前回のエントリーでは、現在の3D仮想世界のイマジネーションが「スノウ・クラッシュ」というSF小説から由来していることを紹介した。「スノウ・クラッシュ」で描かれるメタバースは、あくまでも現実世界と異なるもう一つの世界、すなわち「異界」である。
一方で、昨年のアニメ界の最大の収穫ともいわれる「電脳コイル」は、「スノウ・クラッシュ」とは異なる「パラレルワールド」ともいうべき仮想世界の可能性を見せてくれる。「電脳コイル」は、アニメーター磯光雄の初監督作品で、昨年の5月12日から12月1日までNHK教育で放送された。今でも再放送をしているので、ぜひ視聴してみてほしい。
舞台は2026年の大黒市という地方都市で、物語は、主人公の小学6年生の女の子ヤサコが、金沢市から大黒市に引っ越してくるところから始まる。大黒市は、町中に多くの神社が残る歴史的な町でありながら、半官半民の行政で電脳インフラが整ったハイテク都市でもある。
子供たちはみな電脳めがねという不思議なめがねをかけていて、現実世界にオーバーレイして、電脳ペットなどの仮想オブジェクトを見ることができる。
電脳めがねをかけるとどう見えるか
電脳コイルのプロモーション映像
ヤサコが飼っている電脳ペットのデンスケは、ヤサコと妹のキョウコにとっては家族以上の存在でありながら、電脳めがねをかけていないお母さんからは存在すら認知されていない。
電脳ペットのデンスケの姿を見たり、声を聞いたりすることができるだけではなく、手で持ち上げて抱きしめることもできるが、このとき肌でデンスケを感じることはない。この触れることのできない大切な存在デンスケが"ホンモノ"なのか、作品自体の大きなテーマへもつながっていく。
同じ日に引っ越してきた暗号屋のイサコは、イリーガルという謎の電脳体からキラバグという不思議な電脳物質を集めようとしている。小学校6年生の最後の夏休みをはさんで、電脳技術を用いた自動車の自動走行システム「電脳ナビ」によって起きた事件の謎や、電脳医療とイサコの悲しい過去の関係が明らかにされていく。
肌で触れられないのに手で持つことができるのは不思議な話だが、これは電脳ペットを持ち上げようとする手の動きをカメラが撮影し、そのデータがサーバーに送られた上で、サーバー上で電脳ペットデータとの相互作用が物理シミュレーションとして計算されるからだ。
電脳めがねや町中に散らばるカメラから取得した動画データはサーバーに送られ、現実世界を反映した3D仮想世界が計算されている。電脳ペットはこのサーバー上のオブジェクトであり、手の動きも含めて次の状態の電脳ペットの行動が計算され、電脳ペットを見ている複数の電脳めがねに投影される。2人以上の人が同時に一匹の電脳ペットを共有して感じることができるようになっている。
このような、現実世界に仮想オブジェクトをオーバーレイする技術はオーギュメンテッド・リアリティ(AR:拡張現実)として研究されている分野である。電脳めがねはARで研究されてきたヘッド・マウント・ディスプレイ(HMD)技術を日常生活になじむ形に変形したものだ。
磯光雄は、電脳めがねというアイテムを使って、すばらしい名シーンを見せてくれる。
第1話でフミエが電脳釣竿をポシェットから取り出すシーンでは、長い釣竿を小さなポシェットから手繰るように引き出している。いわば、ドラえもんの四次元ポケットができるということだ。
第4話の「大黒市黒客クラブ」では、イサコと、ガキ大将のダイチを中心とする黒客クラブが、小学校の校舎を舞台に対決する。黒客クラブは、「直進くん」という機関銃のような武器や、追跡ミサイル「追跡くん」でイサコを追い詰めるが、結局返り討ちにあってしまう。ゲームか映画さながらのリアルなシーンに息をのむことだろう。いや、アニメなのだから当たり前と言われると困るのだが、ARの技術を使うとこんなにも楽しい日常生活が待っているかと思うとわくわくする。
こんな素敵な世界が実現するのに、もうそれほど待たなくてすむかもしれない。ネットですでに話題となっているが、オックスフォード大学のポスドク Georg Klein が昨年ISMARで発表した研究では、特徴点抽出という技術を使ってリアルタイムでARを実現している。
このムービーの57秒からのシーンでは、京都竜安寺の石庭でダースベーダーが敵と戦うというシーンがあるが、これが圧巻だ。2分54秒から始まる池のシーンも見逃せない。
「仮想と現実に明確な境界はない」というサイバーパンクものとしてはありがちなテーゼが、「電脳コイル」という作品の一貫したテーマとなっている。攻殻機動隊やマトリックスのようなサイバーパンクものも同じテーマを扱っているが、電脳コイルが秀逸なのはSF的プロットを最小限にして(残念なことに後半はSF的設定が導入される)、近未来において社会的・技術的に可能なARという現実的手段をベースとして描いているところにある。
仮想と現実は、われわれの認知と世界をめぐるコインの表と裏の関係にある。コミュニケーションという問題がない独我論的世界においては、仮想と現実にはまったく区別がない。大人たちによって電脳めがねを取り上げられる第24話は、大人たちと子供たちの間のコミュニケーションベースの不成立がホンモノとニセモノという二分法を生み出していることを明らかにしている。
大黒市では、サーチマトン(通称サッチー)というウィルス駆除ソフトが導入されていて、古い空間を削除しようと町を徘徊している。主人公たちもサッチーにしょっちゅう追われるのだが、神社の中にはサッチーは入ってこれない。サッチーを管轄してるのが大黒市の郵政局で、神社の管轄は文化局となっており、縦割り行政の弊害で郵政局管轄のサッチーは神社に入ってこれないからだ。
こうした秀逸な世界設定は、AR時代のアーキテクチャーデザインにおいて、われわれが一体どのような問題に取り組むべきなのかを示唆してくれる。次回のエントリーは、昨年末のコミケ出展のために早稲田の境さん、駒沢の山口さんと一緒に作った「電脳コイル本」の原稿を掲載し、オーギュメンテッド・リアリティにおける自由と土地所有権の関係について考えてみたい。
このエントリーで、どこまで電脳コイルの魅力が伝わったか分からないが、ご興味がある方は3月14日に行われたOGC 2008(オンラインゲーム&コミュニティサービスカンファレンス 2008)で山口さんと「スノウ・クラッシュから電脳コイルへ」というセッションをした記事があるので、読んでみてほしい。
また、GLOCOMでは、電脳コイルをテーマにした研究会をスタートしている。逐次告知するので、興味のある方は来ていただければ幸いだ。
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