「読まれることを期待しないコミュニケーション」であり、「反応を期待しないレコメンデーション」であるところのTubmlrは、実は水面下でウェブ・コミュニケーションの有り様を相当組み換えているのではないだろうか?
たとえば、下のような記事を書いてみようと思ったその動機の底辺にはTumblr的コピペ文化に対するある種の信任がある。
信任=コンフィデンスという言葉を「コピペ」文化に託してしまうのは、一見とても似つかわしくないように思える。ところが、その感覚は「死して屍拾うものなし」的な安心感なのだ。
クールジャパンとかAKIBA系とか、一部“ユースカルチャーに理解のあるフリをする官庁”が幾ら持ち上げたとしても、その一方で“幼い声なども含めてのロリ要素取締りを検討”なんていうビクトリア朝並みのヒステリーに脅かされるようでは、世界に冠たるオタク文化が輸出産業に成長するのは非常に難しいと思う。
もちろん“そういった抑圧を弾き返すくらいの気概がなくては、新しい文化の担い手にはなり得ない”というようなもっともらしい言及がすぐに想像できる。
でも、そういった家父長主義的な物言いこそがオタク文化の対極なのではないだろうか?
その、「弱さや駄目さ」こそが武器になると言うアンチ家父長主義的属性に対しては、もっと自覚的にプライドを持ってもいいのではないか?
その結果ワケ知りな文化評論家からは散々非難されるだろうが、それこそラディカリズムがその存在論的な違和感をクリティカルヒットさせている証左(≒当然の反動)に他ならない。
・・というか、ロリ要素の一切含まれないオタクカルチャーってあり得ないだろう!
書きかけで放置していたエントリーがあったので投稿しておきます。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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