最終更新時刻:2009年7月11日(土) 10時00分
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紙媒体に体温を感じる時

公開日時:
2007/11/01 23:45
著者:
caym

僕はライフワークとして、好きな映画のDVDを「永久保存版」として買い揃えている。しかし新たなDVD規格の製品を見てさらなる「永久保存版」を欲する自分がいる。

ではネットに自分が欲するテキスト情報の「永久保存版」は存在するのか?日々投げ込まれ更新/遺棄される情報で、膨張し続ける広大無比な空間。存在の可能性は極めて高いが、趣向性が高ければ高い程、理想とするものにたどりつくのは容易なことではない。こう書くと何やら宇宙人を探してるようにも聞こえる。

もしも運良く「永久保存版」に出会たならば、貴方ならどうするだろうか?

何かのファイルとして保存するも、完全なる安堵感は訪れない。これはデータとして扱う事自体に、未だ儚さを覚えてしまうせいだ。結局僕が辿りつくのは、何の目新しさもないプリントアウト。実際のところ「永久保存版」には程遠い儚い紙切れ。だがプリンターから出てきた紙切れを持つ、これだけで随分と心が和らぐ。この感覚は何だろう。

ネットで情報を漁っていても、通勤途中に新聞を購入してしまう。ほぼ同じ内容、または若干古い情報であったとしても、だ。書籍に至っては一連の行動を楽しんでいる自覚すらある。

・本屋で物色/探す/歩く
・手に取り視覚と触感で本を捉える
・内容を確認/判断する
・レジに行き「買う」
・包装を解き、持つ/外観を見る/読む
・棚などに並べ管理する
・時間を置いて再び読む

買った情報を手に取り「実存」として捉えたいという生物的な衝動か、はたまた「物」として収集する至福感なのか。僕だけではなく、人々は無意識下でこれら行動自体を欲している。情報以外の付加要素。これがペーパーメディアとネットの決定的な差異なのか。ディスプレイの世界から「出してもらえない」情報は、常に無機質に感じてくる。

情報の補完/完結地点はネットでもPCでもなく、未だ手足届く本棚。印刷した物もそこにある。少なくても僕にとってインターネットは、現時点で「情報の通過点」でしかない事に気が付いた。

 

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