最終更新時刻:2009年11月11日(水) 16時10分
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生産性、賃金、格差をめぐる「伽藍とバザール」

公開日時:
2007/02/14 07:33
著者:
坂本多聞

「山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - 生産性の話の基礎および「それでも賃金水準は平均的な生産性で決まるんだよ。」が池田信夫 Blogでのエントリーなどから批判を浴びている。

山形氏が特筆大書された主張

賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ

に対して、「平均的な生産性」という箇所が違うというのが批判のポイントだ。池田氏も引用された「一研究者」氏によるコメント中の以下の文が分かりやすく、私もよく腑に落ちた。

 池田氏の批判は、要するに、「賃金水準はその職固有の限界生産性によって決まるのであり、すべての職の平均的な生産性によって決まるのではない」と言っているのであり、全然内容が違う気がしますが。山形氏の理論では、職業間の賃金格差の説明が付かないですね。

知識における「伽藍」の重要性

山形浩生氏は、オープンソースソフトウェアの成功例である GNU/Linux の開発手法の特長とメリットを紹介した論文「伽藍とバザール」の翻訳などで有名な方だ。今回、生産性と賃金に関する論争を巻き起こして注目を集められたわけだが、「伽藍方式」と「バザール方式」のそれぞれのメリット、デメリットを体を張って示された例としてなかなか興味深い。

ブログへの投稿というバザール的な方法で元となった記事が投稿されたため、コメントやトラックバックで違う意見も目に触れて読者はより判断をしやすくなった。その一方で、山形氏と池田氏らによるそれぞれの主張のどっちが妥当かを考えるには、伽藍方式で体系化されて書籍も出ている経済学の知識が欠かせないと改めて実感することになった。

インターネットはとても便利であり、高速道路のように凡人を遠くへ一気に運んでくれる近道でもある。しかし、その便利さに慣れるあまり長い書物をじっくり読み理解する力が弱るとしたらそれは、あまりに残念なことだろう。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。

前後の記事

このエントリーへのコメント

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Shouichiさん、なんか無理やり誘導しちゃってすみません。経済学ネタはそれなりに興味あるのですけど、このサイトのテーマからは外れると思った次第です。

伽藍とバザールの話は実は1999年私がMSKKでLinux動向分析担当だったころを思い出して懐かしいテーマです。確かにある程度論評するに足る情報が出ないとバザール式の蓄積の加速が望めませんね。とは言っても、こういった雑文的なコメントのやりとりが知恵の蓄積に役立っているとは思うのでプラスのスパイラルが回れば向上していけて何らかの有意義な成果があるのではと思っています。

少なくとも言語化して考えがすっきりまとまり勉強すべきテーマがはっきりしたりとかです。

  多聞 on 2007/02/15

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そうでした。「伽藍」と「バザール」のお話なんですよね。失礼しました。
ついでに趣旨に添った話をしますと…、「バザール」方式は、「伽藍」的な蓄積を前提していると思います。例としては、ソフトウェアでもBlogの投稿でもよいのですが、バージョン1.0でリリースされるとすると、バージョン0.6?0.9くらい(の完成度)に達して初めて「バザール」方式に移行できるのではないでしょうか。0.6?0.9に到達するまでに相当な「伽藍」的蓄積を必要とするのではないかと。
ですので、「伽藍」と「バザール」は対立する概念のようなものではなく、「伽藍」的方式をいわば「斜め上に」拡張すると「バザール」方式になるのではないかという気がしています。

  Shouichi on 2007/02/15

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さて、元の投稿のポイントは経済学の賃金のことを極めたいわけじゃなくて、伝統的な権威で築かれた構築物である「伽藍」とネット上での連携で成り立っている「バザール」のありかたの再検討です。

両方いいところがあるから併用したいなと思う次第です。

  多聞 on 2007/02/15

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Shouichiさん、コメントありがとうございます。
この論争の是非について突っ込むと池田さんからお叱りを受けそうで怖いのですけど、山形さんの論旨はマクロ経済学としての発言とは読めません。見出しを順に引用すると「生産性の国際比較――サービス業は世界的に大差ありませんわよ」「所得水準は、社会の平均的な生産性で決まる――そしてそれを引き上げているのは製造業だ」「同じ社会の中での賃金水準は需給で決まる――技能が高ければいいわけじゃない」
とあります。そしてまとめの前の結論が「そして……やっとのことで、同じ職種、同じ仕事の中で見たら、生産性の高いほう――単位時間でこなせる量の多いほう――が高い賃金を得るわけだ。ふう。やっと最後の最後で、ふつうの人が考えている生産性と稼ぎの関係のところに話が落ちてきたよ。でも、社会の平均生産性とか、社会の中での相対的な需給のほうが、たぶん影響としてはずっとでかいだろう。」となります。

賃金は生産性で決まるというテーゼが先にあり、でも、社会の平均生産性の影響を受けて決定されるという論旨なので、一言で感想を書くと何じゃそりゃ???なわけです。

  多聞 on 2007/02/15

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(引用元のBlogエントリ等を読んでいないのですが)
この記事からだけで判断してしまいますと、山形氏はマクロ(経済学)的な見方をしていて、池田氏はミクロ(経済学)的な見方をしているということに(単純に)帰着してしまうと思われます。
マクロ的認識とミクロ的認識が一致しないのは、(経済学の)理論的な課題であるので、理論的に解決を目指すべきであって(現状ではおそらく解決できていないわけですが)、この種の認識の相違で「論争」してしまうのは不毛ではないでしょうか。
要約すると、人間の持っている「経済」に対する認識というのは、対象を見るレベルを変えるだけで整合性がとれなくなる程度の水準(つまり、ほぼ何も認識していない)でしかないということだと思います。

  Shouichi on 2007/02/14

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