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ソーシャルメディアとしてのケータイ小説

2007/12/20 21:25
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佐々木俊尚

現役ジャーナリストが、長年培ってきた取材経験などを通して、IT業界のビジネス動向から事件まで、その真相をえぐり出します。
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ケータイ小説作家の未来さんに会った

 『命の輝き』(ライブドアパブリッシング)というケータイ小説がある。少し古い話になるが、11月初めに著者の未来(みく)さんと会った。取材ではなく、ちょっとした会食の席だった。本の装丁を手がけたのが私の身内で、それで「お礼に」と書籍編集者が会食の場を設けてくれたのである。だから正式にインタビューしたわけではない。

 実際に会うまで、私は未来さんを「たぶんギャルっぽい感じなんだろうな」と漠然と考えていた。ケータイ小説はベストセラーになったものについては網羅的には読んではいたものの、どのような人がこれらの小説を書いているのか、まったく想像もできなかったからだ。当然、小説内によく登場してくるような「援助交際」「レイプ」「リストカット」といったキーワードで捉えられるようなイメージになってしまう。私の想像は、いま思えばまさに馬鹿馬鹿しいステレオタイプではあった。

 しかしそのステレオタイプな想像は、見事に裏切られることになる。広尾のフレンチレストランに現れた二十歳の彼女は、実に礼儀正しく、しかもコミュニケーション能力の非常に高い女性だったのだ。地元で買ってきたという名産のお菓子まで、わざわざお土産に持参してきていたほどだった。彼女は大きな目をくりくりと動かしながら、一生懸命しゃべる。食事をしながら「どんな小説家が好きなんですか?」と聞いてみると、彼女は朗らかにこう答えた。「山田風太郎です」。その答には少なからず驚かされた。私がびっくりしていると、彼女はさらにこう付け加えた。「もっと面白い本があったら、紹介してくださいね!」

『命の輝き』のストーリー

 彼女の書いた『命の輝き』は、次のようなストーリーだ−−中学生だった未来さんは、両親の離婚をきっかけにして孤独感を深め、普通の人生からこぼれ落ちてしまう。援助交際やリストカット、レイプによる処女喪失、そしてようやくできた彼氏にも裏切られてしまう。「お前みたいな女好きになるわけねぇだろ。レイプされたり援交したり気持ち悪いんだよ!親父とやって感じてたんだろ?お前みたいな女は男の性処理玩具なんだよ!」

 そうやってどん底のような生活を送る中で出会ったのが、高校時代のクラスメートの光輝(こうき)さんだった。彼との幸せな日々が始まり、そして気づけば未来さんは妊娠していた。しかしその直後、光輝さんの病気を彼の母から知らされる。「あたしも嘘ならいいと何度も思ったわ…でもね真実なの。光輝は生まれつき心臓に疾患があってね…今年に入ってから更に悪化してもう移植をしなかったら長くないの…」

 それでも2人は結婚を決意し、そうして彼女は3200グラムの娘を出産する。しかしその直後、光輝さんの様態は急変し、そのまま意識は戻らなかった。葬儀の後、光輝さんの母は未来さんに手紙のたくさん入った手紙を渡した。「あの子がね‥まだ見ぬ2人の赤ちゃんに書いた手紙なの‥全部で20通あるわ。子どもが20歳になるまで寂しくないようにって書いていたの。最後の方は手も震えていたの……」

 ケータイサイト「魔法のiらんど」上で書かれ、このサイトのノンフィクション部門で1位になったという。「ノンフィクション」というジャンルが意味しているように、この物語は未来さんの体験が元になっている。実際、彼女は幼い子供を抱え、地方の小さな街で今も事務員として働いている。

なぜケータイ小説がリアルなのか

 とはいえこの物語を陳腐だと思う人は少なくないだろうし、『Deep Love』や『恋空』などの大ヒットしたケータイ小説との類似性を指摘する人もいるだろう。多かれ少なかれ、2000年ごろから書かれ始めた多くのケータイ小説は、同じような要素を持っている。先にも書いたような「援助交際」「レイプ」「リストカット」「予期せぬ妊娠」「純愛」といった要素だ。

 最近はボーイズラブやラブコメディなどのジャンルのケータイ小説も増えてきているが、しかしなぜ同じようなキーワードが、どの小説にも含まれているのか。そもそも「援助交際」や「レイプ」「妊娠」の話をなぜティーンエージャーの女の子たちは読みたがるのか。その答はひとつしかないーー彼女たちは、これらのキーワードに「リアル」を感じているからだ。

 「リアル」は「現実」とは少しニュアンスが違う。Rauru Blogのこのエントリーにも書かれているように、ここで私が使った「リアル」というのは、実際に起きたかどうかではなく、その圏域に属している人たちが「本当にありそうだ」と感じられるかどうかという意味である。その意味で、ケータイ小説の読者という圏域に属している人たちは、ケータイ小説の要素群に対して「リアル」を感じている。

 この圏域に属しているのは、どのような人たちなのだろうか。未確認の情報で申し訳ないが、最近ある出版取次大手が、ミステリー作家宮部みゆきさんのベストセラー小説と、ケータイ小説のベストセラーが各地の書店でどのように買われているのかを詳細に調査したという話を知人から聞いた。その結果、宮部さんの小説は明らかに東京や大阪などの都市部に偏って買われていたのに対し、ケータイ小説の書店での売れ行きは、はほぼ人口分布に従うグラフになっていたことがわかったという。つまりケータイ小説は全国の若い女性たちにまんべんなく読まれているということになる。実際、地方の書店に行くと文芸書やノンフィクションはほとんど置かれていないが、ケータイ小説は漫画やタレント本、雑誌とともに大きなスペースを割かれて平積みにされているのを見かける。

レイプは現実ではない。しかし……

 『ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点』(文春新書)という本にも書いたが、いまや地方の若者たちは夢も希望も失って鬱屈している。「夜回り先生」として有名な水谷修さんは、たとえばこんなふうに語っている

 中でも手首に傷をつける「リストカット」を行う子供は、100万人を超えており、リストカッターのいない学校は存在しない、と水谷氏は断言する。「これは都市型の現象ではなく、地方に行けば行くほど多くなる。都会の子どものように外へ遊びに行けず、家にじっとこもらざるを得ない北海道、愛媛、秋田などは特に多いです」(Brain News Networkの記事より)

 こういう状況は、私がまだ新聞記者をしていた1990年代後半から、すでに地方においてはきわめて現実的だった。高校を卒業し、しかし就職先はなく、将来に何の夢も持てない。周囲の同級生や先輩、後輩のほとんどもフリーターで、つきあっている彼氏もやはりフリーターという状況の中では、自分が目指すべきロールモデルどころか、尊敬できる人物さえ存在していない。周囲には田んぼと寂れた工場、それに街道沿いにぽつんぽつんと立つコンビニエンスストアしかなく、テレビに出てくるような華やかな都会の生活にはまったく無縁でーーバブル崩壊後の混沌の風景の中で、私はそういう若者に数多く会った。水谷さんの指摘が正しいのであれば、そういう若者はいまや多数派となっているのかもしれない。

 とはいえ、そうした若者たちの多くが、リストカットしたりレイプされたり、援助交際しているわけではない。おそらく大半はそんなひどい話とは無縁に、ただ淡々と日々を送っている。だがそうした若者たちにとって、リストカットやレイプや援助交際は、決して縁遠い世界の話ではなく、いつ自分もそうなるのかわからない「リアル」な物語として映る。純愛も同様だ。つきあっている彼氏や彼女と素晴らしい純愛の関係を保っているわけではない。だが閉塞した状況の中で、そのような純愛にでも頼ることができたらこの灰色の生活も明るく転じるのに−−そんな願望が、純愛を「リアル」にしているのではないかと思う。

「ケータイ小説は双方向なんです」

 そう捉えれば、ケータイ小説というのは彼らの「リアル」を、ケータイという表現メディアに橋渡しするアーキテクチャなのではないかと思えてくる。私は「魔法のiらんど」の出版プロデューサー、遊佐真理さんに9月に取材したが、彼女はこう話した。

 「これまでの小説では、作者から出版社を経て読者へといたるプロセスが一方向でした。でも魔法のiらんどに連載されている小説では、これがインタラクティブになっているんです。連載されている小説には掲示板もあって、ここで小説に対する感想を巣を読者たちが作者に伝える。この内容を小説に反映するかどうかは、作者の側に任されています。たとえば読者が『このシーンにすごく感動しました』『この話をもっと知りたいです』と伝えてくると、作者の側はそうした声を意識して書き直したり、次の展開を考えたりというようなことがごく普通に行われています」

 たとえばあるラブコメディでは、主人公の女性の周囲にドライでクールな男性や優しい男性、頼れる男性など何人もの交際相手候補を登場させた。そうして登場人物が出そろったところで作者はいったん連載をストップし、掲示板で読者たちにこう呼びかけた。「みなさん、どの男性を主人公と成就させたいですか?」。そうやってアンケートを採って、その結果を反映させてこの作者は小説の後半を書きつないでいったという。

 ケータイ小説の世界で、読者の側は小説に「参加」している意識を持つようになっている。一方で、作者の側もそうした読者の参加が、小説執筆の大きなモチベーションとなっている。私が会った未来さんにしても、そもそも作家志望の文学少女だったわけではない。ひとりの女性としてさまざまな経験をし、その経験を文章に表し、世間に向かって表出するという「書く」行為によって気持ちの整理ができるのではないか――そう心が動いたのが、最初のきっかけだったという。

集合的無意識をすくい上げる

 そう考えると、彼女のようなケータイ小説作家の仕事というのは、多くの若い女性たちの集合的無意識をすくい上げ、それを小説という表現メディアに文字として固定化させることだとわかってくる。本来、文学というのは、ひとりの孤高の作家がみずからの内面と向き合い、みずから作り上げた世界観と哲学を世間に問うという行為だった。だがケータイ小説は、書き手の側も、読み手の側も、自分たちがひとつの「空間」を共有していると信じ、その「空間」に寄り添うかたちで小説をコラボレーションによって完成させていく。文学が卓越した個人による営為であるのに対し、ケータイ小説は人々の集合知をメディア化したものである。

 そのようなとらえ方をすれば、ケータイ小説の文体が陳腐で下手くそで、同じようなステレオタイプ的なプロットに彩られているのも当然である。なぜなら陳腐でステレオタイプなものこそが、若い読者にとっては「リアル」であるからだ。遊佐さんは、「そういうキーワードが流行として受け入れられたというのではなく、読者層の十代の女性たちがそういう目に遭うような危険な位置にさらされているという現実があるからじゃないでしょうか。それが共感を得たのか原因なのかもしれません」と語っている。

 援助交際や思わぬ妊娠は文学の世界では陳腐な舞台装置だが、しかしケータイ小説においてはこれらの言葉が、小説の空間とリアルの空間をつなぐブリッジのような役割を果たしているのだ。もし作者がこのリアルな空間から外れ、自分固有の世界観に入り込んでいこうとすれば、読者の側は方向修正しようとする。ケータイ小説の優秀な書き手は読者のそうした感覚を敏感に受け入れ、みずから軌道修正を行っていく。

 ケータイ小説作家は文学を追い求める孤高の個人ではなく、実はソーシャライズされた生きるアーキテクチャーなのだ。そうしてケータイ小説は、ますます陳腐化していく。しかしそれは、決して否定されるべきことではない。

 私は未来さんに「小説はどうやって書いているんですか?」と聞いてみた。彼女はこう答えた。「夜寝る前に、布団に入って……電気も消して、真っ暗な中でケータイの画面だけを見ながら書いていくんです」。その暗くて暖かい親密な空間の中で、集合的無意識はケータイの明るい画面の中へと流れ込んでいくのである。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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