■UGC/CGM至上主義もプロコンテンツ擁護論も対立図式を乗り越えられない件
ニコニコ動画が震源地になっている初音ミク界隈なのですが、どうしても「対立図式」になりがちなプロアマ議論、あるいは「上下構造」に陥りがちなUGC/CGM議論を少しだけズラシてみたいと思っています(あんまり長いので前後編に分けました)。
現在の「初音ミク」の水準は、プロ歌手には及びもつかないだろうが、音痴の素人を使うよりは明らかにましといえる。今後技術が向上すれば、半端なアマ歌手、さらには半端なプロ歌手をも上回る「実力」を持つようになる可能性だってあるかもしれない。そのときには、楽曲自体の優劣が「最後の砦」になるかもしれないし、少なからぬプロが高度なアマとの競争に負けて「失業」することもあるかもしれない。
こうした流れは、実は情報技術の発達によって他の多くのメディアにおいても起きている。出版業界も、新聞業界も、映像業界も、ネットとの競争にさらされているが、その「競争」の少なからぬ部分は、ネットの向こう側にいる「そこそこの腕をもったアマ」たちとの間で生じているものだ。
もともと音楽業界は、アマやセミプロたちの活動がさかんであり、プロとの境目も他業界ほどはっきりしていないところがある。「初音ミク」は、これが「歌」という領域でも生じうることを示した「もう1つの例」といっていいのではないか。
『初音ミクをめぐるプロとアマの「差」 』 駒澤大学 准教授 山口 浩
ここで述べられている見解は、現時点での初音ミクを巡るプロアマ議論についての妥当な理解だと思います。
リアルエコノミー(貨幣化された経済)まで対象を広げる以前に「アテンション=コンテンツを聴取する時間」を獲得する競争という観点で見れば「プロとアマ」は常に競争状態にあるのだと言えそうです。
ただ、ここで注意しなければいけないのは、ここで競争を繰り広げているのは本当に単純な「プロアマ図式」なのか?という点です。
言い古されたことではありますが、メディアのアーキテクチャーは表現そのものを変革します。ニコニコとミク界隈を見てもニコニコのアーキテクチャー(集積と配布のメカニズム、創作・編成・配布のプラットフォーム) が旧来メディアから大きく変化を遂げていることが、(初音ミクの投入を経て)目の前の新しいアマチュア層の登場と活躍を支援しているわけです。
ですから、もう少し巨視的にみてみると、その競争状態とは、「新階層」と「旧階層」と(という定義が正しいのかどうかは微妙ですが)の競争以前に「新プラットフォーム」対「旧プラットフォーム」との競争と捉え直すことも出来そうです。
■新しいメディアのアーキテクチャーの発生は新しい競争状態をつくる
そして、実はその「初音ミク」界隈に於いても様々な競争状態が起こっています。
それは単にニコニコランキングの順位争奪戦だけでなく、例えば「HMO(初音ミクオーケストラ)」などの特徴的タグ・グループ内で日々刻々展開されているような、個別の音楽カテゴリー(これも単なる音楽ジャンルに限らずMAD動画などの編集方法、個性的歌唱法、アニメとのひも付きなど、タギングの切り口によってどんどん拡張されています・・また、タギングそのものに堪能なタグ職人的な動向も見受けられます)ごとの競争状態がある訳です。
そこではいったんプロアマの境界は解消されています。むしろ、匿名性とタグの追加(これが作家を特定可能にする)によって動的に人気作家層が形成されているというダイナミックな競争状態こそがニコニコの特徴です。
プロアマを問わず利用アーキテクチャーの乗り換えと新しい競争状態の招来という側面からネットを捉えることも出来そうです。
写真共有サービスFlickrなども既にプロのフォトグラファーにとっても重要なプロモーションツールになっており従来図式の「プロ対アマ」という構造だけでは捉えにくくなっています。
また、新しい秩序(例えばプロアマ的な階層構造)は早晩形成されるとしても現状の混沌(アーキテクチャーの変化)は様々な試行錯誤を作り手に対して要請しています。
なにしろ、その環境は常にダイナミックに変化し続けている訳ですから。例えば、どういった作品を、いつどのようなネーミング、サムネイルで投入するのか?の見極めなどニコニコ職人にとっての重要な関心事項です。新しい環境は新しい競争をもたらしています。
■実はフラットでもなんでもないUGC/CGM環境 直感的インタラクティブマーケティングなケータイ小説
このような状態は、実はケータイ小説分野でも顕著です。
たとえば、あるケータイ小説サイトで書籍化された人気コンテンツの刊行時点でのページビューは約200万PV。そのサイトのトータルアクセスが2億PV@月間ですから、累積とはいえ相当なアクセスを1コンテンツだけで稼ぎ出していると言えます。
ちなみに200万PV前後あると初版部数は2万部程度のオーダーで発行可能(最終的な刊行部数は増刷次第でそれにアドオンされます)ですから芥川賞作家クラスと比べても遜色ありません。
ただ、この事例にしても単なる化学反応的な突発事件としてそのコンテンツが突出した訳ではありません。
これは作家さんにお話をお聞きして感心したのですが、足掛け2年に渡って手を換え品を換え相当数の作品を投入しながら「どういうキャラクター設定で」「どういうストーリー展開を」「どういう文体で進めていくのか?」の(ディープかつ継続的な)リサーチをしているのです。
作品投入がマーケティングであるという感覚はケータイ世代にとってはごく自然な感覚です。ケータイで小説を書くというアクセス経路が開かれているかどうか?は“インタラクティブな読者体験とどう付き合っていくのか?”と表裏一体で、その感覚を皮膚感覚的に持っているかどうかはケータイ小説作家の生命線ではないかと感じます。
もちろん、そのマーケティング過程は非常に直感的なものであって、計画的なマーケティング行動といえるようなものではありません。
それに、その投稿活動そのものは「書きたい」「伝えたい」「表現したい」という作者の意欲や熱意がまずありき・・なので、通常は「開発」と「製造」「販売」「販促」がはっきり分離している企業のプロモーション活動に比べると、より有機的で繊細なマーケティングだと感じます。
そして、そのようなマーケティング行為が可能なのも、「個々のジャンルごとの競争状態」、つまり「個々のジャンルで投稿している作家群」と「それぞれのジャンルで購読し、反応してくれる読者群」があるからです。
要するに、ここでも「創作・編成・配布」のアーキテクチャーが創造行為をより市場(ここでは潜在的市場というべきかも?)に対して最適化できるプラットフォームとして機能をしていると思われます。
この件については、実際の事例も含めて非常に興味深いことが多く見受けられるので、機会があればまた掘り下げてみたいと思います。
(後編に続きます..)
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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