世代が、ビジネス世界の視界に入ってきたわけで、Googleの創業者ばかりでなく、CEOになる連中まで出てきている。
先週月曜日にご紹介した、ワールドシリーズを制覇したBoston Red SoxのGM(30歳)、Theo Epsteinも、この本が定義するゲーマー世代ということになる。本の読者に対して、「あなたがたが引退する前に、この世代の連中の下で働くことになるかもしれないから、この世代の連中の特徴をよく知っておいたほうがいいですよ」というような売り言葉も用意している。
たかが世代論であるが、されど世代論。まぁ軽い気持ちで読んでみましょうか。
ゲーマー世代と上の世代の違い
インタビュアーは、
「You draw a distinction between the baby boom generation, who viewed gaming as a diversion, and the gamer generation, who grew up with games as part of their culture. What is important about this difference?」
という問いから始める。アメリカのbaby boom generation(ブーマー)というのは結構広くて、「1946年生まれから1964年生まれ」の間ということになっている。つまり、2004年現在時点で39歳から58歳なのだから、アメリカ・ビジネス世界の中心で現役で活躍する人たちは、ほぼ皆このブーマー世代である。
「This has created massive differences in perceptions about how one looks at the world—how to approach challenges, evaluate risk, and manage other people.」
ゲームの進化とこの世代への浸透は、「世界をどう認識するか、つまり、どうチャレンジに立ち向かい、どうリスクを評価し、どう他者をマネージしようとするか」という点で、上の世代との間に大きな違いを作り出した、とこの本の著者は言う。
「They see the different companies—and maybe the people they work with—as "players." They're way more competitive and are very passionate about "winning." They are both more optimistic and more determined about solving any kind of problem you can imagine; they think there's always going to be some combination of moves that will result in success. That drives them to be incredibly creative. They're a bit suspicious of company leaders: The game world is not big on following hierarchy. Plus, they are very confident. Like entrepreneurs, they would rather rely on their own abilities to succeed or fail. They're also more comfortable with risks, but aren't reckless.」
この部分が、この本のテーマの要約に近いと思うが、
(1) ゲーマー世代は、他社や他者を「(ゲームの)プレイヤー」と見なす。
(2) ゲーマー世代は、(ブーマー世代に比べて)、より競争的で、「勝つ」ことへの執着が強い。
(3) ゲーマー世代は、想像し得るどんな問題を解くことに対しても、より楽観的で断固としている。
(4) それは、ゲーマー世代が、成功にたどりつく解(行動の組み合わせ)が常に存在すると信じているからだ。
(5) そのことが、ゲーマー世代を、ものすごく創造的な方向に動かしている。
(6) ゲーマー世代は、企業のリーダーに対して不審を抱いている。
(7) ゲーム世界は階層構造を重視しないし、ゲーマー世代は、自らに対してものすごく自信たっぷりなのだ。
(8) 起業家のように、ゲーマー世代は、成功・失敗は、自分の能力次第と考える。
(9) ゲーマー世代は、(ブーマー世代と比べて)、リスクを取ることになじんでいるが、無謀ではない。
何だか、凄い褒め様である。
ゲーマー世代は「resilient」
そしてさらにゲーマー世代への賛辞が続く。
「Gamers are also resilient. They know failure is survivable, because they have each failed literally thousands of times on the way to whatever success they have had with games.」
Resilientという言葉は、911直後のアメリカで耳にたこができるほど聞いた言葉の一つであるが、何か衝撃的な出来事が起こった後の回復力の強さを意味する言葉。
僕自身、アメリカで暮らして10年、このResilienceをどう自分の身につけるかというのは、いまだに優先順位の高い、永遠とも言うべき課題である。そんな大切な能力が、ゲームをやっているゆえに、「彼らは失敗してもサバイバルできることを知っている」なんてことで身に着くものなのでしょうかねぇ。そういう感想を持ってしまうこと自身が、もう世代論特有の罠にはまっているということなんだろうな。
ゲーマー世代との付き合い方
ままいいや。もう少し読んでみよう。
「Today's work environment is largely about team performance. Aren't gamers loners?」
という質問(つまりゲーマー世代は人と付き合うことがうまくないから、チームで働かなければならない実世界でどうなの? という背景の)に対して、
「This is one of the huge points creating the generation gap. Gaming is actually much more social than boomers understand. A lot of it is very social, done with friends, and now increasingly, over the Internet. Maybe as a result, gamers really value other people—more than people who didn't play games growing up. They also firmly believe in a team environment.
But they're not egalitarians—they believe someone should lead, they are generally happy to do it, and they have more skills than other people their age, more fluency with different leadership styles.」
そういう質問をすること自身、世代ギャップを感じますねぇ、というのが著者の感覚。ゲームはより社会的になっているから、新しいタイプのリーダーシップもゲーマー世代には身についている。
ゲーマー世代の労働倫理について質問者が疑念を示すと、著者はこう反論する。要は、使い方次第なのだよと。
「We've heard those complaints. But what we found, to our surprise, is that gamers actually care about the companies they work for more than non-gamers. That may not always show, especially if you're using boomer standards. The secret is, gamers love a challenge and if properly motivated will rise to the occasion. They want to be respected and they want to earn that, but gaming hasn't given them a lot of appreciation for doing things "just because." So it's smart to get them excited about the goal. Make the work mean something to them.」
このへんになってきて、ようやく、この本がどういう性格の本なのか、という著者の意図が見えてくる。
好むと好まざるとに関わらず、上の世代にとってやや理解不能な一群の若者たちがビジネス世界に現れて来つつあるアメリカ。この本は、上の世代(いまのマネジメント層)が、若い世代をおだてあげて、木に登らせて、うまく利用するにはどうしたらよいかを考えるための材料を提示するものなのである。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
谷村 正剛 on 2004/11/05
ある意味、と学会推薦の「ゲーム脳」っぽい話題ですね。
その70年前後世代と彼らの親の1日の行動内訳及び各行動の内容と環境を20年ぐらいトレースしないと、ゲームな性格判断とそれの応用(「Managing the Gamer Generation」はHowtoものを示している?)に終始するぐらいで面白味が感じられないです。
成長過程での環境と個人の間の因果から視る世代の傾向は、ゲーム世代とそれより上の世代の関係同様に、ゲーム世代とそれより下の世代を視る時に面白そうです。こういうのは観る人の主観・価値観(世代観?)が入りやすくて今までの世代間論争のような不毛なもの(ギャップから視るのは役に立つけど、それすらなくなる始末)になってしまいがちなので、もうそろそろ定量的なアプローチの資料が出てこないかなと。
#私はゲーム世代ですが、単純なルールの中のゲームの複雑さを味わえるゲームが消失、マンハッタンシェイプ以来の作ることの楽しさの経験から、今は興味無いです。時間を潰すにしても、他に楽しい事があるし。そういう「時間の消費の内訳の変化」もあって、「上の世代」になる身としては興味ある話題ではあります。
ポク on 2004/11/01
世代論再び? という感ですが、実は「人間の間の理解断絶」は「世代」よりも単純な理由で説明できるのではないでしょうか? 先日、とある国を旅した時のことですが、現地で知り合いになった人(日本人ではない40代ぐらいの人、日本ならPCを使わされていてもおかしくない年齢)と住所を交換した時、こんなやり取りがありました。
私「メールアドレスは持ってます?」
彼「PCは持っていないんで...」
これだけでも、もし私が「PC持ってないなんてダサいじゃん」なんていってしまえば、そこであっさりケンカ別れになります。実際にはそんなことは口にせず、「じゃあカードを送っておくから」と伝えておきました。付き合い方の工夫だけで、ケンカになるか、知り合いを作れるかどうかが決まる、ただそれだけです。年齢は関係ありません。たとえ、相手がteenの子供だったとしても、このやりとりは再現可能でしょう。
先の世代論に対する反論はいろいろありましたが、世代や年齢が支配的な要因でないことこそ指摘されているものの、これをもって理解の断絶は存在しないという結論を導き出している人があまりにも多くて辟易しました。たかがPCを持っているかいないかという二択の表層事実ですら、理解の成否を支配してしまうことがあるのです。その点では、ゲーム「世代」というのも表現が大げさで、単に「ゲームをするかしないか」という程度の差ではないのでしょうか? ネットだってやっている人もいればやっていない人もいる(先の人はPCを持っていないのだからネットを使うことなど論外)わけですし、ブログも2ちゃんねるもソーシャルネットワークも使う人がいれば使わない人もいる、知っている人がいれば知らない人もいる、それを前提にして行動せよ。ただそれだけのような気がします。
"The why of this book cannot, and need not, be put into words. Those for whom a child's mind is a sealed book, and who see no divinity in a child's smile would read such words in vain; while for any one who has ever loved one true child, no words are needed. For he will have known the awe that falls on one in the presence of a spirit fresh from God's hands, on whom no shadow of sin, and but the outermost fringe of the shadow of sorrow, has yet fallen; he will have felt the bitter contrast between the selfishness that spoils his best deeds and the life that is but an overflowing love." (Mr. Dodgson)
谷村 正剛 on 2004/11/01
このゲーマー世代の若者というのは日本の場合はどのくらいの年齢を指すのでしょうか?そんな疑問がわいてきました。私は1980年生まれなのですが、私の成長過程の中で大きなゲーム業界における変革を巻き起こしたものがあります。それは「ファミリーコンピュータ」でした。この画期的な発明は1983年です。丁度、1980年世代は小学生低学年時代に触れることができたわけです。このファミリーコンピュータの利用により、我々の世代は仮想空間で遊ぶ機会を得ることになります。これはインターネットブームよりも前の話、インターネットよりも早く仮想世界におけるゲームというものに触れていたのではないでしょうか。そういった意味でも昨今のインターネットを活用したビジネスにおいてこういった早期から仮想世界におけるゲーム感覚を身に付けていた人たちが、それを先導しているようにも感じます。(意外と、みんなファミコンをやっていたということです。)こういったゲームを通しながら、創造性を磨いていった世代なのかもしれないな・・・とふと思いました。(その後の世代は、逆に仮想世界にどっぷりとはまる人が増えてくるわけですが、ここでは敢えて触れないでおきます。)
Deva on 2004/11/01
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あちこちで引用されているゲーマー世代の9点要約ですが、10-year-old ladの気分で読んでいたら、論理におかしな部分があることに気が付きました。"They think there's always going to be some combination of moves that will result in success."まではいいのですが、それに続く"That drives them to be incredibly creative."はなぜそうなるのか分かりません。Creativeではなく、(アルゴリズムでいうところの)"greedy"なら理解できるのですが。
なぜかというと、解の存在に対する確信と、"They are both more optimistic and more determined about solving any kind of problem you can imagine"という態度があるためです。ゲーマー世代の一人間(one)にとって、解が存在するはずなのに見つからないとすれば、彼は理論的に考え得る限りの手法を手当たり次第に(文字通りgreedyに)試すことでしょう。Greedyな手法というのはそもそもアルゴリズムとしては自明なものであり、どこにcreativityが存在するのか分かりません。Creativeでなくても、greedyな手法を用いることは可能なのです。
なお、このcreativeをgreedyと読みかえても、以降の要約(外から見たときのゲーマー世代に対する印象)は変わりません。Greedyな手法で手当たり次第当たっていけば、企業のリーダーもタダの人、内部の構造もフラットになってしまいます。そしていつか解が見つかるという自身が持てます。Greedyの唯一の制約は時間と処理能力で、これを自分の能力と捉えるのはごく自然なこと。Greedyとはいえアルゴリズムに縛られているのだから、無謀なことはできません。また、万難を排して全てを手当たり次第に当たらざるを得ないので、リスクという概念は意味を持ちません。
ゲーマー世代への印象が変わらないにもかかわらず言葉の選択に違和感を感じるので、著者が恣意的に言葉を選択した可能性があります。Greedyと書いておけば、梅田さんが変な疑念を抱くこともなかったのかも知れません。
"Ah!" said Rabbit, who never let things come to him, but always went and fetched them. "Well, the point is, have you seen a Spotted or Herbaceous Backson in the Forest, at all?" "No," said Pooh. "Not a -- no," said pooh. "I saw Tigger just now." (Blue)