前回のエントリーに関して、トラックバックをたくさんいただいた。しかしブログを書くのが非常に遅く、それらのトラックバックをもとに考えをまとめるのが、今ごろになってしまった。
>例えばR30氏の発言や態度を容認する人も、否定する人も
>オープンジャーナリズムなる試みに期待する人も、懐疑的な人も
>こぞって「泉あい的手法」にはNOを突きつけた
>この現状を、表面だけとらえて「炎上」と斬って捨てるとは。
『真プライベート・ロード』というブログで、水島美也子さんは、上記のように「こぞって」という言葉を使っている。新明解国語辞典(三省堂)によれば、「こぞって」というのは、「関係する全員が、一人残らず同じ行動をとる様子」と定義されている。このブログで指摘している「全員」というのは、どの圏域を意味しているのだろうか。
またまったく別の立場から、『404 Blog Not Found』では『絶対的正義は絶対的少数』というエントリーが書かれている。この中で弾さんは、次のように書いた。
>千の「絶対的正義」を主張する人々、いや「名無し」さんのさらに後ろに、
>10-100万の「サイレント・マジョリティ」がいる事をお忘れなのではあるまいか。
>(中略)
>一つのentryの読者に対し、コメントを遺すのは、はてブのような間接的な手法まで
>含めても1/30から1/3000。TBをくれるのはさらにその1/10だ。大半の人は、それを
>「黙読」しているのだ。
弾さんの言う「サイレント・マジョリティ」は、どのような圏域に存在している人たちなのか。そのサイレント・マジョリティは、水島美也子さんが言う「全員」とは別の人たちなのか。
しかしそれは、それらブログの文脈から読み取れば明らかだ。弾さんの「サイレント・マジョリティ」と、美也子さんの「全員」の間には、自分がどの共同体をバックグラウンドとして発言し、どの共同体に拠って立っているのかという部分について、決定的なずれがある。それは大いなる他者の認識に対する、ある種の乖離といってもいいかもしれない。ブログのコメント欄とトラックバック、はてなブックマークでのコメント、そしてリアルの世界で語られる感想――それらは時によって、違う世界観の中で語られ、別々の圏域を形作っている。
それはハコフグマンさんが、『ネットコミュニケーションを考える上でこんな本も』というエントリーで書いている、以下のような言葉にも呼応する。
>正直、ネット上のコミュニケーションに過度な期待はしていないけど、
>いわゆる世論の実態と、コメント欄とのギャップに関しては、分析する必要が
>あるかもしれない。とりあえず参考になるのは、はてなブックマークだろう。
>コメント欄は炎上していても、ここは意外に静かだったりする。
おそらくインターネットの言論界には、ある種の多層構造が出現しているのだろう。
たとえば今回の「ことのは」問題に関して言えば、中心に泉あいさんと松永英明さんの存在する圏域。その外側に、R30さんや私、歌田明弘さん、湯川鶴章さんらの圏域。その外側に、内側の二つのサークルを徹底的に批判しているBigBangさんや美也子さんたちのいる圏域。そしてさらにその外側には、弾さんや『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』のエントリー『今更の『「ことのは」問題を考える』雑感 』が言及している、以下のような圏域。
>でも、実際に声を発する人間よりも、『404 Blog Not Found』様が
>おっしゃるような(参照)サイレントマジョリティーが、はるかに多く
>モニターの前にいる。そして、怒れる者の様子を、静かに見つめている。
>私好みの偽悪的な表現で言い換えれば、怒れる者の姿を見て面白がる=消費
>しているわけだ。
さらに言えばもっと外側には、「ことのは」問題などにはまったく興味のない一般社会が無限に広がっている。
この円環構造が特徴的なのは、ある環を包囲する外側の環は、かならず自分のさらに外側の円環――それは実のところ、包囲者が仮想している幻想の円環、仮の他者に過ぎないのだけれども――が持つコンテキストを背景に、内側の環を批評しようとすることである。
たとえば松永さんと泉さんらの環に対して、その外側にいるR30さんや私は「ジャーナリズム」という視点からその環を批評しようとした。ところがさらにその外側にいるBigBangさんや美也子さんは、さらに別のコンテキストを背景にして、R30さんや私を批判した。それに対して私は、「あなたがたのコンテキストは絶対的正義ではないのか」と前回のエントリーで異論を述べた。しかし今考えれば、その考え方自体も、円環の中に閉じこめられたがゆえの意見だったようにも思える。
そしてBigBangさんらの外側には、弾さんやParsleyさんの言う「サイレント・マジョリティー」が彼らを包囲し、その怒れる様子を楽しんで消費している。もっと外側の、一般社会の人たちもいる。「ネットの連中は変なケンカをしていて、なんだか気持ち悪いなあ」と無関心に見ているのである。
この円環どうしの衝突は、「誰が世論を背景にしているのか」という戦いにほかならない。「自分こそが世論だ」「自分こそが正義だ」「自分こそが社会の論理だ」という論がぶつかりあっている。外側にいけばいくほど、その拠って立つ「社会」「世論」は薄く広がり、見えにくくなっていくようにも思える。
それは結局のところ、マスメディアという存在が希薄化していく中で、「拠って立つもの」を人々が奪い合っているという構図であるのかもしれない。
Bigbangさんは『月も見えない夜に。』というブログで、『佐々木俊尚:「ことのは」問題を考える について少しだけ3--ネットは「絶対的正義」ではなく「相対的正義」が血を流しているのである。』というエントリーを書いている。この中にある以下の指摘は、まったくもって正しいと私は思う。
>「フラットになった言論の世界」とは何なのか。それは、
>情報発信の中心を持たない、いわば分散型の言論スフィアを
>イメージしているのだろうか。もしそうだとすれば、
>これは正しくネットでは展開されているのである。このような形で、
>私は誰に遠慮することもなく、「著名なジャーナリスト」を
>批判することができる。私の社会的立場や年収は関係がない。
>その気になれば、16歳の高校生にもあなたへの批判が可能である。
>ネットが実現したのは決して「絶対的正義」を振りかざす群れではなく、
>むしろ「相対的正義」を主張する何千万という小ブロゴスフィアなのである。
>それらは、時として確かに一つのターゲットに向けて、集中的に批判を浴びせる。
ネットにおける言論というのは相対的なのであって、それがフラットであるという意味だ。フラットな地平線では、相互の批判は自由である。
>しかし重要なのは、それらに全て「自由」が保証されており、
>互いにチェックしあう反論の機会が与えられているということである。
>もしも今混乱があるとすれば、これらの小宇宙が、火花を散らしているのであり、
>何か「絶対的正義」を振りかざす一連の群れが秩序だって一つの対象を
>攻撃しているというのとは違う。
その通りだと思う。フラットな言論の確立に向けて、ひとつひとつの事象をきちんと確認し、裏付けをとっていくべきだというBigBangさんの言葉に、私も異論はまったくない。その行為について私はBigBangさんを批判したつもりはなかったし、もしそう受け止められたのだとしたら、それは私の言葉足らずである。謝罪したい。
私が気にかかるのは、先にも書いたように、それらの言論の「拠って立つ場所」である。それらのエントリーを、BigBangさんはどのようなコンテキストから書かれたのかということだ。
BigBangさんは、『GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(8)----結局BBは何が言いたいのか』というエントリーで、
>つまりBigBangは泉氏やその他関係者に対して「ジャーナリズムとしての責任」
>を問うているのであり、ジャーナリストを自称し報道機関の起ち上げを計画した
>泉氏の姿勢を問うている。これを単なるオウム批判や泉批判という文脈でしか
>理解していないならば、いったい何を読んでいるのか理解に苦しむ。
という自身のブログへのコメントを紹介し、「ほとんど付け足す必要がない。そのまま正解」と書いている。
この意見は、たしかにまったく正しい。おそらくその正しい言説は、「ジャーナリストには他の人にはない責任がある」「ジャーナリストを自認するのであれば、責任をとらなければならない」という信念に基づいて書かれている。だが、「私が社会を負っている」という思いに基づくそれら絶対的正義に見える信念は、実のところひとつのコンテキストに過ぎない。
もちろん、ジャーナリストには責任がある――たしかにそうだ。自分自身もジャーナリストを名乗って20年近く活動してきた私も、そう思う。だったら、ジャーナリストを名乗らないブロガーには責任はないのだろうか? もし責任があるとすれば、その責任の度合いは、ジャーナリストと異なるのだろうか?
フラットなネットの地平線の中において、ジャーナリストの言説とブロガーのエントリーは相対化されつつある。その相対化されつつある現状の中で、ジャーナリストとブロガーの責任の度合いは相対化される可能性はあるのだろうか?
責任を問うた者は、いずれみずからの責任も問われる。結局のところ、だれもアウトサイドに出ることはできない。アウトサイドに出ることができるのは、発言しない人たちだけなのだ。
インターネットのフラット化の果てには、まだ広大な地平が広がっているように思える。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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