■初音ミクはCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア)が産業として飛躍できるのかどうかの試金石?
昨日の「初音ミクJASRAC登録問題」を巡るドワンゴとクリプトンとの和解+協業に向けての共同声明。これは、CGMが産業のひとつとして将来的な地歩を築いていくうえでの貴重な一歩になるのではないでしょうか?
なにしろ、調査によれば米国10代の約6割がオンラインで何らかのコンテンツ制作を経験しており、この基調は恐らく今後も続くでしょうから、コンシューマーとメーカーとの関係性はさらに変化を遂げていくと思われます。
調査によれば59%のティーンがオンラインでコンテンツを制作している(TechCrunch)
http://jp.techcrunch.com/archives/study-59-of-teens-create-content-online/
(このエントリー、凄く長いので末尾に「忙しい人向けのまとめ」を掲載しました)
■ネットワーク社会資本としてのソーシャルデータベース
最近、インターンの学生に向けてウェブ2.0的サービスについていろいろと説明する機会があり、その際に気付いたことなのですが(その気付きは僕の独創でも何でもありません)、なるほど、それらのオープン型のビジネスモデルを「ソーシャル・データベースの相互運用」だと考えると、その産業的インパクトは非常に大きいなあと。
今までのオープン型ビジネスモデルの推移を非常におおまかに振り返ると、
1) ソースコード(道具あるいは部品)へのアクセス
2) API(機能あるいは便益)へのアクセス
3) DB(情報あるいは知識)へのアクセス
こんな流れになるでしょうか?(凄く雑です。すいません!)
(1)や(2)に関してはいまさら付け加えられることは余りありません。
(3)についてはアマゾンの商品データベースやグーグルの広告データベースなど既に広く普及しており、ウェブ広告のインフラとしてはもはや欠かせない存在となりました。
■オープン型ビジネスモデルの目指している地平線
そして、FacebookプラットフォームやGoogleのOpenSocialが特に広告スキームの実装・運用に於いて非常にホットな話題になっているのは、それらが単なるAPI群ではなく、さらに単なるDBでもなく、社会的な関係性を捉えて(ソーシャル・グラフはそれを可視化したモノ)個人間のネットワーク関係性や行動パターンに対して直接アクセスできるという新たな(だからこそホットで危うい)状況をはらんでいるからだと思われます。
ですから、(3)に続く(4)のフェーズとしては、
4) (3)と(4)を統合した結果として可能になる「社会行動」へのアクセス
が間近に来ているということだと思います。ソーシャルデータベースという用語の是非はともかく、社会化された人間存在を捉えるためのネットワークインフラが今後ますます拡張されることだけは間違いなさそうです。
そう考えると、この間のFacebookとBeaconを巡るゴタゴタは、新しい時代に向けての試金石のひとつだったと言えるのかも知れません。
■オープン型ビジネスモデルの効用とは?
ここで話を戻しますが、「ソーシャルデータベースの相互運用」とは、コード→API→DBというオープン化の流れの中である意味当然の流れとして結実された、新しいネットワーク社会資本なのではないかと思います。
いわゆる産業資本(産業設備が資産の大半を占める資本)と比べると可視化、測定がなかなか難しいのが社会資本(社会共通資本=インフラではなく、社会関係資本=ソーシャル・キャピタルを指します)なのだと思います。
でも、現実的なビジネスに於いても、相互の連絡や折衝、契約などの基本的なコストを考えると決して軽視できないコスト要因だとも言えます。
例えば、アマゾンにしろグーグルにしろ、ああいったデータベースがAPIと共に公開されているメリットとしては以下のような要素が考えられます。
1) データの集積コスト
2) データへのアクセス・コスト
3) 開発と運用のコスト
4) 交渉と契約のコスト
そして、社会資本的な視点から考えると(4)の交渉・契約コストの低減というのは、もしも試算できるのであれば非常に大きなコストメリットが推定できるのではないかと思います。
ネット広告が相変わらず個別かつ人的なリソースに依存し続けていたら、法律関係者にとっては嬉しいかも知れませんが、代理店の広告販売コストはその分大きく跳ね上がります。
■ソーシャルデータベースは交渉と契約のコストを一括低減できる
また、(4)の概念を拡張すると、そもそもソーシャルなDBへのアクセスそのものが交渉・契約コストの大幅な削減に効いています(DBの開発や運用を相互に執り行うことは従来非常に高価なスキームだった。それは設計・開発だけでなく、運用面のコスト負担が非常に高かったから)。
ソーシャルなDBを個別に囲い込んだとしてもその収益獲得は難しいでしょうが(だからこそ付加価値DBは大手企業しか参入できなかった)、それ以前にそのDBを相互運用する際の折衝や契約も大変です。
だからこそ、現在のアマゾンやグーグルがウェブの生態系に於いて大いなる優位性を構築できているのだとも言えそうですが。
この先、ソーシャルデータベース的なアプローチでオープン型のビジネスモデルが進んでいくとすれば、商品購買や広告出稿などの限られた分野に限らず、様々な分野で社会行動のネットワーク化が進むでしょう。
■ソーシャルDBによるマッシュアップとは?
そして(4)の交渉・契約コストがさらに低減することによって、社会資本的なコスト負担の構造は変わっていくでしょう。
すぐに思いつくのは知識資本(という用語は余り一般的ではないようですね。他に適正な用語ありそうですが)の流動化です。
特許等の活用、専門的なノウハウの共有(人材教育等)、教育機関と就学者とのマッチング、エキスパートの就労などは付加価値が高いので、実装への意欲も自ずと高まりそうです。
たとえば、特許申請のために最適な弁理士を検索して、クレーム作成の見積もりがその場で即取れる・・そんなマッシュアップなどはどうでしょうか?このようなサービスは個々の企業のみならず産業全体の生産性を大いに向上することでしょう。
■クリエーティブコモンズも社会関係資本形成のひとつとして考えられる
ここでようやく著作権問題に戻るのですが、クリエーティブコモンズは元来(その高邁な理想論は素晴らしいと思いますが、それと同時に)社会資本的な意味で産業に及ぼすインパクトの非常に大きな提案なのではないでしょうか?
実際、著作権契約というのは、本来非常に少数の著作者が非常に多くの消費者に向けて著作物をリリースすることを前提に構築されています。
ですから、法務部はある程度の雛形をベースにしつつも、個別の著作者について細やかな対応をすることも可能ですし、その対応力は個々の企業格差はあったとしても相当高かったりもします。
少なくとも、既存のテンプレートやルーティンから大きく外れない限りはかなりの交渉が可能です。
でも、最初に取り上げた記事に代表されるように、CGMを通じて著作権者の数が数万とか数百万、ひょっとすると数千万のオーダーにまで増大した場合(もちろん、商品化されて市場向けにリリースされるコンテンツは非常に限られた数になるでしょう・・ただ、プロトタイプ的な商品も含めてネットワークに流通するような事態を想定すると絶対数はかなり増加するのでは?)、既存の著作権契約的なテンプレートおよびそれをベースにした個別交渉のルーティンは途端に難しくなります。
しかも、交渉窓口や交渉機関に人を配する事=コスト要因ですから、ユーザー同士に問題解決させる方法を検討する必要もありそうです。
■新しい著作権契約のための土台とは!?
そこで考えられるのは、以下のような方策です。
1) できるだけセルフサービスにしておく(自己申告、自己確認がベース)
2) 共通理解可能なテンプレートを流通させて公共的に利用可能にしておく
3) 紛争解決のためのソリューションをできるだけ安価かつユニバーサルに準備しておく
4) 洗練されたマネタイズのチャネルを構築しておく(透明な利益還元方法の実現)
クリエーティブコモンズのアプローチは上の(1)と(2)への回答としては非常に優れた提案のように思います。
また、そのような提案があることで今後飛躍的に伸張する筈のユーザーコンテンツをより効率的に流通させるための適正なチョイスが増えます。
それにそのチョイスを実践的に検証できるということにはとても意味があると思います。
そして、そのようなトライアルを経ることによって全体的な交渉・契約コストが低減する=ネットワーク社会資本が豊かになる恩恵は計り知れないでしょう。
■ネット社会資本形成で日本が後退しているのは事実だとしても、その原因は何なのだろう?
ところが、現在取りざたされている著作権法改正は、そのような趨勢には全く寄与できないように感じます。
それは社会資本としての豊かさ(交渉・契約の円滑化)を実現することによって、社会全体が知的財産流通の恩恵を享受するという方向には全く向かっていません。
宋文州さんがご自身のコラム「宋文州の単刀直入」で発言されているのですが、
これまでの日本はそのトラブルを減らすために多様性を抑えてきました。何かの相違と論争があるとお役所はすぐ規制を考えます。確かにトラブルは減りますが、多様性も創造性も活力も同時になくなります。おまけにその規制を考案したり、実行を監視したり、違反者を取り締まったりするために役所が肥大化していきます。これが日本国の財政赤字が危険な水準までに膨らんだ最大の原因かもしれません。
日本人として日本のよさを感じる機会の多い自分としては、上のような指摘に納得すると同時に何か日本ならではの解決策や出口がないのだろうかと考えるのですが、どうも現状のオープン型ビジネスモデルに於いては日本企業は常に後塵を拝し続けているようです。
考えようによっては、
1) 闘争よりも和解を好む
2) 個の利益よりも集団的な恩恵を重視できる
3) 協調的に社会資本を増大させるような取り組みが可能な知的資質を有している
というような特質は日本社会に見出しうると思うのですが、 「ソーシャル・データベースの相互運用」的な方向性に於いては日本企業の活躍は見られません(Ruby界隈やはてななど一部の例外を除いて?他にも事例があるとは思うのですが余り思いつきません)。
■絶望するには速すぎる!?
ただ、絶望するのは速すぎると言いますか、仮に著作権法が改悪されたとしても、日本発のウェブビジネスが新しい局面を作れる可能性はまだまだあるんじゃないかと思っています。
たとえば、今回のドワンゴ+クリプトンの共同声明などはその一端を物語っているように感じます。
なにかと批判の多いJASRACですが、要するに、その前提としているスキームが余りに旧態依然でネットワークの新しい生活感覚や行動パターンから乖離し過ぎている訳です。
そういったなかで新しい著作権契約のプラットフォーム実現に向けてのチャレンジが実践的に始まるとすれば、それは非常に価値ある試みです。
世界中のブログのうち約3割が日本語によるもの、、など、CGMについての日本人の積極性にはやはり何かがあると思います。ニコニコ動画やケータイ小説などもその現われの一部でしょう。
■CGMにとって最適なコンテンツ流通とは?
クリエーティブコモンズは残念ながら(と言うのも少し変なのですが)、紛争解決の手段や利益獲得の手段ではありません。ですから、JASRAC的スキームが古ければそれに代替する手段を構築しなければなりません。
そこに利用者と著作物がある限り、それは企業と市場の対象といえます(パブリックな権威はどこかで必要になるかも知れませんが)。
しかもダウンロード違法化への動きとは全く異なる積極的アプローチとして「ユーザーコンテンツをどう扱うべきなのか?」その経済化の循環システムをネットの側で企画・検討・開発・実装・運用することによる成果は、いずれは実を結ぶのではないかと考えます。
■製造業(モノづくり信仰)という囚われから脱却は可能なのだろうか?
ただ、最後に敢えて課題を提起すると、従来、日本の企業群には産業資本的なコンセプトでずっと闘ってきたという歴史があります。
ですから、企業ファイナンスや企業の行動規範(企業理念などに代表される、“奨励される”行動パターン)、事業計画の立案面、市場の評価基準など、あらゆる面で「産業資本=非常に粗くまとめると製造業=工場の稼働率を高める事が生産性の指標となっている」的なコンセプトが染み渡っています。
これはもはや遺伝子レベルか?というレベルまで深く浸透しているように感じるのですが、でも、歴史を振り返ればそれほど旧い代物でもありません。明治維新以降の富国強兵政策から戦後の産業復興を経て鍛錬、蓄積されたものでしょう。
■新しい企業スタイルとは、今までの価値観の転倒の先にあるのかも知れない
この“囚われ”は、もしかすると戦後の目覚しい成功体験による盲目化なのかも知れません。
でも、この「製造業という思考スタイル」や価値観を疑って掛かる姿勢がないと、冒頭の「ソーシャル・データベースの相互運用」的なオープンアプローチの実現は難しいでしょう。
なぜかというと、「産業資本」的な発想と「社会関係資本」的な発想とでは資本獲得や資本配分のアイデア(これが異なるということは、企業としての行動規範が全く異なるということを意味します)が異なるからです。
ウェブ企業は一見開発などしているのでモノづくり企業なのだと理解されがちですが、実は、関係性を捉えてそれを収益化するという点でメディア企業に近いのです。
しかもプラットフォーム提供的なメディア企業だと考えれば、媒体内のコンテンツを創造する訳ではないので、既存のメディア企業ともかなり様相が異なってきます(そういう意味では、旧来のメディア企業に於いては製造業的な価値観が強かったのかも知れません。プラットフォーム型のウェブ企業にはサービス業の側面もあります)。
■ネット社会資本の形成には誰でも参加できるし、古い価値観に染まってないニューカマーの方が適している筈
ですから、日本的なウェブ企業の次世代系は、むしろ「作らない」「売り込まない」「占有しない」といった従来余り無かった形態になるのではないでしょうか?
そしてネットカルチャーに対応した新しい著作権契約のプラットフォームが議論、検討されることは、やがてそういったニュータイプの企業が躍進することを強く後押しするでしょう。
ですが、そのような状況は、従来型の産業資本的コンセプトからはかなり受け入れがたい側面を有していますし、グローバル化への反動として起こっているであろう「モノづくりニッポン」への回帰的風潮を考えると、相当な反発がありそうです。
「古い価値観からすると全くナンセンスと思えることが、新しい価値観に照らすと正しい。」それを受け入れる柔軟さは官庁には全く期待できないと思いますが、同時に従来企業及び経営者層にも難しいかも知れない。これはなかなか難しい問題だなと思います。
それは、産業資本から社会関係資本へのファイナンスの転移が進まないと、当然その構造的な転換が遅れるからです。「敵は内部にいる」というのは、この場合言い過ぎでしょうか?
日本でオープン型のウェブビジネスを進めていく上での障壁は、考えれば考えるほど大きいのです(ここから先は、銀行融資や補助金申請時の愚痴になりそうなのでやめておきます・・苦笑)。
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初音ミク問題とダウンロード違法化に際して感じた問題意識をクリエーティブコモンズ界隈(ネット社会資本としての著作権契約プラットフォーム)として再整理してみたのですが、かなり粗い内容ですし、突っ込みどころ満載だと思います。
ですが、こうしたエントリーが今後のウェブビジネスを考える上で何らかの材料になればと思い、敢えて生煮えのまま提出しました。異論反論お待ちしております。
■以下は、忙しい人向けのまとめです
■オープン型ビジネスモデルとネットワーク社会関係資本の形成
・オープン型のビジネスモデルは、コードの参照、APIの利用、情報・知識の共有からソーシャルDBの相互運用へ
・データベースをネットで共用できるメリットは大きく、それには社会資本的なコスト構造を変える側面がある
・オープン型のビジネスモデルは、交渉・契約のコストを一括低減する効用が考えられる
・オープンソーシャルの広告モデルがホットなのは個人個人の社会行動にアクセスできるという状況が実現するから
・日本がオープン型のビジネスモデルに追従できないのはなぜだろう?本来順応しやすい特質を有している筈なのに
■新しいコンテンツ流通のための契約プラットフォームとは?
・従来の著作権契約は非常に少ない契約件数を前提にしていたので、CGM的な膨大な数量のコンテンツには対応しづらい
・CGM的なコンテンツ流通に対応できる新しいプラットフォームはセルフ・サービスなど新しいスキームであるべき
・クリエーティブコモンズは紛争解決や利益還元のツールではないが、交渉・契約コスト低減には優れた提案
・日本発のビジネスモデルが将来新しいコンテンツ流通モデルに寄与する日が来るかも知れない
・新しいコンテンツ流通モデルを実現する為には、著作権法改正及びダウンロード違法化は寄与できないだろう
■製造業的コンセプトとは異なる新しい企業アプローチとは?
・新しいコンテンツ流通モデルは新しいタイプのウェブ企業の台頭を後押しする
・製造業的コンセプトからは好ましいと思えないオープン型ビジネスモデルには経済界からの反動が想定できる
・ただし、ネット企業がネット文化と対話することで新しいコンテンツ流通モデルにチャレンジすることには価値がある
・新しい価値観は製造業的な従来コンセプトの転倒・反転から生まれるのかも知れない。ニューカマーの特権として
・究極的には産業資本的産業から社会関係資本的産業へのファイナンスの転移が必要なのでは?
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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