今日はBlogについて最近考えることを、思いつくままに書いてみたい。日本語のBlogや日記も増えているようだが、今日の話は原則的に英語圏での話としてお読みいただきたい。
まずはその増殖ぶりのすさまじさである。Blogなど「コロンブスの卵」のようなアイデアであるが、だからこそシンプルで良く、カジュアルにスタートする人が多いのだろう。つい最近、「Blog全体で見れば、三日坊主が多い」という調査報告(3分の2が2ヵ月以上、全く更新されていない)が出たが、まぁ当たり前だ。昔から「日記を書こう」と思い立っても大抵の人は三日坊主で長続きしない。加えて、ツールを試してみたけれどうまくいかないからやめた、なんて数字も三日坊主のほうにカウントされているのだろうし。
世の中には言葉を発信してこなかった面白い人がたくさんいる
そんなことより問題は、母集団が数百万人とか一千万というような莫大なオーダーになると、比率の議論はあまり意味がなくなってしまうということだろう。1%だって数万から10万、0.1%だって数千から万のオーダーですからね。某か意味のあるBlogの絶対数は、今のところ増殖の一途をたどっている。これは間違いなく言える。
そして「自分に合ったテーストのBlogを探してできるだけたくさん読む」という行為を続けていて痛切に感じるのは、陳腐な言い方だが、世の中には途方もない数の「これまでは言葉を発信してこなかった」面白い人たちが居るということである。
逆に言えば、これまでモノを書いて某かの情報を発信してきた人たちが、いかに「ほんのわずか」な存在であったか、そしてその「ほんのわずか」な存在は決して選ばれた存在だなんて大それたものではなく、その他の人々(Blogの質という意味でのたとえば上位0.1%-1%くらいの層)に比べて、取り立てて格段に優れているというようなことはない、という事実である。このことは、特にビジネスや技術や経営といった領域で顕著だが、文学のような芸術的領域を除き、たぶん他領域にも概ねあてはまるのだろうと思う。
考えてみれば、これも当たり前のことである。
高校時代・大学時代の友人たちを思い起こしても、こいつは本当に凄い技術者だな、天才ってこういう奴のことを言うのかな、とか、あいつは本当に頭がいいな、膨大な量の本を読んでいて何でも知っていて敵わないな、とか思ったような連中の中で、これまでモノを書いて情報を発信してきた人たちなどほとんど居なかったではないか。様々な職業について、独自の情報ソースと解釈スキームを持ち、一線で仕事をしているそういう連中が、「俺もやってみるか」とカジュアルに情報を発信し始めれば、それは面白いに決まっているのである。「0.1%」という意味は、たとえば「大学の500人くらい入る大教室の全員がある日、日記やBlogを書き始めたとして、その中で最も面白いもの1つあるかないか」くらいの感じだから、そりゃあ、そういう質の高いBlogに新鮮な視点が含まれていて、何の不思議もないわけである。
まぁ、全体として、英語圏のBlogというのは、そんな雰囲気になっている。
ジャーナリズムに影響を与えるBlog
だからこそ、Blog対ジャーナリズム、なんて議論も真剣味を増している。
ニューヨーク・タイムズでハイテク業界をずっとカバーし続けてきた有名な記者にJohn Markoffという人がいるが、彼のUSCのオンライン・ジャーナリズム・レビューというサイトによるインタビューが面白い。
まず聞き手は、Blogのジャーナリズムへの影響を、「reader-gatherer, participatory journalism」、つまり読み手と情報収集者の区別がなくなる参加型ジャーナリズム、と表現している。そして、その「reader-gatherer」のことを「people who suddenly start creating content who don't have the same standards as, well, The New York Times」(ニューヨーク・タイムズと同じスタンダードを持っていないけれど、突然コンテンツを作り始めた人々)と呼んでいる。知的レベルは同等に高い人々だが、ただ、ジャーナリズムにおけるこれまでの約束事(スタンダード)を身につけていない人たちだというニュアンスで定義している。この言い方というのは、ジャーナリズムに限らず、コンテンツ空間全体にあてはまる表現だろう。
「Well, I'm of two minds. I certainly can see that scenario, where all these new technologies may only be good enough to destroy all the old standards but not create something better to replace them with. I think that's certainly one scenario. The other possibility right now -- it sometimes seems we have a world full of bloggers and that blogging is the future of journalism, or at least that's what the bloggers argue, and to my mind, it's not clear yet whether blogging is anything more than CB radio. And, you know, give it five or 10 years and see if any institutions emerge out of it.」
マーコフは、二つのシナリオを思い描いている。一つはBlogが旧来のジャーナリズムを破壊するだけでそれに置き換わるより良い何かを作りだせない可能性。もうひとつはBloggerたちがしきりに議論しているようなBlogやBloggerで溢れた未来のジャーナリズム。ただ後者は本当にそんな大きなムーブメントになるのか、まだよくわからない、5-10年単位で、新しい枠組みが生まれるかどうかだろうと言っている。
Salon.comのScott Rosenbergは、そのBlogの中で、このマーコフのインタビューを引用しながら、
「But like so many other Web phenomena, blogging may prove significant despite a failure to prove itself as a business.」
他のウェブ現象と同じく、Blogは「ものすごく意義深いことは証明されるが、同時にそれ自身をビジネスとしてみれば失敗だったことが証明される」ことになるかもしれないと言っている。
また、「What's Radical About the Weblog Form in Journalism?」はあえて、Blogとジャーナリズムについての過激な対比を10個ほどしてみようという話。
「1.) The weblog comes out of the gift economy, whereas most (not all) of today’s journalism comes out of the market economy.」(現在のジャーナリズムのほとんどが市場経済に立脚しているのに対して、Blogは贈与経済に立脚する)
に始まる10項目は、けっこうよくまとまっている。興味のある方は原文をどうぞ。
もう一つ面白かったのは、シカゴ・トリビューンの記事「An unlikely new source of writing talent: Blogs」で、これは、質の高いBlogを書く人が、ジャーナリズムの世界に採用されて職を得るという事例が増えているという記事。
「It's a classic dream-come-true: A young would-be writer from a small town in Alabama comes to New York City, and within months of penning her first words for a hot new publication, she's snatched up by a big-time magazine.」
スター誕生ってほどのことではないが、在野の「writing talent」がBlogによって発掘される話。アメリカ人好みの話だが、ジャーナリズムの業界構造そのものが変化するのではなく、その業界で働くためのパスが多様化しているというのが記事の視点だ。
Blogが増殖すると解決すべき課題はまだまだある
さて最後に、そういうふうに質の高いBlogが増殖している(と同時に関心のないBlogもその1000倍、1万倍くらい多く増殖している)、また質の高いBlogの中でも自分に関心のないテーマの書き込みのほうが大半、という現象を前にして、これからどんなふうにうまく時間を使って、自分にとって面白いもの、意味あるものを抽出して読むことができるのか、という悩みに行き着くのである。
自分が面白いと思うもの、自分にとって意味があると思うものだけを自動的に抽出することの重要性をますます痛感する毎日なのだが、それと同時にその実現に向けての困難さもものすごく大きいことに思い至る。Googleの創業者たちが、技術が実現し得る理想を100としたときに今Googleが実現できているのはどのくらいですか、と聞かれて7か8ではないか、と答えたというような話をどこかで読んだことがあるが、この領域には、技術的にもビジネス的にも、未開の荒野が広がっていることを実感するのだ。
先週金曜日から2回にわたってご紹介したGoogleの副社長Wayne Rosingインタビューの最後に、こんな発言がある。
「The day will come when Google won't be a search engine anymore, because everything will be searchable. So, instead, we'll have to algorithmically find you the good stuff. It will be an up-leveling of our ranking function, if you will, from what's the best document to what's the best, most well-formed knowledge on the subject. I basically came to Google because it struck me what an incredibly neat thing this was to spend a large fraction of my remaining work years on.」
すべてがサーチ可能になったとき、Googleはサーチエンジンではなくなる、その代わりに我々は、アルゴリズムによって、あなたに最適な情報を見つけなければならない、それをやるために自分の残りの仕事人生を費やしたい、とWayne Rosingは語っているが、まさにこういう方向の進化が必要なのであり、そこに大いに期待したいと思う。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
sakuma on 2003/11/04
コンサルタントの山崎です。
『Blog』の定義ですが、『新たな情報共有のオープン・イノベーション』であるが、『ビジネスとして成立するのが困難』だと思われます。
米国の先進技術を支えてきたのが、シリコンバレーを中心としたエンジニアであったとすると、本当に彼らは技術的な革新性のみを求めてビジネスを邁進したのではないからだ。技術の革新性であれば、直近のビジネスに結びつく発見・発明よりも、ノーベル賞へのパスポート?である基礎研究を目指した方が技術屋としておもしろいだけでなく、学術界での地位・名誉が手に入る。やはり、シリコンバレー躍進の背景には、『ストックオプション』の魅力は否定できない。
こんな書き方をすると、すべてのIT技術者が金銭欲にあふれているような誤解を与えるかもしれないが事実であろう。
米国の富を何がもたらしたのか?
それは石油、石炭、自動車、鉄鋼、化学、薬品でない。
つまり、IT(情報技術)による通信・コンピュータ技術が莫大な富を米国に落としたことになる。
もし、このコメントを日本政府の官公庁関係者がお読みであったなら、早急に日本産業構造全体の見直しを図るべきでないだろうか。シリコンバレーは、中国・インド・韓国・欧州・イスラムなど世界から精鋭が集まっている。分かりやすい例は食事だ。中華、シーフード、インド料理、カンボジア料理、スペイン料理、フランス料理、すべてが本場の味だ。それだけ多様な地域から集まってきている。逆に、この国家レベルでの技術者集客力が日本には欠如しているのではないだろうか。
日本で『ラーメン』が視聴率を稼いでいる。しかし、中国人が日本で感動しているのは『ラーメン』でなく、日本製のビールである。
話を戻すと、現在、EMSを中心とする製造業における海外委託市場は急進しつつあり、サービスにおいても、インドや中国へのBPOが進みつつある。
米Businessweekは2週間前の記事で、インドにおけるサービス担当者は大抵、大卒レベルだが、米国でコールセンター・スタッフといえば高卒だ。しかも、賃金は米国での1/6。この傾向が進むと、米国だけでなく日本や欧州含め、大きな市場が安価な労働力へと流出することになる。この傾向自体を否定するつもりは全くないが、次代に日本が何で外貨を稼ぐのか、真剣に考える必要があるのではないだろうか。本来であれば、このような議論は大学で教鞭を執っている現役の経済学者からも声大きく喧伝してほしいと強く実感している。
日本人は昔から、『お金にうるさい奴は嫌われる』、
『‘をかし’の文化』だと言われてきたが、グローバルレベルでは経済規模レベルでの世界競争が激化しているのではないだろうか。そろそろ、ビジネスに直結した情報技術への優遇措置を真剣に考える時がきていると思われる。
米国では『Blog』からプロの編集者がうまれているという。日本は『Blog』から国会議員を選出してもよいのかもしれない。情報共有のオープンソース化に拍車をかけるに違いない。かつての明治維新も、こんな気概あふれた人達が集まって現実化したのかもしれないからだ。
山崎牧雄 on 2003/11/01
Blogとジャーナリズムという切り口が提示されていますが、「スラッシュ・ドット」は、どのようにとらえられるのでしょうね。
ニュースサイト/掲示板でしょうか。
個人的には、掲載される記事が「個人の経験でフィルタリング・加筆されている」、「編集者によって選別されている」ものだということで、分野を限定して抽出された<Blogの集合体>だと思っているのですが。
MIYU on 2003/10/31
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Blogは、ジャーナリズムのNPOと考えるのはどうでしょうか。NPOは、この社会になくてはならない価値を提供しつつ、POと共存しています。「Blog対既存のジャーナリズム」の対立という構造ではない、共存という考え方です。ただNPOと同様にBlogも、余り爪を伸ばしすぎると生きづらくなる、ということではないでしょうか。
Blogの価値を讃え、ありがたさをかみしめながら。