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日本を「個人保証」がなくても起業できる社会に

2003/10/23 10:05
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シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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PacRim VenturesのKevin LawsがVenture Blogで「Beauty Contests and Venture Valuations」という文章を書いている。未公開企業のValuation(企業価値)はどう決まるかがテーマである。未公開企業の企業価値というものが、いかにarbitrary(自由裁量的、気紛れ、恣意的)な決められ方をするかということを、初心者向けに説明したものである。

「This is because venture valuations represent a form of what economist John Maynard Keynes called a "beauty contest".」

「The venture business is driven by the same logic when setting valuations.」

未公開企業の企業価値を設定する論理は、有名なケインズの「美人コンテストの優勝者あてゲーム」の原理(自分が美人だと思う人ではなく、他の皆が美人だと思うであろう人を選ぶという原理)にドライブされている。

「By the nature of venture investing (which basically returns the money to investors within a fixed period of time), we need to exit the investments.」

「When we exit, we are at the mercy of the people who buy the company from us. This means it is not worth what a fundamental net present value calculation would indicate. A company is only worth what somebody will pay us for it.」

ベンチャー投資は美人コンテストにならざるをえない

ベンチャーキャピタルは一定期間の間にexitしなくちゃいけない(投資を現金化しなくちゃいけない)。そのためには投資した会社の株式が最終的に他者(買収先、またはIPOの場合は一般投資家)の手に渡る必要があるわけで、そのときに決められる価値こそがすべて。会社に本当はどのくらいの価値があるかよりも、他者がその会社をどれくらいの価値と思うかということによって、現実の企業価値が決まる。

「This leads to a situation where everybody is looking at each other to guess valuations. In a situation like that, we can't guess the fancy equations every single potential later investor is using - so we simplify, using measures based on agreed upon benchmarks. We can also be sure the other guys are doing the same thing, so we all end up using the exact same methods.

In other words, VCs aren't being lazy or stupid when they use multiples and comparables to quickly set valuations - they are being completely rational, knowing that later buyers are doing the exact same thing.」

「There is no benefit to any individual player improving their valuation metrics.」

そういう環境下では、誰かが、独自のものすごい企業価値評価手法(仮にそんなものがあったとして)を一人だけ持ち込むメリット・意味というのは存在しない云々。原文では、さらにいろいろと話題が続いていくが、突き詰めていえば、未公開企業が資金調達する際に設定される企業価値というのは、実にarbitrary(自由裁量的、気紛れ、恣意的)に決められていくという現実が、ベンチャーキャピタリストの口から淡々と語られている。

さてこの現実をどう考えたらいいのだろうか。それが今日のテーマ。

本連載では想定読者像として、「カネはあまり持っていないが、技術や知的実力のある若い人」しかも「個人債務保証をしてまで起業したいなんて露ほども考えたことがない」ごく普通の人をイメージしている(もともとものすごく富裕な家に生まれ投資できるカネを最初から持っていたり、「自分のすべてを賭けて個人債務保証付きのカネを借りてでも事業をやりたい」というような特別な人には、それはそれでまたいろいろな選択肢があるから、僕が本欄で、特にカネの話をするときは、そういう人たちは想定読者の対象外に置いている)。

未公開ベンチャーへの投資は普通の人が起業するための手段

こうしたごく普通の人が、その技術や知的実力だけをレバレッジして、「失敗しても返さなくてもいいカネ」を集めて会社を作って大きくすべくトライする、という限定的シーンにおいて、この未公開ベンチャー投資の企業価値算定という議論が存在する、ということを改めて強調しておきたかったのだ。そういう限定的シーンにおける企業価値算定がarbitraryになることは全くもって仕方ないことで、それがarbitraryであるからといって、この仕組み自身を否定的に評価するべきではないと思うのだ。

話は少し飛ぶが、つい最近、「金融維新 日本振興銀行の挑戦」(木村剛著)という新刊書を読んでいたら、この新しい銀行の執行役の人たちは「預金に対する個人保証」をするのだと知った。

「万が一、銀行を破綻させたら、私財はすべて没収するということになる」

「他人からお預かりしている大事なおカネを毀損した場合には、(中略)、自刃しろとまでは言わないが、私財くらい提供しろよ、そう思うのは私だけではないだろう」

といった勇ましい言葉が続いていて、僕はちょっと驚いた。

もちろんそういう意気込みで創業しなければ成功しないという精神論はよくわかるが、これは何か違うよなぁ、と強い違和感を抱いたのである。

僕は金融については素人だからこの銀行についての論評は全くできないが、この本を読む限り、

「事業に失敗して借入金を返済しきれず、個人保証をしていたがために私財を銀行に没収されている中小企業の経営者があとを断たない」

「ならばこそ、銀行経営者こそ、自らのコミットメントを示すために、預金に対して個人保証をすべきではないのか。そういう覚悟を公に示してこそ、貸出先の経営者に対して、正々堂々と個人保証を求めることができる」

つまり、「個人保証」というこれまでの日本の中小企業を支えてきたルールを前提に、「個人保証」で応えよう、という話のように読めた。

もちろん日本の構造改革の途上にはこうした試みも必要かもしれない。

でも、できるだけ「個人保証」なんておどろおどろしい制度を、ビジネスの世界から少しずつでも取り除いていきたいというシリコンバレーの発想のほうを、僕は支持したいのである。まぁ、それが、僕のシリコンバレー好きの本質なのであるけれど。

ビジネスはゲームだとまでは言わないけれど、ビジネスの参加者は皆(カネを出す側も受け取る側も皆)リスクとリターンをすべて納得した上でゲームを行い、そのゲームの成否が、個人の生活にある日突然とんでもない影響なんて及ぼさないという仕組みのほうが、僕は好きなのである (日本だって富裕層がずいぶん育っているのだから、新しい仕組みを支える富裕層のリスク・リターン納得ずくのカネが、理論的には存在する) 。

家族をリスクにさらしてまで行うべきビジネスなんてない

そういうルールがなければ、さっき書いた僕の想定読者像、「カネはあまり持っていないが、技術や知的実力のある若い人」しかも「個人債務保証をしてまで起業したいなんて露ほども考えたことがない」ごく普通の人は、これまでと同じように勤め人になる以外、あまり選択肢がない。僕もそうだが、家族という大切な存在をリスクにさらしてまで行なうべきビジネスなんて存在しない、と考える人は多いはず。「そういう甘い人は勤め人でもやっていろ」と「ハイリスクを取って命がけでビジネスをおこして成功した人=起業家」が心の中で批判する「起業家と勤め人の溝がものすごく深い」世界ではなく、そういう普通の人たちが気軽に挑戦できる仕組みが存在する「起業家と勤め人の区別があまりなく、その間を行ったり来たりできる」世界のほうを、日本の将来像として、選び取れるものなら選び取りたいと思う(まぁ日本になければ、日本の外に出ればいいのですけれど、それはまたそれで違うハードルがある)。そうなれば、若い人たちが、「技術を磨き、知的実力を高めるインセンティブ」を、より強く持つようになるはずだ、とも思う。

「個人保証のない世界」を前提に資金調達するときのルールの一つ(必要悪と僕は思わないけれど、そう思う人が居てもいい)として、企業価値のarbitrary性は、存在しているのである。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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