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オーマイニュースの記事への批判に答えて

2006/09/25 22:58
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佐々木俊尚

現役ジャーナリストが、長年培ってきた取材経験などを通して、IT業界のビジネス動向から事件まで、その真相をえぐり出します。
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 先日、編集委員を務めているオーマイニュースに『記事の質、最終的には「説得力」』という原稿を書いた。これに対して北海道新聞の高田昌幸さんがブログ『ニュースの現場で考えること』で、『「記事の質、最終的には『説得力』」。それはそうだが。』というエントリーを書かれた。

 高田さんの批判に対して、私も自分の考えを短く説明しておこうと思う。

頭の体操みたいな話だが、上に引用した佐々木の文章を、例えば、以下のように
書き換えてみよう。

<オーマイニュースの市民記者の記事には、その論理的組み立てが欠如しているケースが多いように思う。たとえばありがちなパターンとして、何でもかんでも小泉賛同に結びつけて、「小泉改革がこういう社会を生み出したのだ」と書く人が案外に多い。しかしオーマイニュースに集まってきているすべての人々が小泉首相をすばらしいと思っているかといえば、決してそうではない。小泉改革を批判している人は実のところかなり多いわけで、その前提をいきなりすっ飛ばして「小泉路線を続けると世の中は良くなる」と書かれても、困惑してしまうだけだ。>

 オーマイニュースの記事を丹念に読んでもらえればわかると思うのだけれど、そういう根拠のない「小泉改革賛同」の記事は、オーマイニュースにはほとんど見つからない。

 逆に、私から見てあまりにも根拠なく小泉批判を繰り返している記事が、オーマイニュースには数多く存在している。たとえば『高校野球への報道姿勢を問う』という記事。早実の斎藤投手への過熱報道が、なぜか小泉批判につなげられている。

小泉首相のワンフレーズポリティクスに伴い、報道も勝ち負けの二局論に傾く傾向を感じる。

 市民記者本人の要望でいまは削除されてしまった『ある日本人男子留学生に「怒り」』という記事も、中国で出会った日本人留学生の素行を批判し、結論部分でこんなふうに書いていた。

この件では現代日本の弱さも垣間見た気がする。“長い物に巻かれる”多くの大人達の姿とも言うべきか。はたまた小泉首相のように“大きなもの(米国)”の犬になる為に“小さなもの(他の諸外国)”の心情を慮ることを拒否し続ける姿とも言うべきか。

 あげつらえばきりがないが、こういう記事がオーマイニュースにはあふれている。逆に、高田さんの言うような根拠なく小泉賞賛を繰り返す記事があれば、それも私は指摘して問題視したいと思っているが、しかしそういう記事は実際にはほとんど存在しないのが事実なのだ。そのあたりは高田さんは、どう思われているのだろう?

 いずれにせよ、このようなロジックの決定的な欠如が、左翼言論のパワーを弱体化させてしまっているのではないかとも思うのだ。いま左翼言論に必要なのは、みずからの閉鎖的コミュニティの内側にとどまってどこに届いているのかわからないアジテーションを発し続けることではなく、アウトサイドにきちんと出てきて、ロジックをぶつけ合いながら本音の議論をすることではないのか。

 それからもう一点。

市民記者が自身の生活実感に照らしたうえで、政権批判の記事を書いてきたとしても、それにロジックがなかったとしても、「もっと努力を」などと「論評」「評価」するのは、おこがましいのではないか。

 市民記者が自身の生活実感に照らした上で、社会の問題点を指摘するのはもちろん妥当なことだと思うし、私もそうした生活実感に対して「物足りない」と論評したくはないと思っている。

 しかし、である。

 社会の問題点=政権の問題、ではない。何らかの問題がそこに横たわっているとして、それがイコール政権の責任になるのかどうかは、冷静に考えなければならないのではないだろうか。

 たとえば格差社会問題。左翼言論の多くは「小泉改革が格差社会をもたらした」とさかんに批判しているが、たとえばトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』を読めば、それが日本だけでなく先進国の多くで起きていることがわかる。つまり格差社会化は小泉政権の責任ではなく、グローバリゼーションがもたらした必然的帰結である可能性が高い。このあたりは、10月号の文藝春秋でも、山田昌弘東京学芸大教授が『「希望格差」から「希望平等社会」へ』という記事で指摘している。

 そうした問題はそこら中に転がっていて、たとえば教育問題とされる問題の多くは、実のところ家庭内教育の問題であって、学校にすべての責任を負わせるべきではないということが、ここ最近ようやく真っ当に議論されるようになってきた。

 政府や行政、大企業を批判をすれば、誰も文句は言わないという時代は終わったのである。社会体制が確固としていて安定していた時代においては、とにかく政権批判をして、行政や大企業が悪いと口をそろえて叫んでいれば、とりあえず皆が納得したし、それがある種の「ガス抜き」にもなっていたと思う。

 でもそういう時代は終わりを告げてしまって、ものごとを是々非々で考えなければならない時代になっている。何らかの社会問題がそこに存在するとして、その問題を起こした原因が、本当に小泉内閣によるものなのか、それとも急速に進むグローバリゼーションによるものなのか、あるいはその問題を指摘している市民「あなた」自身に責任があるのかどうか。そうしたことを、きちんと真っ正直に、身も蓋もなく問い直さなければならない時代になっていると思うのだ。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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