今まで個展『物語の終わり』に向けてエントリーしてきたアーカイブを再編集して総集編にしました。
ある程度まとめて読むことで伝わる文脈性を意識して再編集していますので、ご興味のある方は再読いただけると幸いです。
■モナリザの秘密の微笑み
美術史上、最も有名なトランスセクシャルは?と考えると、レオナルド・ダヴィンチのモナリザではないかと思います。
もちろん、モナリザのその正体については歴史的にも、現時点に於いても全く諸説紛々で相変わらず謎のままです。
そのなかで、実はあの肖像はダヴィンチが自らの自画像を描いたのだという説もはっきり言って荒唐無稽な気がしつつも、イメージの広がりという点ではなかなか面白い指摘ではないかという気がします。
そして、それを現代に於ける写真技法を用いながら、自らを実験台にして再現(?)したのが森村泰昌ですね。彼は、そのシリーズに対して「美術史の娘」という、非常にアイロニカルで意味深長なタイトルを付けていますね。
■遭遇する瞬間にタジログ!
いきなり場面が変わりますが、
最初は、『なんて小顔で』『華奢な』『美形の』少年なんだろうか?と思ったのが、地下鉄のホームで電車を待っていた高校生でした。
ショートカットで細身。ちょっとダブついたズボンとか、雑に巻いたマフラーとか、きちんとしてないのがオシャレだなと思いました。・・んだけど、『何かが違う』。そう、良く見ると、“スカートの下にズボンを履いた女子高生”だったのですね。
ふだんからTSやTVを意識した撮影のことを考えているので、最初は“女性化傾向を持った男の子”だと思ったのですが、何のことは無い“寒くてズボンを履いている”ってダケだったんです。でも、それに気づくまでは、いろいろなイメージが脳裏を駆け巡りましたね。
“少女化しつつある少年”と見えなくもないし、逆に“少年化しつつある少女”と見えなくもない。恐らく、その娘はそんなミスリードを全く予想も予期もしていなかったと思うんですけど、一瞬だけにしろトワイライトな時間を過ごすことができました。
■破壊力だけはあった一瞬について・・
フィールドワークとかそういうことではなく、単に、“Wii”を物色しようと思って秋葉原に出かけたときだったのですが、“ヒゲづら”で“化粧ゼロ”の青年あるいはオッサン(!)が、自然体で制服女装していたのに遭遇しました。
しかも別々に2名。なにしろ場所が場所だけに誰も突っ込まない(いや、どこであっても突っ込みづらい)のだけど、その自然体が余りに不自然で、いったいどう解釈したモノかかなり考えましたね。
・何かの罰ゲーム
・新しいコスプレのトレンド
・もともとそういう嗜好性が世の中にあった(けど、気が付かなかっただけ)
果たして、どれなのでしょうか?僕には全く見当が付きません。現地で見かけた方、あるいは当事者の方、よろしかったらお教えください(笑)。
僕の感覚ですが、たとえ美的にイケテナクても、異性装的なスタイルを開示する場合には何かしら“化粧する努力”とか何かしら、女性化しようとする意欲を第三者に伝えるための“装い”が見られるのが通常なのですが、この場合はそれが全く無かったので、少しだけショックでした(決して、非難をしているワケではありません)。
つまり、“着ぐるみ”としての女子高制服だけをスポッと被っているような様子だったのですね。
ここまで来ると、ヘタな現代アートのパフォーマンスやインスタレーションは、軽く粉砕されそうな、そんな破壊力をそのまま受け止めるほかありません。それだけコスチュームとジェンダーを巡る社会システムというのは強固なのかもしれませんが。
※厳密に言うと、その制服がコスプレ衣装だったのか(架空の学校の制服)、それとも現実に存在する制服だったのか?は、見極める必要があったのですが、僕には見極めが付きませんでしたね。
■朝日新聞文化欄に取り上げられた『計画』
さて、少し唐突ですが『計画』と聞いて何を思いつきますか?12月9日の朝日新聞文化欄で取り上げられてmixi上ではそれなりに話題になったのですが、固有名詞の『計画』とは、“女装少年”のコンテンツを主体にしたイベントの呼称です。
そもそも“コスプレというモード”が定着したのは本当に最近のことです。
特にコスプレ文化圏以外の“世間”から認知されたのはここ数年のことだと言っていいでしょう。
最初はアングラ的な場所だったメイド喫茶が社会的に受容されたのも、それほど過去のことではありません(※こういう新風俗の登場と定着の速度には目を見張るものがあります)。
ですから、男の子が女の子のモードに身を包むという行為が、まだまだ認知されていないことは決して不思議でもなんでもないのです。だから、冒頭の朝日新聞記事はmixiの計画系コミュでは『意外な(あるいは唐突な)』記事として受け止められていました。
■女装少年の進化論
そして、既にある程度の歴史のあるコスプレマーケットに於いても、まだまだ女装コスプレは市民権を得ているとは言えません。
特に屋外で開催されるコスプレイベントでは女装コスプレ禁止を公然と謳っているところの方が多いと思われます。そういった抑圧状態があるからこそ始まったのが、『計画』ではないかとも考えます(詳しい方のコメントをお聞きしたいところです)。
ですから、『計画』はいままでもあるていど(社会的には黙殺されながらも)可視化していた服装倒錯とかクイアーの領域とは全く異なる源流から発生したムーブメントなのです。
ところが、『計画』に象徴される女装コスプレは、その先鋭化に伴って、かつての“美少女キャラクターのシミュレーション”という位置付けから大きくシフトしていきます。
それは、女装コスプレそのものの目的化です。
■ガール・ミーツ・ガール ボーイ・ミーツ・ボーイ
テレビ東京で放映された『かしましガールミーツガール』。これは、もともと少女的な容姿を有していた少年が、宇宙船墜落事故に巻き込まれたどさくさで本当に少女化してしまい(墜落前に振られた)片思いの少女と、自らが少女として変身した姿でふたたび出逢うというストーリーです。
また『放浪息子』というヒットコミックは、高槻くん(高槻よしの)という男の子になりたいと思っている少女と、二鳥くん(二鳥修一)という女の子になりたいと思っている少年とを巡る心理劇なのですが、これもその心理描写の巧みさもあって強く支持されています。
『ゆびさきミルクティー』という先輩格のコミックもありますが、この作品も相変わらず売れ行き好調のようです。
これらの作品が現しているのは、もはやかつての“少女シュミレーショニズム”ではなく、少女化少年そのものが、コミックカルチャーやアニメカルチャーの先端を疾駆しているという現状です。
少女化した少年はもはや美少女をその理想とはしないのです。少女化少年そのものが理想足りうるのです(BLコミックが主に腐女子と称される文化系少女を読者対象にしているのに比べて、少女化少年を扱う作品は男性読者が主たる対象になっているようです)。
■少女化少年の未来系
ただ、だからといって早晩コスプレマーケットが女装解禁になるとは思えません。
それに、『計画』に限らず、女装少年系のイベントが一躍市民権を獲得して一大イベントとして飛躍するとか、はたまた、メイド喫茶のようなスタイルの女装少年カフェが秋葉原に登場するのも、まだまだ先のことのように思います。
でも、少年達が美少女のイノセンスを身にまとって(美少女コスプレ)自己同一化を図っていくというプロセスは、ついに自らの女性化を願望するステージに至り、しかもそれを実現しつつあります。
しかも、それがゲイカルチャーの文化土壌からではなく、日本のアニメ、ゲーム、コミックなどのカルチャーシーンから出て来ていることには注意を払ってもいいと思うのです。
そこには、今までのジェンダー観を巡る社会状況の地殻変動がしっかりと潜んでいるように感じるのです。
■ネットポルノが浸透することによる変化の本質とは?
そこで、ジェンダー(社会的性別)がセックス(生物的性別)にも再帰的に影響を及ぼすことがあるという記事を(出典不明)読んで思ったことなのですが、それは特に、青年向けポルノグラフィの売上低迷について主たる要因として語られるネット・ポルノの普及についてのある仮説でした。
つまり、ネットポルノの日常的受容によっても、性的志向性の多様化はゆったりと(でも、結果としては非常に先鋭的に)進んでいく可能性がある。というひとつの仮説(というよりは思いつきに近い?)でした。
まず、ポルノグラフィがネット体験として個別的に(全国一律の流通ネットワークを通じてではなく)受け入れられていく際には、そのコンテンツの選別基準や受け入れスタイルは、基本的に細分化して多様化の度合いを増していくはずだと考えられるのです。
■腐女子化する?ネット社会
そして、そうすることで、従来の単一的なマッチョ=“攻め・受け”で言うところの“攻め”一本槍が、やがて“攻め・受け”双方に柔らかく分解・転移し始め、やがて相互に交換可能なユルさを伴って分散化・流動化していく・・そんなヤワラカサの獲得を容易にする傾向があるように思います。
ポルノグラフィではありませんが、特に、いわゆる“腐女子カルチャーの象徴”ともいえるBL(ボーイズラブ)系コンテンツの醍醐味は、その脳内空間で繰り広げられる“性的転移現象を巡る遊戯的感覚”ではないでしょうか?
ーいや、女子ではない自分が女子の感じているであろう“ツボ”を勝手に想像して言っているので、肝心なところは本当に推測に過ぎないのですがー
たとえば、70年代少女漫画全盛期の同性愛傾向には、その空想的恋愛についての“妄想=知的想像力”が持ち溢れていたという読者体験から想起できるのは、そういった柔らかなトランスフォーム感覚なのです。
そして、この感覚は冒頭のネットポルノ体験が拡張するであろう“性的ポジショニングの不定型なダイナミズム”に恐らく通じ合う部分があると思うのです。
■女装少年=完全な美少女説
女装少年達を撮影する際に、僕は撮影そのものよりも会話をすることに数倍時間を割きます。なぜなら、ただビジュアル的に優れた被写体であるというスタンスでは撮影をしていないからで、もし可能であれば、そのライフスタイルだけでなく心象風景まで取り出すことができないかと願っているからです。
そしてそういった会話を通じて浮かび上がってくるのは、彼女達のある種ミュータント的とも言える先鋭さでした。
彼女達は、平穏を好み、対立や抗争を好まない。美しさを好むために審美眼に優れているだけでなく、自らもそのようにあろうという向上心・探究心が強い。ヒトからの思いやりを大切に受け止める感受性が豊かなので、ヒトにも優しく振舞おうとするところがある。自己愛的な傾向が強いが、盲目的な自己認定ではなく厳しい(辛辣なほどの)自己批評性がある。
このように印象を羅列しているとまるで申し分がないような気がするのですが、現実には社会的な許容からは程遠く、むしろ今まさに進行している日本社会全体の保守化傾向からすれば今後、より一層排除されていく懸念さえもあります。
■女装少年が時代の突端にいるという直感のみを記すとすれば、それは・・
ですが、既成概念のフィルターを外して正視するとすれば、知的に洗練され、自己研鑽に努め、博愛的感性を湛えた、新しいタイプの人間存在であることが見えてくると思うのですね。
そして、その背景にあると思われるのは性的環境のグラデーション化とも言うべき、性的スタンス、性的ベクトルの拡散・曖昧化と、流動化・動的転移の様相です。もしかすると、現象としてのネットポルノの浸透、偏在化などはその「動静」の一端(あるいは一助)なのかも知れません。
これはまだ直感の域を出ない、時代の変化へのファースト・インプレッションに過ぎないのですが、ここしばらくの撮影を通じて、そういった消息を強く感じました。その微かに吹き付ける風の“前髪を撫でる感触”が感じ取れるかどうか、それは実際に写真を見て確認してみてください。
■大阪で女装少年を撮影する
さて、大阪日帰りで撮影した子はどこから見ても女の子でした。とてもスレンダーで容姿も麗しいから非常に目立つのです。移動中も撮影中も始終臆面もなくジロジロ見られている(特に子供!関西の子供は遠慮が無い)。こんな視線を引き受けながら日々生活しているのかと思うと、少し胸が痛んだのですが。
撮影中もいろんなこと。例えば、恋愛生活、食生活、仕事、家族、趣味、生い立ちなど短い時間だったのだけど、とにかくいろんなことを聞いた。なにしろ脂肪分が少ないので、食事の時間帯も普通のインターバルじゃないし、食べるモノも無茶苦茶偏っているのです。
肉厚が薄いから、骨がそのままショックを受けるので、靴のチョイスも慎重でないといけない。転倒するとそのまま骨折してしまうだろうし皮下脂肪の燃焼を期待できないから冬場の外出も命がけだ。そういうリスクを抱えながらも、自分らしくあることへの意志を貫こうとしている姿勢に強い印象を受けました。
■曖昧な存在を巡る 複雑な視線について
周囲の友人達の見方も様々で、その性的ポジションをどう当てはめて扱えばいいのか?理解の無い人たちはかなり的外れな捉え方をしてしまっていて話がかみ合わない。性転換なんて考えていないし女性ホルモンも摂取していないのだけど、どうしても既にある性的枠組みに当てはめて考えられがちなのだ。
でも、彼女が、そういう誤解とか無理解をそんなに嘆くわけでもなく、自分なりのスタイルを編み出そうという前向きを持ち続けられているのは、きっと恋人や家族の温かい理解、思いやりがあるからだと感じた。
■省エネではない生き方から見えてくること
たとえば、彼女と話していると彼女が人との関係性や性的な位置づけなどに対してとても微細でニュアンスの豊かな言葉の選択・受け答えをしていることに気付く。
そうすると、当然、ふだん自分がいかにそういった面で楽をしながら、イージーに言語処理しているのか?と、いうことがよく分かる。既定の枠組みにはめ込んで理解したり対話したりっていうことは、恐らくそういった省エネ運転的なラクをしているからこそ可能なんだろうと思う。でも、そのことで、結果として見落としていることが沢山あるだろうということに改めて気付かされる。そういう貴重な機会を与えてもらったと思うのだ。
■撮影メモランダム その1
そして、展示用の画像をチョイスする段階で主に女性の意見を聞いたのだけども、実は、そこで一部面白いなあと思ったコメントがありました。
「胸が無いのが受けるんでしょうね。敵愾心を煽らないから・・」
これは結構意味深い台詞のような気がした。そう、今回撮影した際に撮影をお願いした人たちは、しばらく以前まではある程度普通に存在した女性化の象徴とも言える“バスト”への差し迫った獲得願望を持っていなかった。
それを統計的な傾向としてどう捉えるか?あるいは、女性化志向全般のトレンド内でどう位置づけるのか?といった側面についてはなにしろ事例が少なすぎるし、しかも、今回の制作はドキュメンタリー作品ではないので、そういう知見を述べるべき立場でもない。
ただ、バストをことさら強調するようなベクトルではなく、独自の美意識を自らの感受性で獲得しようとしている志向性を強く感じた(女性の敵愾心を煽らない戦略などは恐らく存在しない。ただ、結果としてそういった平和的共存を感じさせるポジショニングが選ばれているような面は、もしかすると無意識的にせよあるのかも知れない)。
■撮影メモランダム その2
また、これは撮影のときに感じたことなのだけど、彼女達は非常に動作がイレギュラーで、普通の速度で歩きながら唐突に(普通の場所でも)転倒しそうになることが多かった。
この件を指して、同じ女性が述べていたのが、
「彼女は、きっとオトコ性としては生きづらい(たとえば運動能力など相対的に比較すると)面があって、だからこそ女性化に向かっている面があるのではないか?」
ということだった。正直、それはなんとも言えない。女性化といってもそのベクトルやモードは本当に千差万別だし、動機にしてもこれをひと括りにできる筈もない。
でも、一方で思ったのが、「より効率よく」「よりバランスよく」「より勤勉に」といった社会的プレッシャーの中で、ひとつの選択肢として、そういったプレッシャーからゆるやかに自己を解放する方法論として女性化というチョイスを選択するという考え方もアリなのでは?ということだった(でも、だから女装者が社会不適合者だというような短絡した結論を導きたい訳ではないので念のため)。
これは先ほどのバスト問題(オンナ性との融和)と比較すると男性社会の競争ルールからの逸脱という言い方も可能だと思う。ただ、これは余りに杓子定規に過ぎるだろうし彼女の本意からはきっと大きく乖離しているようにも思う。
■少女化少年は好戦状態の対極なのだろうか?
この企画を進めるに当たっては、美術家の新野さんに撮影したシリーズ内容をじっくり観ていただいた。
その詳細は省きますが、その場のやりとりを通じて感じたこととして、女性化する男の子というのは、突き詰めると『戦争』の対極に向かっている存在なのだなあということがありました。
反戦や非戦に向かう動機付けは本当に様々なのだと思うのだけど、『戦争』に向かう態度に対して、反戦や非戦が向き合うスタンスそのもののなかに“力対力”、“権力対権力”という新たな二項対立をもたらす傾向性が含まれていることは、決して想像に難くない。
テロリズムに対してのアンチ・テロリズムが、新たな暴力の連鎖を惹き起こしている世界情勢・政治力学は既によく知られている。
サバイバル的に体をシェイプし、美しく装い、メイクすること。そしてその奥にある女性化の態度は、そういった“力への志向性”の対極にあるように感じる。
無論、彼女達が理念としてアンチ戦争を唱えている訳では全く無く、生き方とか価値観の向かうベクトルが、『好戦的態度』の彼岸にあるというだけだ。
■スカートとズボン 地下鉄の情景 その2
そんなことを思っていたら、今日地下鉄の車内で見かけたのがスカートの下にズボンを履いた女子高生三人組だった。
ホームで見かけるのと違い、しっかり観察する余裕があったので様子を眺めていたのだけど、あのズボンはその高校の男子生徒のズボンではないのですね。
ジャージというか、ジャージよりももう少しだけしっかりしたトレーナー地のオーバーサイズのパンツをスカートの下に履きこんでいるのだということが分かった。
それにしても、敢えてスカートを残している理由がよく分からない。一時期フェミニンな(e.x.レースやカシュクールの)スカートの下にジーンズを履くという流行があったのだけど、あの流れに沿っているといっていいのだろうか?
あと、面白かったのが、スカートのように、下着が見えることを気に掛ける必要が無いために、彼女達が気兼ねなく足を開いたまま“ドカッ”と椅子に座っていたことだった。
■コードとモード 萌えと女装を敢えて分類すると
シンプルなフェミニズム論者からするとその様子はジェンダーの解放として目に映るかもしれないし、逆に保守主義的論者からすれば伝統的女性美の凋落として見えるかもしれない。また、合理主義者に言わせれば、寒いから着込むのは当然!というだけの現象だろう。
でも、僕が感じたことは、もはや女装少年達の理想像の位置には、もはや現実の少女は存在していないのではないか?と、いう感触だった(最初に触れたポイントに重なりますが)。
そして、その価値認識(抽象的少女像への憧憬)が、いわゆる“萌え”の感覚と、いったいどのように繋がっているのか?は新野さんから尋ねられたポイントだったのだけど、
萌え=コード(知的領域が主) 着ぐるみ的
女装=モード(感覚領域が主) 第二の皮膚的
の差異が、そこにはあるように感じる。
余りに煮詰めないままの“生”の感触なのだけど、僕は今のところそんな感触を持っている。着ぐるみを“イベント的”、第二の皮膚を“生活的”と置き換えることも可能だ。
■フーコーの「性的な欲望の装置(知への意志より)」
さて、最後に、このシリーズは『物語の終わり』、つまり、近代的な文学の背景には常に男女の相克(二項対立)が潜んでいるのではないか?と、いうことと、同時にポスト近代(さらに言うと、高度消費文化が達成した都市生活に於いて)では、そのセクシャリティの諧調化という構造の組み換えに伴って、従来の“物語の終わり”と“新しい物語の始まり”とが予感されるという問題意識を織り込んだ。
フランス人哲学者ミシェルフーコー(1926?1984)は、その動的構造を非常に明快に知の考古学とも言うべき手法によって解剖・開示している。
バイオ・ポリテイクス フーコー論二八章 (中山 元) http://polylogos.org/fou28.html
この『知への意志』の書物でとくに注目されるのは、フーコーがセクシュアリテの〈装置〉という概念を提示したことだろう。これはドゥルーズの提示した〈機械〉という概念に類似しているが、異なる面もある。フーコーはこの装置の概念について、婚姻の装置と性的欲望の装置という二つの実例で説明している。
婚姻の装置とは、社会における親族のシステムであり、許可されたものと禁じられたもの、定められたものと非合法なものを定義する規則のシステムの周囲に構築される。この装置は、関係のゲームを再生産し、関係を規制する方を維持することを目的とする。この婚姻の装置は、ドゥルーズ的な〈装置〉の概念でも理解しやすいが、特徴的なのはこれとは対照的なこの性的な欲望の装置の概念である。
この性的な欲望の装置は、社会のシステムの一部として機能するものではなく、身体の感覚、快楽の質を基礎として機能するものである。この装置は、生産し、消費する身体を介して経済と結びついている。生殖や再生産を目的とする婚姻の装置と異なり、性的な欲望の装置は身体を刷新し、併合し、発明し、貫いていくこと、住民をますます統括的な形で管理していくことを目的とする。
フーコーが提起しようとしてのはバイオパワー(生の権力 内的な規律)という、かつての権力批判と比較するとなかなか難解な概念なのですが、ここで述べられている「セクシャリティの個人内蔽化、規律の内在化」というミクロ的な力学は、たとえば、セクシャリティの諧調化というテーマを考える上で非常に示唆的なヒントを含んでいると考えます。
私自身は、諧調化のなかでみずからの存在をより柔軟かつセンシティブに追及し、そのノイジーで揺らぎのある「不安定な運動(あるべき姿への探索過程)」に、制度化・固定化のストレスへの自然な反応を感じるのですが、フーコーの言う「装置」概念に於いては、もはやそういったマイクロ運動でさえも内なる制度の自律運動の一部に過ぎないということなのかも知れません。
というと、ある意味非常に身も蓋もない悲観的な締め括りになってしまうのですが、いずれにしろ(もはや外部の強権力などではなく)内部化された制度を揺さぶること。そして、その揺さぶりを経て新しい価値観、行動の戦略を選択していくという場合に、セクシャリティとの格闘は恐らく避けられない問題だろうと思います。また、そこには、とてもクリエーティブな領域が潜んでいると考えています。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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