■投資と回収のサイクルを回す。マーケティングから見るパブリッシャーの「機能」
「fotolog.book」について、もう少しフォトブログそのものから離れて、ブロゴスフィアと書籍出版の繋がりについて書いてみたいと思います。
「fotolog.book」はThames&Hudson社というロンドンの出版社から刊行されているので状況は異なるかもしれませんが、出版社という業態は必ずしも“編集能力や制作能力”といったプロダクトづくりに関しての特有の能力や機能を持っている訳ではありません。
たとえばアート分野に即して言うとアーティストのコントロールやその作品群を元にエディットするパートについては、それらの「マネージメント」や「エディトリアル」に於ける外部エキスパートを起用すればいい話(そのほうがコスト効率が良い場合が多い)ですし、そもそも出版企画そのものも「持ち込み」という形で外部からオファーされるケースも非常に多いですから、プロダクトプランニングという段階からして内製に依存しきっている訳ではありません。
また、実際の物流だけでなく、書籍営業のフロントエンドや最終的な顧客(読者)との接点に於いても、特有のコミュニケーション能力を有している訳ではありません。
物流および営業機能に於いては書籍取次に多くを依存していますし、基本的には売り切り商品である書籍の場合はソフトウェアのような顧客登録とかいわゆるカスタマーリレーション的な継続性のある(BtoCの)関係性は取り結ばないのが一般的です。
じゃあ何をやっているのか?というと、基本は「書籍商品への投資と回収サイクルを回すこと」が主たる事業で、それは「書店の棚というマーケットプレイスに対してのマーケティング=特定顧客層に向けてのターゲットマーケティング」という形態に言い換えられるのではないかと思います。
もちろん、「書店の棚」が、「学校関係者」とか「病院関係者」とか「通信販売の主婦層」とか「地方の農村家庭」などそれぞれの顧客層に応じて変わりますから、「得意とする顧客(読者)層へ適切にリーチできるマーケットプレイスを対象にした書籍プロダクトのラインナップを企画・製造し、販売すること」と言い換えたほうがもう少し正確かも知れません。
■フォトブログからアートブックを出版する理由とは?
そういう前提で考えると、「fotolog.book」が商品として成り立つ根拠は幾らか考えられます。これも日本ドメスティックの状況があるので現実には英国と日本の出版事情の違いなど加味しないと正確な議論はできないと思いますが、アマゾンの売上が紀伊国屋書店新宿本店の売上を超えたことがニュースになるような現時点では、フォトブログに日々アクセスしてデジタルフォトを楽しんでいる層と、書店でアートフォトブックを購入している層との“ギャップ”はまだまだあると考えられるからです(ユーザーが被らないからこそビジネスが成立する)。
また、それ以上に重要なのは、フォトブログから何らかの見立てによって優れた写真をセレクトし、何らかの評価軸に沿って編集することによる価値観の提示は、出版社による「特定顧客層に向けた書籍商品の提案」というプロセス(ゲートウェイ)を通じてはじめてリアライズされるという点があります。
「編集され、価値提示されること=本にプライスタグが付けられること」によって、フォトブログというコンテンツプールに「星雲のように脈動している写真」群が、ある時点、ある視点で、たまたま写し取られたに過ぎないかも知れない天文写真のように書籍化されることで、はじめて「プロダクト化」します。
いや、きっと天文写真に比べればもう少し意図的・作為的なのでしょうが、いずれにしろ動態であったものが静止することで商品になるわけです。
でも、恐らく書籍の商品性を考えると、その「どこかで静止していること」が大切なのでは?と、いう気もします。本という商品は、「閉じて、動かない」からこそ利用しやすく役立ちやすい面がありますし、まずそれ以前に現在の本は、習慣的にそういうフリーズしたものとして認知をされています。
そういったなかで私が「fotolog.book」のエディトリアルを素晴らしいと思うのはアートブックとして十分に成立しうるクォリティの域まで、あの「日々流動する膨大な写真データベース=フォトログ」を相手に、編集力を駆使しきった点です。
また、その編集的な着眼点、アスペクトの面白さは、恐らく数年前までは考えられなかったワールドワイドに視覚体験を共有できる「場」そのものを編集対象として取り上げた点にあります。
ですから街の見え方にしろ人物の見え方にしろ(これらは従来写真表現が得意とした分野ですね)、その視覚は実に多様で見応えがあるのです。そういった新しい視覚体験をセレクトして提出した編集能力が、この本のトータルな付加価値を形成していると思います。
その価値提案の企画意図が、アートブックを購入する層の価値観にしっかり突き刺さるところまで到達しているというのが、私の「fotolog.book」への評価です。
■コミュニケーションのローコスト化がもたらす新しい出版業とは?
ウェブの進化に伴うコミュニケーションのローコスト化は、同時にプロダクションコストやエディトリアルコストに於いてもパラレルに深く浸透していっていると考えられます。まず、“カザフスタンに住んでいる6歳の子供が自分の飼っている羊の表情を写真を通じてオンラインでパブリッシュする機会”、またはそれを膨大なコストを払うことなく自然にブラウズできる機会、そういった出逢いの機会は、10年前にはあまりリアリティが無かったのではないかと思います。
また、「fotolog.book」のクレジット欄を見ても、ロンドンの出版社を通じて刊行されたこの本は、ブルックリンのエディターが編集をし、ベルリンの執筆者によってテキストが書かれています。ちょっと月並みな表現ですが、フォトログで収集された映像がブルックリンで編集され、ロンドンで刊行された書籍がアマゾンを通じて東京にデリバリーされるという、この伝達経路そのものがインターネットのプラットフォーム性を現しています。
もしかすると遠からずパブリッシャーは「特定顧客層に向けて適切な書籍商品を企画して投資回収する課金ゲートウェイ中心の業態」になるのでは?とも思っているのですが(デジタルデータの直接配信によって印刷工程と物流過程が無くなり、制作プロセスがデジタルネットワークによってより外部化していくとそういう方向にますますシフトするのでは?)、そう考えるとコンテンツプールとしてのブロゴスフィアがもたらすコミュニケーションとその成果が地球のどこかでエディットされ、さらに地球規模のスケールでデリバリーされるという循環はまだまだ多くのポテンシャルを秘めているように思います。
■新しい価値観の発見=新しい本の可能性
逆にパブリッシャーは、書籍物流や直接営業の束縛からより自由になって、「顧客の発見」「価値の発見」「編集の発見」という、「新しい価値を商品化して、それを認める顧客層に向けてデリバリーすること」にもっとシフトしていったほうが良いのかも知れません。
地球規模で考えれば、しかもロングテールの思考法で考えれば、新しい付加価値がたとえ非常にニッチで少数派に属する価値観であったとしても、その付加価値を認めて購入してくれる潜在顧客層というのは案外まとまった数でいるのかも知れないのです。特に異なる価値観を地域を越えて交換するようなスタイルであれば、その国では当たり前でどうってことのないコンテンツが、別の地域ではとても新鮮で新たに付加価値を帯びるようなケースがありそうです。
現状では、日本のパブリッシャーがそういった志向性を持って活躍する意欲や意志を持っているとは考えにくいのですが、そういった新しいビジョンを内包した出版社が今後登場する可能性はじゅうぶんにあると思います。
また、「fotolog.book」で提出されたような新しい視覚体験の兆候は、こういった書籍出版を機縁として登場してくる新しいアーティストの可能性もじゅうぶんに感じさせます。
少し特徴的な切り口に即して言うと、ここで登場すると面白いと思うのは、恐らく今までのアート市場とは全く縁のなかった「オンナコドモ」です。ただ、この場合の「オンナ」とは、単に女性というよりも主婦とかオバサンとかそういった従来アートシーンではせいぜい受容層としてしか扱われてこなかった層です。
それを切実に感じたのは、たまたま自分の興味で「眠る赤ん坊」の写真をFlickr.comで探したときに感じた、その映像品質の高さでした。たぶん、デジカメが普及する前まではありえなかったような、アートフォトとしても、しっかり鑑賞に堪えられるような高度な写真作品が、ごくごく普通の主婦の手によって撮られていることが自分にとっては結構衝撃でした。
また、こういった発見は、本の編集という「新しい価値の発見と定着のプロセス」を通じて、世の中に徐々に浸透していくのではないかと考えています。
参考エントリー:「fotolog.bookの衝撃 グローバルスナップショットを本として読む」
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
尊仁 on 2006/07/05
jx on 2006/07/04
katuteさん、どうも!流通が先で市場形成が後。かも知れないのですが、どこかでそういう新しい動きがあると面白いのでは?と、思っています。
あと、画商だけがひとり儲けると言うイビツな状況では余り未来が無いような気がしますので、できればそうなって欲しくないですね。
エクリチュール・・そうですねえ。分かりやすさはやはり大切だなあと思うのですが、結構書きながら考えているので、割とあとから書き直してます(笑)。少しでも伝わりやすくなるといいのですが。
尊仁 on 2006/07/03
最近楽しく読ませて頂いてます。
このシリーズでのセッションの目的はメディア形態の変容ではないですか?
受容体としての「オンナコドモ」が出現したなら市場形成がなくとも流通は起こってるわけでは?
なにせアートで飯を喰うのは画商の仕事でアーティストの、ではないでしょ。
私は平易である=フラット化する世界とは、当らず触らずな日本的状況を増長するので、個性あってのものだねと感じてます。
決して論争を起こしたいのではないので、先に白旗をあげちゃいます。
けど、カタカナを漢字に読み替えるくらい出来ないと最近の言論は理解できないと思いますので、現状のエクリチュールで大丈夫です。それを意識する余り書けなくなっては面白くありませんから。
katute on 2006/07/03
qpさん、どうもはじめまして。
恐らく一方的にアーティストだけ増加するという状況はあり得ないような気がするのですが(市場として成立しないので)デジカメやフォトログの普及が写真をアートとして楽しむ層を底上げしていく流れは今後起こってきてもおかしく無いと思っています。
あと、「平易な文」はもう少しなんとかしたいところです。日々改善です!
尊仁 on 2006/06/30
はじめまして。takhitoさん。いわゆる「オンナコドモ」がアーティストになるということですが新しいアーティストが増えるのはいいことだと思うんですが、アートを見る側が増えない日本の状況だと、どうなんでしょうか?ロングテールとかいわれてますけどパイが狭いようではどうしようもないのでは?あとこれは別件ですがもっと全体的に平易に書ける気がします。安易にカタカナ語とか専門用語は使わないでほしい。文章の中身、ものの捉え方は面白いので改善できればお願いしたいです。
qp on 2006/06/30
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「そんなの簡単極まりないぜ(なぜか不良風)」てな切り口で迫ったのがウォーホルではないかと思うのですが、その切り口でさえ高値に繋がるのがアート市場の面白さのように感じます。