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GoogleのIPO申請、そのやり方に異議あり

2004/05/04 09:29
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シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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連休前の3日間、石黒邦宏さん、ゲストブログ、どうもありがとうございました。たいへん好評だったので、また近いうちにお願いしたいと思います。

さて、連休中はGoogle株式公開の話題で盛りだくさんであった。既に厖大な量の記事やBlogが書かれているので、詳細はそちらに譲りたい。

結論から言う。僕は、この株式公開計画のままGoogleがIPOすることには反対である。

公開後時価総額や調達資金の総額がどうなるとか、その結果誰がどのくらいリッチになるとか、競売方式でのIPOだと入札が殺到するだろうか(注記: 本欄4月23日「LOOP連載を終えて - シリコンバレーの重鎮が考える未来」の中で、「GoogleはオープンIPOを採用しなかった」と書いた部分は誤った推測であった。連休中だったため手早く訂正できなかったことを、ここにお詫びしたい)とか、そういうことはどうでもいい。ルールの許容範囲にあることだと思うからだ。

Googleのコーポレートガバナンスに問題あり

問題の本質は、公開後のコーポレートガバナンスにある。2人の創業者が、一般の普通株に比べて強い議決権を持つ別種の普通株を保有し続ける構造をGoogleは提案しているが、これは許容すべきではない。そして、もっといえば、その背後にあるGoogleの唯我独尊的経営思想に危険を感じ、深く懸念する。株式公開という重要なターニングポイントにおいて、その点を、きっちり創業者たちにわからせておかなければならない。

僕は、Googleというベンチャーは物凄いことを始めた会社だと、深い敬意を抱いている。だから本連載開始時から、過剰なほどにGoogleについて取り上げてきた。「テクノロジーとその事業化」に関していえば、Googleが1998年から2004までの間に成し遂げた達成は、シリコンバレー史上最高と言って間違いない。しかも、主観的ではあるが、これほどまでに「美しい」新事業創造というものを、僕は他に見たことがない。

しかし、その延長線上で、「公開企業の経営」を考えてはいけない。責任の重い「公開企業の経営」を甘くみてはいけない。創業者たちは、おごってはいけない、調子に乗っちゃいけない。

IPOで普通の会社に生まれ変わるのがバレーのルール

ベンチャーが公開企業になるというのは、広く一般の人を巻き込んで資金を調達する代償に、「リスクを承知した身内だけですべてを按配できる」経営体制(Google A)から「透明性の高い」経営体制(Google B)に生まれ変わり、その結果として「より良い」経営が指向され、社会全体にプラス効果を及ぼすこと、それが事の本質である。

しかし、創業者たちは、Google Aのままでの株式公開を企図して、異例の資本構造を導入しようとしている。2人の創業者が株式公開したくないと言ってごねているという噂はずいぶん前から聞いていた(本欄4月13日「回復ぶりをしめすシリコンバレー企業150社」)が、ごねた結果がこれだったとは愕然とする。ボードメンバーが、これまでのルールを破るこんな異例な資本構造を導入したいと望むわけがないから創業者の無理が通った結果に違いないが、こんな案を是認したボードも腰抜けだと思う。

SECへの申請書類の中の、「Google創業者が、将来の一般株主に宛てて書いたレター」("An Owner's Manual" for Google's Shareholders)における

「We are creating a corporate structure that is designed for stability over long time horizons. By investing in Google, you are placing an unusual long-term bet on the team, especially Sergey and me, and on our innovative approach.

We want Google to become an important and significant institution. That takes time, stability and independence. We bridge the media and technology industries, both of which have experienced considerable consolidation and attempted hostile takeovers.

In the transition to public ownership, we have set up a corporate structure that will make it harder for outside parties to take over or influence Google. This structure will also make it easier for our management team to follow the long term, innovative approach emphasized earlier. This structure, called a dual class voting structure, is described elsewhere in this prospectus.

The main effect of this structure is likely to leave our team, especially Sergey and me, with significant control over the company's decisions and fate, as Google shares change hands. New investors will fully share in Google's long term growth but will have less influence over its strategic decisions than they would at most public companies.」

の部分である。「創業者2人が長期的に経営に関与することを保証することこそが、Googleのため。よってそのために「a dual class voting structure」を導入した。結果として、創業者2人が「significant control over the company's decisions and fate」、Googleの意思決定と運命を構造的にコントロールする。一般株主は「will have less influence over its strategic decisions」、つまりGoogleの意思決定に関与できる度合いが小さくなる。それが長期的に株主のためなのだ」というのが彼らのロジックであるが、ここに問題点のすべてが集約されている。

他にも、短期的な業績予測は発表しないとか、株主は長期的に株を保有するつもりで株を取得してくれとか、身勝手なことばかり書いているが、そういう定性的な問題は、あとから外部のプレッシャーでどうにでもなるから、ここでは取り立てて1つ1つあげることはしない。問題は、資本構造という企業の根幹にあたる部分に、固定的な枠組みを導入することの危険なのである。

世の中というのは、どこかで、社会のルールと折り合いをつけなければならないポイントがある。ベンチャーの場合なら、それが「公開するとき」、というのが常識である。公開した時点で、Google Aは、Google Bに生まれ変わる。その代償に莫大な成功報酬が創業者にもたらされる、というのがシリコンバレーのルールだ。Google Bは、他の公開企業と全く同じような構造で経営される。そのルールを前提に、ごく普通に今Googleは株式公開すべきだと、僕は考えている。「IPOしない」というオプションは、エンジェルやベンチャーキャピタルからリスクマネーを調達して成長してきたGoogleには存在しないわけだし(Google創業者は借金して自己資金でこの事業を立ち上げてきたのではないのだ)、今よりもさらにIPOを延ばせば、問題はより大きくなって先送りされるだけだからだ。

非公開企業と公開企業のいいとこ取りが持つ危険

別の視点からいえば、このたびのGoogle株式公開案は、「非公開企業であること」と「公開企業であること」の両方の「いいとこ取り」を目指す、極めて傲慢なものだとも言える。

たしかに、Googleは「非公開企業の良さ」を活かして、ここまで成長してきた。非公開企業には、一般への情報開示義務はないから、Googleはこれまで秘密主義を貫くことができた。だからこそ勝ってくることができたという思いはあろう。「俺たちは大変な才能を持った集団なのだ、だから短期的な視点にこだわらずに、長期的な視点で俺たちに任せてくれ、悪いようにはしない」と、これまでの実績をもとに、創業者たちが強く言いたい気持ちもよくわかる。

ただ、エンロンが最も直近の例だし、90年代後半に破綻したLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)の例を出してもいいが、「飛び切り頭のいい連中を集めさえすれば、物事はすべてうまくいく」というのは、極めて特殊で限定的な場面でのみ有効な考え方だ(僕は、この考え方自身は決して否定していない。それは正直に言っておく。特に、「最先端テクノロジーの開発とその事業化」という局面ではかなり有効と肯定もしている)。

でも、世の中というのは何が起こるかわからない。逆風が吹いたとき、こういう才能至上主義的発想に基づく唯我独尊経営は、暴走する危険を孕んでいる。非公開企業ならば、暴走した結果クラッシュしたって、その影響は「リスク承知で関わった身内」だけに限定されるからいい。しかし公開企業はそうはいかない。だから「経営の透明性」が、歴史の中でのさまざまな経験を踏まえて、コーポレートガバナンスのルールという形で組み込まれている。そのルールを軽視してはいけないのである。

そしてコーポレートガバナンスのルールの根幹は、どうにもしょうがなくなったら「株主が経営者を変えることができる」ということだ。それをGoogleの創業者たちは、美辞麗句に包んで、徹底的に拒絶している。しかも構造的に。

Googleの社会的責任は大きい

シリコンバレーはほんの少し前に、大きなバブルを引き起こした。その反省期に入って早三年以上が経過した。反省の中には色々な行き過ぎがあって、「その行き過ぎこそが起業家精神を萎えさせている」と強気な発言をする人たちもいることは承知しているが、僕は、このくらいで今はちょうどいいと思っている。そんな中、シリコンバレーの期待は一心に、Googleに集まっている(むろん、それはひとえに、Googleの「テクノロジーとその事業化」のこれまでの達成が素晴らしかったからだ)。仮にGoogleが暴走の末に破綻すれば、シリコンバレーや米国の起業家主導型経済が受けるダメージは、ものすごく大きくなる。そういう意味で、Googleが負っている社会的責任は、創業者たちが想像する以上に、既に巨大なものになっている。

これまでの「公開企業の資本構造のルール」に則って、粛々と株式公開するので、何が不足なのか。

Googleの唯我独尊的経営思想をチェックする機能を、どうしても「株式公開」時に、コーポレートガバナンスの形で、構造的に組み込まなければならない。再度、結論を言う。僕は、この株式公開申請のままGoogleがIPOすることに、反対の意を表明する。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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