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バンガロールは20年前のシリコンバレー

2004/10/22 09:00
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umeda

シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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明日でちょうど10年である。

東京での生活を引き払って、シリコンバレーに引っ越してきたのが10年前の明日、つまり1994年10月23日だったのでした。何とか10年、サバイブし続けてきたわけなので、僕と妻にとって、明日はささやかな記念日である。

僕がシリコンバレーを強く意識するようになったのは20年くらい前のことだ。そして出張でこの地によく来るようになったのは、コンサルタントとしてアップルの仕事をし始めた1989年から、つまり今から15年前だった。20年前のシリコンバレーは、日本でもまだわずかな人たちだけが本気で関心を持っている、という感じの場所だった。

バンガロールでのインターンシップ経験

LegacyFree」という日本語Blogを読んでいて、今のバンガロールというのは、そういう意味で、20年前のシリコンバレーの位置づけにとても似ているのかもしれないなぁ、と思った。意義や存在は知っているが、内実はよく知らない人がほとんどだという意味で。

このBlogの筆者、岩崎将人(Masato)さんは、アメリカの大学への交換留学を終えた直後に、インド・バンガロールのコンピュータ企業でインターン経験をする。今年の5月から9月までのことだ。そしてその経験を35回にわたって、この「LegacyFree」というBlogで書き綴っている。あと数回で完結する。タイトルは「From Silicon Valley of India」(インドのシリコンバレーから)。

「これは私がAIESECという団体を経由してインドのシリコンバレー、バンガロールという街でインターンシップをしていたときの体験談です。そして現在連載しているものはAIESEC向けに書いたレポートを微調整して公向けに再掲載しているものです。全部で1-35話まであります。既に帰国しているので、これはリアルタイムの出来事ではありません。滞在していたのは5月19日から9月1日までです。つまり、この〜バンガロールとオフショア開発〜だけは、今、日本で書いています。それ以外のものはインドでそのときに書いていたものです。書いていた当時は見えていなかったこと、間違っていたことなどを微妙に調整しています。」

というふうにして書かれたもの。冒頭からなかなか面白い。

「Masatoです。空港を去って、車に乗り、バンガロール市街地を通過しました。何から書けばいいのか分からないのですが、まず野良牛がいます。居るとは聞いていたのですが、直に見ると絶句します。白黒の牛もいれば、茶色い牛もいます。また、食べ物や行商のために牛車として働いている牛もいます。飼い主に鞭でたたかれているのですが、「牛は神聖な動物」なんですが、なにか矛盾している気がしました。道路の中央分離帯に牛が座っていたり、そこに生えている草を食べていたり、生ゴミをあさっていたり、私が「Holy Cow!」(英語で「まったくひどいなあ」の意味)というと、「そのとおり、まさにHoly cowよね」とVさんが言っているのですが、言っている私自身がこれがジョークなのか何なのか分からなくなっています。どこにでも牛が座っていたり、歩いていたり、ゴミをあさっていたりしています。」(第2回)

「次に野良犬がたくさん居ます。道路を横断している野良犬も居れば、お店の横で元気なく横になっている野良犬も居ます。地球の歩き方インドに「狂犬病に注意してください」と書いてあった意味がようやく分かりました。Vさんと「ちょっと、野良犬多すぎない?」「あら、犬嫌い?」「いや、好きだけど、そういう問題じゃなくて・・・。」「彼らはとてもフレンドリーよ、でも隣に立っては駄目、危ないから」「なんか言っていることが矛盾してないか・・・」と、いった会話がありました。普通に犬として飼われている犬も居て、散歩していたりするのですが、あまりの野良犬の多さにどれが飼い犬なのかちょっとわからない状態です。寝ている野良犬のあまりの無気力な顔に(日本でこれほどの無気力さを私は見たことがありません)、心が痛んでいます。そして野良馬が居ます。競走馬とまでは行かないものの、かなりの大きさです。ゴミをあさっていました。「誰かの飼い馬なのでは」と思ったのですが、「ちがう」と言われてしまいました。」(第2回)

「混沌としたインドの夜の路上を、今日始めて会った人の後ろでヘルメットをしないで2人乗りしている自分に笑えて来ました。彼はパフォーマンスとして手放し運転をしたりもします。バンガロールの道路には「ジャンプ台」があります。道路が突然、隆起しているのです。なぜか聞いたところ、「みんなここでジャンプしないように速度を落とすから、これがカーブの前にあると、交通事故が減るんだ。」とのこと。納得していいのかどうか分からないのですが、今はとりあえず納得しておきます。彼は慣れているので、わざとスピードを出すので、私の下半身はジャンプ台で浮きました。」(第3回)

ユーモアも文才もあるし、ひとつひとつのことに真摯に取り組んでいるのがよくわかり、何よりも、若さと勢いがある。面白い箇所を引用していたらキリがないほどである。

オフショア開発の課題

第4回からインドでの彼の仕事経験に入っていく。彼はソフトウェア開発をインドに発注する日本企業と、それを受注するインド企業の間で起こる課題や矛盾を、現場の目線で、しかも独立した第三者として経験していくのだ。いきなり彼は、日本企業からインドに発注された仕事の担当マネジャーが辞めてしまうという問題に遭遇したりする。

「内容をまとめると「日本側のインドへの期待と要求がわからない。こちらに開発をさせるのなら、開発以降のプロセスに関しては対応できる。基本設計をさせるのなら、基本設計以降のプロセスに対応できる。VISIONがわからない。インドの位置づけ、今後の方向性、どれほど力を入れていくのか、それが明確に伝わってこないから、人が去っていく。全体像をこちらにも教えて欲しい。日本側にそれを伝えて欲しい。」と、まとめるとこのような感じです。確かに、いわゆるOffshoreを考えたときに、個々人のモチベーションの維持、会社としてのモチベーションの維持は特にむずかしい問題と思われます。話を聞いてみると、確かに「将来的には日本に行って仕事をしたい」と思っている人もいるようで、Offshoreとして一体どういう方向性をもって行くのかが重要なのかと言うことが分かってきました。」(第4回)

「日本では残業や土日出勤ということも平気で出てきますが、インドでは異なります。以前にも言いましたが、インドの方々は生活することや生きること、人生観に対して強いものを持っています。周りに聞いてみると、「俺は会社の機械じゃない」とのこと。自分の余暇や家族を大切にし、如何に生きるかについて深く考えています。お金を積まれても、残業や休日出勤はしたくないという考え方が一般的なようです。」(第21回)

新しい日本と古い日本

また生活の描写や日本についての感想もいきいきしている。たとえば、インドのコミュニティにどっぷり浸かった生活をしたあとにたまたま参加したバンガロールでの日本人会のパーティの場面で、彼が痛切に感じる違和感は、こんなふうに表現される。

「バイキング形式の食事の列に並び、中国人のDさんに気を使い英語を使いつつ、回りを観察します。本当に10ヶ月ぶりに見る日本人の群集です。明らかに「外から日本人を見ている感じ」です。たこ焼きと焼きそばを食べ、懐かしいなあと思っていると、新しい会員の自己紹介が始まりました。ひとりひとり「XXX社から参りました。隣は妻です。隣は子供です。よろしく御願いします」と前に出てマイクに向かって言っています。既に私は違和感をかなり感じていました。その後、20人くらいの方々が歌を歌うとの事。「スバル」「川の流れのように」「サライ」このあたりの歌を50−60代の方々が合唱しています。Y君に「い、いったいこれは何なんだ・・・」と質問すると、「きっと彼らが支援金みたいのを出しているから、その顔を立てるために歌ってもらっているんだよ」とのこと。これを日本に今いる方は不思議には思わないのでしょうか?私は耐え切れなくなり、周りのインド人スタッフに「これ、おかしいと思わない」「いや、大丈夫ですよ、サー」「いや、俺はおかしいと思うんだ、気を使わなくていいよ」「(苦笑)」といった感じでした。さらに耐えられなくなり見てられないのでトイレに行きました。」(第15回)

新しい日本と古い日本が、この描写の中でくっきりと浮き彫りになっている。

アメリカのオープンさと特殊性

また留学先だったアメリカのそのオープンさについて、

「私がこの大学で勉強するにあたり、まず最初に気づいたことは「多様性」と言うことでした。アメリカ内陸部北側に位置しているので、州全体の白人の割合は9割以上です。しかし、大学内の割合では、それ以外の人種が数多く見られました。私のコンピューターサイエンス科では、特にそれが目立ち、インド人、アラブ人、中国人、韓国人、マレーシア人、ヒスパニック、黒人、と、取る授業によっては半分以上の学生がそれらで占められていました。この中で、非常に強く感じたことは、全ての人間が公平な立場で競争をしているということです。」(第29回)

「私がこの正規交換留学を通して、もっとも感じたことは、やはり多様性を認めること、お互いがお互いの文化や思想を尊重すること、そして機会を均等に与えられ、同じ条件の下で、競争することが出来ると言うことでした。」(第29回)

こんなふうに評価しながらも、そのあとにインドに行った彼は、アメリカをこう相対化する。

「もう一点いえることは、アメリカ人のトレイニーはインドに居ません。一人居ますが、彼女は中国で生まれてそれからアメリカにわたったタイプです。バンガロールに40人以上ものトレイニーが居ながら、アメリカ人が居ないのです。何を言いたいのかというと、アメリカ人は外への視野が非常に狭いと思うのです。実際、私らの年で国外旅行に行ったことがないという人はアメリカでは非常に普通です。もし行っていたとしてもカナダかメキシコ、それだけという場合が多いです。問題はそれだけではなく、アメリカ国内からは国外の出来事に関しての関心が非常に薄いです。」(第30回)

「アメリカという国は本当に特殊な国です。そして、日本も非常に特殊です。日本の特殊具合、日本人の特殊具合は、かなり高いと思います。ものすごく異質で不思議な国民性です。ニュースなどで知っていても、その国に実際に入ってみないと分からないことがたくさんあります。そして、後から、その国を外から見直してみないと分からないこともたくさんあります。将来、3つ以上の国と関係を持つことが、視野を広げ続けることの手助けになると思うので、そこからもう一度、見つめ直してみると色々と見えてくると思います。」(第30回)

他にも、日本出張に行くインド人たちの準備の話、彼のインドでの生活や旅、インドで考える日本やアメリカ、などを読み進めていくうちに、教えられること、考えられさせられることがとても多かった。

先進国ではない未知のフロンティア

僕が学生の頃には、今北純一さんの「孤高の挑戦者たち」のような、欧米先進諸国でのビジネス経験や留学経験を日本に伝える本をたくさん読んで、衝撃を受けたり、あこがれたりしたものであるが、もうそこには「未知のフロンティア」のようなものはほんのわずかしか残っていない。先進諸国は、日本人にとって「未知のフロンティア」ではなく「既知の世界」になったのだ。

「既知の世界」でキャリアを積むことに飽き足らない人にとっては、本欄10月1日「IT世界市場は「次の10億人」争奪戦へ」で議論したような、インドを含めた「次の10億人」世界にこそ、次世代の全く新しい、そしてけっこうワイルドなビジネス・フロンティアが開いているのだな。岩崎将人さんの「LegacyFree」「From Silicon Valley of India」連載を読んで、時代の流れについて、そんなふうに思った。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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