タンブラで与えられる自由は「選択」のみです。タンブラにはスクラップする素材を選択するという「選択」以外に、他者の「選択」を「選択」するというファクターがあります。
それをタンブラでは「リブログ」と呼んでいます。リブログが物凄く嬉しいのはそれが「群集の一人称目線による選択」だからだと思います。
街中で取りすがりの人を見かけて「カッコイイ!」と思い、それを個人的に「認定」する。それがリブログです。
この場合の「カッコイイ!(※1)」は着ている服だけじゃなく抱えている本とか持っているカメラだったりするかも知れません。またがっている自転車のセッティングなど、自分的にはひどくシビレますね。
そしてその認定が通りすがり時にちら見された情報量だけで判定されているという点に於いて、リブログされることの価値は異常に高い気がします。
なので、今のジブンは全身全霊で「リブログして欲しい!」と脳内シャウトしている。そんな感じです。
real blythe (tumblr)
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個人が都市の雑踏の中で埋没しているなかでも、「選択する」という行為に於いては(能動・受動は関係なく)自由を享受できるということ。
そして、その「自由」を、与えられた制限付き自由としての「不自由」であるとはみなさない。
むしろ、「環境的に選択をさせられている環境内存在(投げ込まれた存在)」であることを積極的に認めてしまっていいのではないか?
そもそも環境世界に対して主体的にコミットし得るという感覚そのものがある種の“フィクション”ではないか?
個人が主体的・能動的に環境世界にコミットし得るという“フィクションを放棄してみる”という非常にラディカルな態度を体感的に味わえるのが、今のジブンにとっての「リブログ」なのです。
ファンクションが世界観を更新しうるという体験はいつも新鮮で、実に楽しいものです。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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