PacRim VenturesのKevin LawsがVenture Blogで「Beauty Contests and Venture Valuations」という文章を書いている。未公開企業のValuation(企業価値)はどう決まるかがテーマである。未公開企業の企業価値というものが、いかにarbitrary(自由裁量的、気紛れ、恣意的)な決められ方をするかということを、初心者向けに説明したものである。
「This is because venture valuations represent a form of what economist John Maynard Keynes called a "beauty contest".」
「The venture business is driven by the same logic when setting valuations.」
未公開企業の企業価値を設定する論理は、有名なケインズの「美人コンテストの優勝者あてゲーム」の原理(自分が美人だと思う人ではなく、他の皆が美人だと思うであろう人を選ぶという原理)にドライブされている。
「By the nature of venture investing (which basically returns the money to investors within a fixed period of time), we need to exit the investments.」
「When we exit, we are at the mercy of the people who buy the company from us. This means it is not worth what a fundamental net present value calculation would indicate. A company is only worth what somebody will pay us for it.」
ベンチャー投資は美人コンテストにならざるをえない
ベンチャーキャピタルは一定期間の間にexitしなくちゃいけない(投資を現金化しなくちゃいけない)。そのためには投資した会社の株式が最終的に他者(買収先、またはIPOの場合は一般投資家)の手に渡る必要があるわけで、そのときに決められる価値こそがすべて。会社に本当はどのくらいの価値があるかよりも、他者がその会社をどれくらいの価値と思うかということによって、現実の企業価値が決まる。
「This leads to a situation where everybody is looking at each other to guess valuations. In a situation like that, we can't guess the fancy equations every single potential later investor is using - so we simplify, using measures based on agreed upon benchmarks. We can also be sure the other guys are doing the same thing, so we all end up using the exact same methods.
In other words, VCs aren't being lazy or stupid when they use multiples and comparables to quickly set valuations - they are being completely rational, knowing that later buyers are doing the exact same thing.」
「There is no benefit to any individual player improving their valuation metrics.」
そういう環境下では、誰かが、独自のものすごい企業価値評価手法(仮にそんなものがあったとして)を一人だけ持ち込むメリット・意味というのは存在しない云々。原文では、さらにいろいろと話題が続いていくが、突き詰めていえば、未公開企業が資金調達する際に設定される企業価値というのは、実にarbitrary(自由裁量的、気紛れ、恣意的)に決められていくという現実が、ベンチャーキャピタリストの口から淡々と語られている。
さてこの現実をどう考えたらいいのだろうか。それが今日のテーマ。
本連載では想定読者像として、「カネはあまり持っていないが、技術や知的実力のある若い人」しかも「個人債務保証をしてまで起業したいなんて露ほども考えたことがない」ごく普通の人をイメージしている(もともとものすごく富裕な家に生まれ投資できるカネを最初から持っていたり、「自分のすべてを賭けて個人債務保証付きのカネを借りてでも事業をやりたい」というような特別な人には、それはそれでまたいろいろな選択肢があるから、僕が本欄で、特にカネの話をするときは、そういう人たちは想定読者の対象外に置いている)。
未公開ベンチャーへの投資は普通の人が起業するための手段
こうしたごく普通の人が、その技術や知的実力だけをレバレッジして、「失敗しても返さなくてもいいカネ」を集めて会社を作って大きくすべくトライする、という限定的シーンにおいて、この未公開ベンチャー投資の企業価値算定という議論が存在する、ということを改めて強調しておきたかったのだ。そういう限定的シーンにおける企業価値算定がarbitraryになることは全くもって仕方ないことで、それがarbitraryであるからといって、この仕組み自身を否定的に評価するべきではないと思うのだ。
話は少し飛ぶが、つい最近、「金融維新 日本振興銀行の挑戦」(木村剛著)という新刊書を読んでいたら、この新しい銀行の執行役の人たちは「預金に対する個人保証」をするのだと知った。
「万が一、銀行を破綻させたら、私財はすべて没収するということになる」
「他人からお預かりしている大事なおカネを毀損した場合には、(中略)、自刃しろとまでは言わないが、私財くらい提供しろよ、そう思うのは私だけではないだろう」
といった勇ましい言葉が続いていて、僕はちょっと驚いた。
もちろんそういう意気込みで創業しなければ成功しないという精神論はよくわかるが、これは何か違うよなぁ、と強い違和感を抱いたのである。
僕は金融については素人だからこの銀行についての論評は全くできないが、この本を読む限り、
「事業に失敗して借入金を返済しきれず、個人保証をしていたがために私財を銀行に没収されている中小企業の経営者があとを断たない」
「ならばこそ、銀行経営者こそ、自らのコミットメントを示すために、預金に対して個人保証をすべきではないのか。そういう覚悟を公に示してこそ、貸出先の経営者に対して、正々堂々と個人保証を求めることができる」
つまり、「個人保証」というこれまでの日本の中小企業を支えてきたルールを前提に、「個人保証」で応えよう、という話のように読めた。
もちろん日本の構造改革の途上にはこうした試みも必要かもしれない。
でも、できるだけ「個人保証」なんておどろおどろしい制度を、ビジネスの世界から少しずつでも取り除いていきたいというシリコンバレーの発想のほうを、僕は支持したいのである。まぁ、それが、僕のシリコンバレー好きの本質なのであるけれど。
ビジネスはゲームだとまでは言わないけれど、ビジネスの参加者は皆(カネを出す側も受け取る側も皆)リスクとリターンをすべて納得した上でゲームを行い、そのゲームの成否が、個人の生活にある日突然とんでもない影響なんて及ぼさないという仕組みのほうが、僕は好きなのである (日本だって富裕層がずいぶん育っているのだから、新しい仕組みを支える富裕層のリスク・リターン納得ずくのカネが、理論的には存在する) 。
家族をリスクにさらしてまで行うべきビジネスなんてない
そういうルールがなければ、さっき書いた僕の想定読者像、「カネはあまり持っていないが、技術や知的実力のある若い人」しかも「個人債務保証をしてまで起業したいなんて露ほども考えたことがない」ごく普通の人は、これまでと同じように勤め人になる以外、あまり選択肢がない。僕もそうだが、家族という大切な存在をリスクにさらしてまで行なうべきビジネスなんて存在しない、と考える人は多いはず。「そういう甘い人は勤め人でもやっていろ」と「ハイリスクを取って命がけでビジネスをおこして成功した人=起業家」が心の中で批判する「起業家と勤め人の溝がものすごく深い」世界ではなく、そういう普通の人たちが気軽に挑戦できる仕組みが存在する「起業家と勤め人の区別があまりなく、その間を行ったり来たりできる」世界のほうを、日本の将来像として、選び取れるものなら選び取りたいと思う(まぁ日本になければ、日本の外に出ればいいのですけれど、それはまたそれで違うハードルがある)。そうなれば、若い人たちが、「技術を磨き、知的実力を高めるインセンティブ」を、より強く持つようになるはずだ、とも思う。
「個人保証のない世界」を前提に資金調達するときのルールの一つ(必要悪と僕は思わないけれど、そう思う人が居てもいい)として、企業価値のarbitrary性は、存在しているのである。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
WindKnight on 2003/10/23
VCとしての視点です。
アーリー・ステージのベンチャー企業のValuationは
難しいですね・・・。 DCF等の株価算定の方法論はあるものの、株価は買い手と売り手の需給関係で値決めされるため、人気(実力)のある銘柄(ベンチャー)は高い価値(株価)になります。創業期の実力というのは、業績ではなく、経営者の能力であったり、開発した技術のポテンシャルであったりします。 創業後、売上が立ちはじめ、業績が見え出すと、業績によってValuationを考えるようになります。 既に投資しているVCは、Valuation(価値)が下がらないように交渉してきますが、新規に投資する人たちは、実力あるけど、思ったほど業績伸びてないではないのでそんな価値はないよという交渉になります。
お金がなくなってくるとベンチャー企業や既に投資家も交渉力がなくなってきます。
つまり、可能性VS業績 と 需給バランスで株価が形成されるということですね。 ここでのポイントは相場感と交渉経験です。
個人保証に関しては、リスクとリターンの関係かなと思っています。起業家にとってのリターンとは金銭も当然ですが、やりたいこと実現することにあると思います。日本の場合は、持株比率にこだわりを持ち、51%以上のシェアを維持したいと考えている人が多いと思います。資金調達額も制限され、直接金融に頼らず、間接金融に頼ることになります。個人保証もついてきます。
起業家・経営者のリスクとリターンを見て判断をしていると思います。
シリコンバレー等の場合は、VCがシェアと重要な権利を持ち、所有(株主)と経営が分離されていると思います。
ようやく、いろいろとマインドを含め変わってきたなという印象をもっています。
Koba on 2003/10/23
日本振興銀行の場合は銀行という業種だからでしょう。銀行という業種の性格からすればそれほど奇異には思いません。むしろ既存の銀行で次々に発生しているモラルハザードの問題の方が深刻なのであり、一般的な製品を作って売る形態のベンチャービジネスの話と並べて論じるのはおかしいのでは?
MH on 2003/10/23
A案件ごとにリスクシェアリングの妥当性をどう
判断するか、
Bプライシング(値決め)
Cポートフォリオ管理
という発想があるか。これがある米国では比較的
起業がうまくいっている。
一方、日本にこの発想が薄い、ないしあるがまだまだ
社会に定着していない、だから起業をめぐる
施策、議論が空回りしているのだ、と思います。
特にAからCにかけ、後の方ほど、普及が遅れている
なあ、と思います。
sansara on 2003/10/23
ベンチャー社員ですが、最近、自社が本来持っている価値(強み)よりもVC受けする張りぼて気味の方針がたてられるようになってきており、非常に危機感を抱いています。
と言いつつ、かつてリスクにさらされた家族としての経験から「個人保証のない世界」にあこがれたりもします。起業に限らず、チャレンジと失敗を許す世界というのは気持ちいいなあ。
ち on 2003/10/23
私のそんなに多くない人脈の中でふりかえると、VCがお金出している会社で社長している「サラリーマン社長(創業者の場合もある)」と、いわゆる身銭で会社起こした「創業者社長」の持つ気質は違うんじゃないかと思います。
「創業者社長」にはとてつもないオーラを感じる人がいる一方で、「サラリーマン社長」は普通の人っていう感じがすごくします。「ここでだめなら、他で社長すればいいや」みたいな印象を受けるんですよね。
日本を代表する会社といわれているようなホンダ、ソニー、松下、みたいなところはもともと「マネーゲーム」的発想で起こした会社ではないと思います。
VCってのは確かにありがたい存在ですが、VCを使わないで会社作りたいなーみたいな魅力が常に頭の片隅にあるんではないでしょうか。
inoue on 2003/10/23
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みんなが個人事業主であることを自覚したら、社長というのは、それほど特異な存在ではないのかもしれませんね。契約で括られた対等の関係とするのならば、垣根は低くなると思います。
あと、宝くじでも買う感覚で投資できる環境ががあれば、「個人保証」抜きの起業というのも面白いと思いますね。