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「雲を掴め」 

2008/02/09 18:33
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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 今回は、iPodネタからちょっと脱線です。様々な書評で取り上げられたようですので、ご存じの方も、また、読まれ方も多いと思いますが、「雲を掴め 〜富士通・IBM秘密交渉」という本について触れたいと思います。

 この本は、1980年代前半、富士通とIBMが行った秘密交渉の模様を、史実をベースに、フィクション仕立てて経済小説にしたものです。本交渉の仔細は、本書の内容に加え、巻末に日経コンピュータ元編集長の松崎さんの手によるすばらしい解説がついていますので、機会のある方は、是非、手に取ってご覧ください。

 多くの書評が取り上げているとおり、書かれている交渉内容も興味深いですし、交渉術の指南書としても示唆に富んでいると思います。しかし、僕がこの本とこのタイトルで思わず思い出したのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でした。そして、とても大事なことについて、著者に怒られているような気がいたしました。

 まずは、書かれていることから、簡単に説明したいと思います。

 

1.書かれていること 

 

 (1) 背景

 

 日本のコンピュータ産業は、ご存じのとおり、60年代から80年代にかけて、IBMに追いつけ追い越せで発展してきた歴史を持ちます。1970年代に入ると我が国コンピュータメーカは、富士通=日立、NEC=東芝、沖=三菱の6社3グループ体制を構築し、国からの助成金を得ながら、なんとかIBMのコンピュータを超える性能のマシーンを構築しようと必至になって汗をかきました。

 本書の舞台となる1980年代前半は、まさに、そうした国産コンピュータが、質・量ともにIBMマシーンの性能を凌駕していった時期。と同時に、国内でIBMを超えるシェアが見えてきた富士通にとっては、IBM互換機路線を更に進化させ、世界市場に打って出ようとしていた時期です。IBMにとっては、こうした互換機メーカーの台頭を何とか押さえ込みたかった。米国独禁法訴訟が一段落したのを契機に、IBMが互換機メーカーに対する大攻勢に打って出るようとする時のお話です。

 背景の詳細は、本書巻末の松崎さんの解説が詳しく、かつ正確なのでそちらにお譲りしたいと思います。文末に参考まで、予備知識のない方向けの簡単な解説をつけてみましたので、本書を手に取れない方で、ご関心の方はそちらをご覧ください。

 

(2) 秘密交渉の概要 

 

 IBMと互換機メーカとの間で利害対立が先鋭化してきた1980年代前半、IBMは、米国内での独禁法訴訟が一段落したのを契機に、日本メーカの互換機ビジネスを苦しめるべくアプローチをかけてくるわけです。それが、「雲を掴む」の舞台です。今回、本書で明確になったことのうち、僕自身が印象に残ったのは、次の3点です。

? この交渉の中では、当時のIBMが、互換機というコンセプトそのものよりも、特に富士通の海外進出を押さえることを、更に優先しようとしていたこと。

? これに対して、富士通は、特に国内営業の自由度を守ろうとし、そのためには海外市場を断念してもよいと判断していたこと。

? こうした両者の思惑が一致したことで、秘密交渉の第一ラウンドが妥結したということ。今となっては当たり前のダイレクトライセンス方式が、この交渉を通じて生み出されたこと。

 実は、この妥結の過程が、今の日本人が「雲を掴めるか」という意味で、非常に大事なところだと思います。

    *    *    * 

 当時、日本の国内では、コンピュータソフトウエアの著作権保護は、まだ決まっておりません。そういう状況を踏まえて、乱暴にまとめれば、IBMが互換機ビジネス自体を情報資産の盗用であると言えるかどうかは、なかなか難しい状況にあります。当時の日本国内では、訴訟をしてもIBMが勝つ確率は低かったかもしれません。

 それでもなお、富士通は、訴訟をせず秘密交渉を受ける道を選びます。それは、富士通側のコンピュータのソースコードが何らかの形でIBM側の手に渡った可能性が高く、自分たちの確認できないデッドコピーの存在が、先方には確認しうる状態にあったこと。また、IBMには事実上技術情報の提供を絞ることが可能であり、それを行使されれば富士通の今後のコンピュータ開発に大きな影響が懸念されたなどの事情があったからです。

 本書によれば、当時のIBMの要求は、大雑把にまとめると次の3点です。

?デッドコピーの存在を推定的に確信しているということ

?それはIBMの情報資産の盗用に該当するので、富士通の営業から富士通マシンユーザに対してそれを説明させるとともに、これまでの対価を定価で支払うこと。

?今後も、富士通の関係ソフトウエアの全てを監査し、盗用の疑いのある物は、同様の措置を執ること。

 

 この要求はどう見るべきでしょうか。

 第一に、確かに、コンピュータープログラムに対する著作権保護が確定していなかったとはいえ、大量のデッドコピーが確認されれば、不正競争や民法一般などによるミスアプロプリエーションの法理に基づいて、裁判でも、何らかの賠償を得る可能性はあります。しかし、デッドコピーの存在自体があくまで推定の結果であるということになれば、IBMが裁判を起こしても日本で勝てるとは限りません。

 第二、当時はソフトウエアの著作権保護が決まっておらず、通商産業省の主張するプログラム権法と著作権法とが角をつき合わせていた段階ですから、IBM用ソフトウエアの解析による相互運用性確保ための情報探し(リバースエンジニアリング)は、そもそも著作権法上違法にはなりません。

 第三に、IBM自身も、現に、独禁法が喉元に刺さっている米国では、互換機ビジネスを実態上許容しています。互換機ビジネス全てが論理的に悪いという主張を始めれば、独禁法上の問題を指摘されるおそれがありますから、その主張の根拠は、あくまでも自分たちの努力の成果を不当に侵害されたという側面に置くしかなかった。しかし、情報資産という概念は、当時も、今も、法律的には存在しません。ここは、法律的には非常に難しいところです。

 そういう意味でも、著作権法の立場がはっきりしない以上、当時のIBMの法的主張が確実なものかどうかは、怪しいと見るべきでしょう。また、こうした状況から判断すると、当時のIBMが、そうと分かりながら、富士通を最初のターゲットに、かなり無理な要求を秘密交渉という形で突きつけてきたということではないかと思います。特に、ユーザーに対して説明をさせるという部分は、このままでは、法律的な議論ではない、富士通ビジネスをつぶすための要求というような気がします。

   *   *   *

 本書によれば、こうした状況に対して、富士通側の米国人顧問弁護士は、断固としてもっと強気の対応をするべきだと。フェアネスを欠くのはIBMの方だと主張します。しかし、富士通側は、海外の特定の市場に進出しないと約束することで、国内の営業の自由が守れるのであれば、たとえ海外市場を巡る密約が意図的な市場分割として違法性を疑われるリスクがあるとしても、IBMのオファーを甘んじて受けよう。監査等で開発作業がそのために大変になってもなお、それで国内営業の自由が確保されるのであれば受けいれよう。それが富士通という企業を守るための選択肢だと、本書では敢えて簡潔に整理しています。

 当然、富士通側の顧問弁護士は、そうした対応に納得しません(もちろん顧問弁護士自らのリスク回避手段として、敢えて、クライアントより強気の姿勢を示しているという側面もあると思いますが)。でも、著者は、国内営業を守るためユーザへの説明という要求は拒否し、かつ、完全かどうか不明な外部仕様情報を得ることを条件に、妥協する道を選び、富士通という会社を守ろうとします。

 この本では、終盤に、著者が常に頼りにしてきたゴードン弁護士からのレターが紹介されています。僕は、このレターの内容が一番気になりました。要点は次のとおりです。

 米国企業と本気で闘うときは「フェア&エクイタブル」が重要だ。日本人が大事にする誠意は、米国には通じない。公明正大にフェアに闘うことが重要である。今回の場合、IBMの要求がエクイタブルでない以上、富士通は、もっと徹底的に闘うべきだ。現実的すぎる解決は、今日の解決にはなるかもしれないが、明日の問題を引き起こす。

 実際、この後、ゴードンに甘いといわれたまま秘密交渉は終結し、それがまた、次なる紛争につながっていくわけです。しかしおそらく、当時の富士通には、そうするより他に、手段がなかった。

 本書は、IBM側の窓口弁護士から、著者が強く闘ったことを讃えるコメントを最後にもらったところで終わります。そういう意味では、IBM側の米国人弁護士だって苦しかった、厳しい戦いがそこにあったわけです。他方で、それでも甘いと指摘するゴードンのような人がなおいる。そして実際、紛争は第二ステージへと展開していく。歴史を紡ぐ、コミュニティをつないでいくというのは、こういうシビアな作業なんですね。

 

2.感じたこと

 

 自分は、1996年に合意された著作権条約交渉や米国著作権改正法(DMCA)に関わっていた当時、実は、著者の伊集院さん自身から、日本人が如何に国際的であるべきか、またそのことが、如何に難しいことであるかを教えていただく機会がありました。今回の「雲を掴め」を読んで、これまで教わってきたことが、一層はっきりしてきたような気がします。

 今回明かされた交渉事実は大変興味深い話ではありますが、それ自身は昔のことです。いずれにせよ舞台がインターネットであり、サービスであり、かつオープンスタンダードが当たり前となってしまった今、本書が史実を伝えようとしている部分については、それは歴史として語られるべきものと思います。

 一点あるとすれば、知的財産法が如何に、その時々の強者の論理に突き動かされて形成されてきたか、その片鱗を知ることが出来るという意味では重要な文献になっていると思いますが、もし著者がそのことを書きたかったのであれば、もっと別の書き方があったでしょう。

 そういう意味では、主張のポイントは、日本人が、その生死をかけて真に国際社会と互していくというのはどういうことか。そこにあるように思います。そこで、僕が思い出したのは、司馬遼太郎が書いた「坂の上の雲」というタイトルに込められた、「雲」という隠喩でした。

    *   *   *

 英米的なカルチャーの中では、論理に基づき明確に主張することは当たり前のことです。また、正直に言えば、ディベートの訓練がそうであるように、大概の場合、論理は、サンプリングした事実関係によほど瑕疵がない限り、左右正反対のいずれの結論でも支持できるように作れてしまいます。

 この場合、互換機のありようについてIBMの主張する論理に衡平を欠く点があるのであれば、徹底して糾弾すべきだという顧問弁護士のアドバイスは、ある意味とても正しい。そこを明確化せず、海外の市場を捨てるような約束をするのは、後で後悔するネタを残すだけだという指摘も、実際そのとおりの展開となったわけです。

 交渉は、確かに論理の応酬の上に成立するわけですが、実は、難しい交渉になればなるほど、最後はどちらも論理的には正しさを証明できてしまう場合がほとんどであり、論理性だけでは議論は完結しません。難しい交渉ほど、その論理を振りかざす両当事者のfairnessの感覚が求められます。

 英米の大学の法学系の授業に触れると、fairnessに関する分厚い教科書に驚かされますが、そこが様々な交渉の起点にあるからこそ、全体を見た引き際が双方にとって明確になる瞬間があるように思います。個人が自分の権利と論理を激しく振りかざすということと、社会全体の中でそれがどこまで許されることかということのバランスが、fairnessを大事にする法文化の中で育まれているように思うのです。

 他方、日本人の行動原理の多くは、コミュニティ依存型です。かなりわがままなことを言っても、最後は社会や共同体の側が何とかしてくれる。その代わり、過剰なわがままは、周囲の様子を見ながら言わないと村八分にあう。そのリスクを図りながら、落としどころを探すという文化です。落としどころを失わないためにも、論理性にエッジを立てすぎないようにし、ここが納めどころだと思えば、論理的整合性は平気で捨てる。大事なのは、誠意。

 一人一人が明確に論理を主張し、fainessに基づいて論理同士の整合性のつくポイントを探そうとする英米法の文化と、我が儘で利己的な結論を期待しつつ、論理不明確なまま誠意で落としどころを探ろうとする日本。その行き違いが、この後の富士通・IBMの交渉を更に長引かせたともとれますし、そこが組み合ったからこそ、富士通という会社が守られたともとれます。

 この本の主張は、それを交渉術としてみるだけでなく、世界の中で日本が一人前の国家として振る舞っていくために、この過去の史実(?)から何を教訓として得るのか、ということを問いかけようとしているのではないかと思います。だからこそ、富士通・IBM秘密交渉としてその後ストーリーが完結していなくても、一つの経済小説として意味ある主張がある気がするのです。

 著者自身も、この秘密交渉の結論の当否を世に問いたいわけではないでしょう。考え方によって、今ですら、良いとも、悪いとも、両面から議論できると思います。問題は、こうした国際的なコミュニケーションに日本がどういう覚悟で対峙していくのか、そのことを真剣に考えながら、ひいては国内問題にも対処していかないと、このままだと、日本という国家は、経済国家としては二流・三流になってしまう。そういう視点から、世界に雄飛しようとする現役のビジネスマンや行政官こそ、自分たちの視点で、自分だったらどうするかを、この本を通じて考えて欲しいということなのではないかと思います。

 

3. 「雲」は掴めるか

 

 日本にとって、真に国際的な国家たることは、まだまだ「坂の上の雲」なのでしょうか。伊集院さんには、そう怒られているような気がしてなりません。

 確かに、今のこの、個人も社会も含めて自分本位な考え方が跋扈しはじめている日本の風潮を見ると、伊集院さんの憂いが、何となくですが、分かるような気がします。「自分が救われなければ、日本の社会保障制度に問題がある」的な主張が世間の関心を呼び、製品事故があれば、その使用形態や方法を論じることなく消費者保護の強化が必要だとする主張が、政権の主要課題を動かしてしまうような状況だとすれば、少なくとも、世界に通じるようなfairnessが日本の中で涵養されるようには思えません。

 それでも日本には、様々なレベルで共同体を背負ってきた歴史がありますから、最後は誰かが個々人の我が儘をうまくまとめていくのかもしれません(??)。しかし、世界は、日本に対して、そんな「温情」はかけてくれません。自己の主張と自己の責任、自分の問題と社会の問題を区別して議論をし、全体的なfairnessや、共有されたprincipleに基づいて、論理整合的に何が大事なことなのかを説明していくことが求められます。

 これは教育の問題だと言ってしまえば、それまでです。しかしそこに逃げ込むのも、ある種の「べき虫」。必要なのは、今日本を支えている世代一人一人の現場体験だろうと思います。まずはビジネスとともに海外に出てみること、そこでルール作りも含めてフィールドそのものの設計に日本人が自ら取り組むこと。いつまでも、作られた金融市場や、作られた消費市場に乗っかって2番手戦略に甘んじるのではなく、自ら、国際的にリスクを採るような行動をとること。

 「それが足りない。」と、僕は伊集院さんに怒られているような気がするのです。

 

    *     *     *

 

 今回は、iPodとは何の関係もない話でした。ただ、結論に近い部分では、必ず関係してくる話だと思います。日本のIT産業も、早く、21世紀的に「雲の上」につきぬけたいものですね。。

 ちなみに、この本の出版を前後して、知的財産戦略本部が、安全確保という視点ながら、リバースエンジニアリングを円滑に行うことが出来るための枠組みを論点提起したというのも、何やら因縁めいたものを感じます。

 次回は、また、もう少しiPodに近い話に戻りたいと思います。

 

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追伸:富士通、IBMどちらが「正しい?」のか

 本来以下の解説は、Cnetの読者にはほぼ無用の長物かと思いますが、いろいろな方がいらっしゃると思いますので、念のため付け加えます。

    *   *   *

 ソフトウエアの世界で常に鍵を握るのが、「相互運用性」。一般用語に近い表現をすれば、「異なるハードウエアなどの間でのソフトウエアの互換性」の問題です。

 IBMは、強くなりすぎた1970年代、「抱き合わせ販売」をはじめ、多くの独禁法訴訟を起こされていました。その対応の一環としてIBM自らが実行したのが、ハードウエアとソフトウエアのアンバンドリング。OSという概念を持ち込み、ハードウエアとソフトウエアを仕組みとして分離。その上で、ある特定の命令セットに準拠すれば、どんなソフトでも、OSを介してIBMマシンの上で動くという仕組みを確立しました。また、ユーザの利便性確保に応えるため、ソフトウエアが準拠すべき命令セットをユーザを念頭に無償でライセンスしていました。こうして、IBMのハードウエアを動かせるソフトウエアが、IBMコンピュータの普及とともに大量に作られていったわけです。

 IBMは、その最盛期、世界のメインフレームの市場の80%以上を占めたといわれますから、IBMのハードウエア上で動かせるソフトウエア資産もそれに匹敵するシェアをしめていたことでしょう。

    *   *   *

 そこで、富士通と日立が選んだ道が、IBM互換機。IBMマシンを念頭に大量に作られたソフトウエアが、富士通製や日立製のマシンの上でも完全に動く、そういうハードウエアを作ろうという話です。ユーザは一度作り上げたソフトウエア資産を簡単には捨てられませんから、もしIBM互換にならなければ、日本のコンピュータ産業がとれる市場は、IBMが取りこぼした狭いユーザマーケットに限られてしまう。IBMマシンの市場に競争に打って出なければ成長はかなわない。そういう思いがベースにあったと思います。

 特に、80年代の富士通が目指したのが、IBMマシンとの完全互換性を保障するのはもちろんのこと、更にIBMマシーンにない機能をも備えた先進的なハードウエアを開発、世界に販売し、IBMマシンのシェアに少しでも大きく食い込むことでした。そのために、IBMマシンと互換性を維持するための技術情報を、様々な形で懸命に収集していたわけです。

 この開発作業はそれは苦しいものだったとききますが、80年代前半、富士通はこれに成功します。そして、実際、富士通系の会社が オーストラリアでIBMに競り勝ち、欧州でも提携を通じて徐々に富士通の技術が市場を取り始めるなど、80年代前半、富士通は徐々に海外進出を実現させ始めていました。

 なお、IBMお膝元の米国では、独禁法訴訟の頸城からIBM自身がなかなか逃れらない中、IBMを退職したアムダール博士がアムダール社を起業し、富士通とつかず離れずの提携を何とか維持しながら、IBM互換機を開発・販売。一定の成功を収めていました。

 IBM自身も、S360、S370とメインフレームの市場でこれらを遙かに上回る大成功を治めていましたし、またそれを誇るにたるだけのすばらしい性能が各マシンにあったわけです。「デザイン・ルール」という本にも詳しく分析をされていますが、これらのコンピュータが持ち込んだ技術思想は、当時、他を寄せ付けない圧倒的なものがあったと思います。

 しかし、80年前後になると、アムダール社はもとより、富士通、日立と、互換機メーカーの追い上げが激しさを増してきます。IBM自身も、OS関連部分の一部をハードウエアに直接書き込んで解析しにくくするなど対策を急いでいましたが、急成長しつつある互換機ビジネスに手を焼いていたわけです。独占的な地位にある企業として、IBMもなかなか互換機自体が違法だとは主張できないが、実際には、互換機ビジネスの息の根を止めたい。特に、独禁法による縛りを直接的に恐れる必要のない米国以外の市場が、他国の互換機で荒らされるのは堪らなかったんでしょう。

 生き残りをかけて世界進出を図ろうとする富士通、これまで積み上げてきた努力を基に世界的な独占を維持しようとするIBM。この業界は、昔から、「相互運用性」問題を核に、ユーザ利益か開発者利益か、オープンイノベーションかブラックボックス戦略か、アーキテクチャデザインを起点に延々と競争を積み重ねているわけですね。

 このアーキテクチャというコンセプトを明確にしたS360に、僕は個人的に大きな敬意を払います。S360が世に問われてから40年以上。なかなか、日本発のアーキテクチャデザインがこの世界では生み出せてきません。坂村先生がTronで問われた苛立ちも、非常に共感します。行政が直接アーキテクチャデザインを出来るわけではないかもしれませんが、相互運用性を問われるようなアーキテクチャを日本発で生み出すべく、是非、奮起していかないといけませんね。

 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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