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「ビジネス・ジャーナル」と「ジャーナル・アカデミー」

2004/08/17 09:44
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umeda

シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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夏休みに「学者の値打ち」(鷲田小彌太著、ちくま新書)という本を読んだ。

特に、その第7章が「ビジネス・オピニオンとアカデミズム」という内容で、たいへん勉強になった。

ジャーナリズムとアカデミズムの新種の対立項

著者は、「もともと思考法も文体もはっきりと異なると考えられていたアカデミズムとジャーナリズムにおける文体の差がはっきりしなくなった」という現代の特徴を示した上で、その理由をこう述べる。

「アカデミズムとジャーナリズムの文体に違いがなくなって、当然である。独立自存するアカデミズムが事実上崩壊したからである。通常世界から超越したような特別な「象牙の塔」などというものは、無用の長物に化しただけではない。そこに棲息する人間を完全に自家中毒で消滅させつつあるからだ。つまりアカデミシャン固有のものといわれて、後生大事にされた文章なぞ、自称アカデミシャン(自家中毒患者)以外は、読まなくなったのだ。呪文の類になったのである。」

そして、それに代わって生じた「ジャーナリズムとアカデミズムの新種の対立項」として、ビジネス・ジャーナルとジャーナル・アカデミーという概念を提示する。前者(ビジネス・ジャーナル)の担い手として、長谷川慶太郎、堺屋太一、大前研一、山本七平を並べ、後者(ジャーナル・アカデミー)の担い手として、森嶋通夫、佐和隆光、加藤尚武、岩井克人を並べ、その両者の「あり方の違い」を、この本のこの章では詳述している。

著者には、かつて「ビジネス世界は知的レベルがいちだんと落ちる世界である、とみなされてきた」けれど、「今はビジネス世界がトータルになった」から、このビジネス・ジャーナルとジャーナル・アカデミーは、並置してきちんと議論されるべきものだという問題意識がある。

ビジネス・ジャーナルのあり方

この章の大半を割いて解説されている「ビジネス・ジャーナルのあり方」を、僕なりに引用・要約すると、以下のようになる。

(1) 固有な「理論体系」=理論型をもたず、理論なるものを拒否する。「理論」を意識的に拒否するのは、先例のない事態や最先端の事柄を、つまりは変化する現在と近未来を、常に分析の対象としているからだ。ただ、理論的なものをもたずに分析したり認識したりすることもまたできないので、動きのとれない「理論体系」なるものは拒否する代わりに、フットワークの軽いアイデア、キーワード、テーゼをとても重要視する。

(2) 時代が異なり、対象領域が異なり、問題領域が異なれば、それを分析する方法、分析結果を論じる叙述の仕方が変わると考え、「先例」や「経験」に多くを学ぶ、というスタイルを取る。「過去」にはなかった「現在」の新要素が、近未来の傾向を決定する因子である場合、手持ちの理論で分析することは不可能であると考える。

(3) 鋭い現実感覚。つまり時代の「空気」を一瞬に読みとり、一語で要約する眼力。はじめに理論ありきではなく、新しい現実を前にして、その核心部分を鷲摑みするような洞察力。別な言葉でいえば、直感力であり、「動物的勘」。こうした現実感覚を核心におく思考を展開する。現実が変われば、当然、依拠すべきアイデア、キーワード、キーフレーズを変える。

(4) 「現在」の最も不確定要素に満ちている部分を扱うから、判断や予見は、間違うことを避けて通ることはできない。重要なのは、誤らないことではない。誤ったと分かったら、その誤りを合理化するためにじたばたするのではなく、修正すること。自分の判断ミス、思考ミスを修正することだ。

ジャーナル・アカデミーのあり方

一方、「ジャーナル・アカデミーのあり方」は次の通り。

(1) 理論信仰ではないが、理論的思考で首尾一貫しようというスタイルを取ろうとする。

(2) 新しい現実が、古い理論でもって裁断できないという、歴史的、社会的文脈のなかで、理論を処理しようという作法をとる。つまり、新しい現実の中で、旧理論の有効性、無効性を綿密に検討しながら、現実に見合った理論構成をめざすという行き方。特定の理論体系に殉じはしないが、蓄積された理論的富を再構成するような仕方で進もうとする。新しい現実を読み解くばかりでなく、その新しい現実を読み解くための概念装置=理論構築を常にめざす。

この「英語で読むITトレンド」という連載をCNET Japanで始めてからそろそろ1年半が経過する。

そもそもこんな連載を始めようと思い、今も続けている理由は、IT産業やITの意味についての「ビジネス・ジャーナル」領域(この本の定義するところの)にカテゴライズされるべき「質の高い断片」が、もともと英語圏に存在する「雑誌・新聞コンテンツの無償ネット公開」という流れに、Blogブームが重なったことで、圧倒的なボリューム感でネット上に溢れ出したことを、ITに興味を持つ日本の若い人たちに知ってほしいと思ったからである。

「ジャーナル・アカデミー」(この本の定義するところの)の流儀でIT産業やITの意味を論ずるのは、学問的なバックグラウンドを持った一流の学者にしかできない仕事だ。そしてそれも、おそろしく時間のかかる研究の結果できあがり、時間遅れが生じるものであろうから、ネットやBlogというメディアには向かず、論文や本という形態で、かなり時間がたってから発表されるべきものだろう。

Howard Rehingoldに見るビジネス・ジャーナル

BusinessWeek誌「Howard Rheingold's Latest Connection」という記事は、「ビジネス・ジャーナル」と「ジャーナル・アカデミー」という2つの概念を考えるいい題材になるかもしれない。

このインタビューの中で、きらっと光る「ビジネス・ジャーナル」的な断片を拾ってみれば、次の部分になると思う。

「Where do you see the social revolution you've been talking about going next?」という質問に対してHowardが答えている部分、つまり

「Some kind of collective action...in which the individuals aren't consciously cooperating. A market is a great example as a mechanism for determining price based on demand. People aren't saying, "I'm contributing to the market," [they say they're] just selling something. But it adds up.」

から始まる回答部分と、続く「Can you give me some specific examples of what you mean, beyond the market?」という質問に対する

「Google is based on the emergent choices of people who link. Nobody is really thinking, "I'm now contributing to Google's page rank." What they're thinking is, "This link is something my readers would really be interested in." They're making an individual judgment that, in the aggregate, turns out to be a pretty good indicator of what's the best source.」

で始まる回答部分をぜひ読んでみてほしい。GoogleとオープンソースとAmazonという3つの最新事象のエッセンスをうまく切り取って、彼なりの言葉にしている。それは間違いなく「ビジネス・ジャーナル」の「質の高い断片」といっていいと思う。

しかし、その次の「What will all those trends produce ultimately?」という質問に対する

「All these could dramatically transform not only the way people do business, but economic production altogether. We had markets, then we had capitalism, and socialism was a reaction to industrial-era capitalism.」

で始まる回答部分は、本来「ジャーナル・アカデミー」の深さをもって論じられなければならない内容が、「ビジネス・ジャーナル」の軽さで論じられているために、読後に浅薄だと感ずる人も多いだろう(特に、学問的教養の深い人は、「ビジネス世界は知的レベルが落ちる世界」だなやっぱり、と思うかもしれませんね(笑))。ただ、この部分が浅薄だからといって、1つ前の回答が「ビジネス・ジャーナル」として「質の高い断片」であることまで否定されるべきではなかろう。

ネット上の言説のあり方

わざわざカネを出してまで読む雑誌の場合、その雑誌の特質と読者層の前提がある程度整合が取れていて、しかも編集という付加価値があって交通整理ができているが、ネット上の言説の場合、そのあたりが混然としている。それゆえに、誤解が生じやすく、噛み合わない議論が頻発する代わりに、さまざまな知が交錯して刺激的でもある。

この「学者の値打ち」(鷲田小彌太著、ちくま新書)という本の、「ビジネス・ジャーナル」と「ジャーナル・アカデミー」という概念の解説を読み、ネット上の言説のあり方を考えていく上でのいいヒントを得たような気がしたので、以上、その感想を書いてみた次第である。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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