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技術者出身の投資家、クライナーがシリコンバレーに残したもの

2003/12/01 10:10
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umeda

シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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Kleiner Perkins Caufield & Byersの創設者、ユージン・クライナーが亡くなった。「Valley start-ups' financier dies at 80」で、彼の生涯を振り返ってみよう。

「Kleiner led seven other engineers to start Fairchild Semiconductor, a company that developed a method of mass-producing silicon transistors -- and helped unleash what some have called a second industrial revolution. After Fairchild, he co-founded the firm now known as Kleiner Perkins Caufield & Byers, and with it launched a style of venture investing homegrown for Silicon Valley that is widely emulated today.」

クライナーは、7人のエンジニアを率いて、フェアチャイルドを創業した。有名なVC・Kleiner Perkinsを創業するのはずっと後のことだ。

シリコンバレー史の原点に、スタンフォード大学の産学協同政策ゆえのHP創業がよく取り上げられるが、シリコンバレーがシリコンバレーらしくなっていくのは、クライナーや、のちにインテルを創業するロバート・ノイスやゴードン・ムーアらが、ショックレー研究所から飛び出してフェアチャイルドを創業してからである。フェアチャイルド創業は、1957年のことだ。

「``He went from being a great engineer, to a great entrepreneur in starting Fairchild, to a venture capitalist,''」(彼は、素晴らしいエンジニアから、フェアチャイルドを創業して素晴らしい起業家に、そしてベンチャーキャピタリストになった。)

クライナーをよく知るSandy Robertsonの総括であるが、このクライナーのキャリアパスが、のちに、シリコンバレーにおける「技術者にとってのロールモデル」の一つになった。

1972年、投資家から850万ドルを調達して、クライナーとパーキンス(HP出身)は、Kleiner Perkinsを創業。850万ドルで、当時は世界最大のファンドだったという。30年前の話である。

亡命から始まったクライナーのおいたち

さて、クライナーのおいたちであるが、

「Kleiner fled from Vienna, Austria, in 1938 when he was 15, as Nazi Germany invaded. He escaped with his family through France, Belgium and Portugal, and arrived in New York when he was 17.」

クライナーは、1938年ナチに侵攻されたウィーンから、家族と共にフランスへ、ベルギーへ、ポルトガルへ逃れ、17歳のときにニューヨークにたどり着いた。このあたりの話は、ハンガリーを逃れてアメリカにたどり着いたアンディ・グローブと酷似している。興味のある方は、「僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝―」をぜひお読みください。余談だが、僕が関わっているあるベンチャーのCEOはウガンダで生まれたインド人で、アミン大統領の迫害を受けて15歳のときにイギリスに逃れたところから人生が始まっている。こういう、現代の日本人には想像もつかないような苛酷な経験を経た人たちの、逆境での強さには、底知れないものがある。そういう人たちにじかに接して学ぶことができるのも、シリコンバレーで生きている面白さの一つである。

「Kleiner served in the U.S. Army, then used the GI Bill to earn a bachelor's degree in mechanical engineering from Polytechnic University in New York, which let him enroll even though he never finished high school -- an accommodation for which he was permanently thankful, according to his son, Robert Kleiner, 51, of Marin.」

そしてクライナーは陸軍に入隊。その後、GI Bill(退役軍人向け教育援助法)によって大学に進み、機械工学を学ぶ。GI Billについては、上智大学理工学振興会のサイトで詳しい解説があるので引用しよう。

「第二次大戦直後にアメリカの大学を大きく発展させた国策がありました。「G.I.Bill」と俗称された「退役軍人の教育援助法」です。

 戦争中の徴兵年齢は18才だったため、高校以上の教育を数年伸ばされた退役者は数百万人にも登りました。「G.I.Bill」によって、退役軍人が自分の自由な選択で進学した大学や、専門学校に学費及び教科書代の国庫援助が給付されました。その上、少しばかりの生活費も本人に支給されました。この有利な条件で、多くの退役者が大学に入ることが出来ました。この法案の特徴としては、本人が選び、入学許可をえた大学の学費の高低や公私立とは関係なく勉強ができたことです。大学側では、4年〜5年も学業をしていない大人の入学者を選抜する適当な方法がなかったので、門戸を広く開いて入学させた後、成績が上ごがらない学生を退学させる以外には方法がなかったようです。大学としては、国庫の援助もありましたが、教員を集めることと教室等の設備を用意するのも大変で、パラックの教室や学生寮はその時代のキャンパスの風景でした。

 その当時の教員の経験談を聞いたことがありますが、講義を聴きに来る学生は、日分の人生設計がはっきりしていて、授業にたいする態度が真面目で、しかも教員の授業の善し悪しを評価する日が鋭いものだったそうです。よい授業をする先生は手答えを感じ、授業中の質間や討論は生き生きとしており、他方粗末な授業をする先生は、学生の抗議や怒りを浴びせられたそうです。」

クライナーはさらに修士課程に進み、

「He arrived in Silicon Valley on invitation from William Shockley, a brilliant engineer but impossible manager who had started Shockley Transistor. Kleiner encouraged seven others to abandon Shockley in 1957, using $3,500 of their own money to develop an idea for a better transistor.」

ショックレーからの誘いで、シリコンバレーにやってくる。まだシリコンバレーがシリコンバレーなどと呼ばれるようになるうんと前に、クライナーは、ニューヨークという大都会からただの田舎にやってきたのである。

シリコンバレーのベンチャーキャピタルのモデルとなったKleiner Perkins

フェアチャイルドのあと、1972年に始めたKleiner Perkinsは、その後のシリコンバレーのベンチャーキャピタルのモデルとなった。

「Then he joined Perkins to start Kleiner Perkins in 1972, which boasted a new model: Kleiner and Perkins had entrepreneurial and business experience, and they offered start-ups hands-on help that traditional Wall Street firms couldn't. The firm became one of the most successful in the world.」

ファイナンスの専門家が投資するのではなく、技術者出身でビジネス経験や起業経験を持った人が自らベンチャーキャピタリストとなって投資し、その経験を、生まれたばかりのベンチャーにハンズオンで注入していくというモデルである。

シリコンバレーを生み育ててきた重鎮たちが、ひとりひとり鬼籍に入っていく時代になった。

僕は今、こうした先達たちの肉声を聞けるうちに聞いておきたいと、できるだけ機会を見つけるべく心がけているのだが、つい最近、H&Qというハイテク・ベンチャー専門の投資銀行を1968年に創業したWilliam R. Hambrechtと会う機会を得た。そのとき、彼はこんなことを言った。

「1968年というのはインテルが創業したのと同じ年。ニューヨークの投資銀行は、シリコンバレーのハイテク・ベンチャーの仕事なんて小さいし儲からないし難しくてわからないので、誰も手がけなかった。だから、技術がわかる連中を集めて、ハイテク専門の投資銀行・H&Qを作ったんだ。」

たぶんまだHambrecht が30代の半ば頃のことだったのだろうと思う。

新しい時代を切り拓く種が生まれるときはいつも小さく、エスタブリッシュメントからは無視されるものだ。小さくてもその種を面白いと思い情熱を傾けることができた、さまざまなタイプの若い世代(学者、技術者、起業家だけでなくVCや投資銀行家まで)が、その種が発芽し実をつけていくのと共に成長していったのが、シリコンバレーの歴史であり、その歴史がいまも繰り返されているところに、シリコンバレーの強さ・面白さがある。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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