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帝国海軍とiPod 〜文藝春秋11月号の対談から

2007/11/27 09:18
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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 このタイトルは、ちょっとやりすぎでしょうか?中身は、先月号の文藝春秋に掲載された「帝国海軍vs米国海軍 日本は何故アメリカに勝てないのか」という記事のご紹介です。現代のアナロジーとしても読める非常に面白い対談です。本当はIGFシリーズの次にすぐ書くつもりだったのですが、IGFが行われたブラジルから乗り継ぎ含めて30時間のエコノミーフライトは体に応え、体調を崩していました。年齢ですね・・・。

 以下では、この文芸春秋の対談から、敢えて解説を付さずに、iPod問題にもインプリケーションのありそうな関係部分のエッセンスを抜き書きしたいと思います。発言者名も引用してませんし、正確な要約でもないので、あくまでも個人的に気になった部分の抜き書きということで、お許しください。正確なところは、是非、本文に当たっていただければと思います。

 

    **********(以下、対談から)************

 

1.リーダー、戦略、人事

 

 米国海軍で太平洋戦争を指揮したのは、アーネスト・キング米国艦隊司令長官兼作戦部長でした。日本でいえば、軍令部の永野修身総長(陸軍でいう参謀本部)と山本五十六連合艦隊司令長官をドッキングさせたようなポストです。このキングという人、自負心が強く高圧的なことで有名な人で海軍内の評判も凄く悪かった。人間関係を重視する日本海軍では決して偉くならないタイプの人です。しかし、海軍に精通していたことで有名なルーズベルト大統領は、何故か、真珠湾攻撃の直後、キンメル司令長官とスターク作戦部長を更迭し、逆に、このキングに海軍の全権限を集中させる。

 そのキングが最初に行ったことは、ミッドウエー、ソロモンと連戦し現場に通じたフレッチャー中将の更迭でした。後任は、当時航空局長であり冷静な能吏タイプのニミッツ。キングのグランド・ストラテジーを忠実かつ不動の姿勢で実現するタイプです。別に、真珠湾攻撃は更迭されたキンメル司令長官に落ち度があったわけではないし、フレッチャーに決定的なミスがあったわけでもない。それでも米海軍では、運も含めて結果を重視し、作戦が失敗するとすぐ更迭する。対する日本は、ミッドウエー敗戦後も南雲長官はじめ誰一人更迭されない。米海軍が将官級を26人更迭したのに対して、敗戦を喫した帝国海軍側の引責更迭は0人です。中には、作戦に失敗しても「花道を咲かせる」ために留任させ、また負ける例も。。。

 また、米国では、平時と戦時に明らかに違う人事をする。例えば、そのニミッツは、南太平洋艦隊司令長官だったゴームリーを更迭して、猛将ハルゼーを持ってくる。ゴームリーは能吏型の秀才で平時なら米海軍を担うと嘱望された人物ですが、ガダルカナルでは撤退を唱え弱気を晒した人物。あっという間に交代です。だいたい、当のキング米国艦隊司令長官自身が、平時ならその職には就かないかもしれない人物です。ところが、日本海軍は、戦時に突入しても、平時の延長線上で淡々と人事を続けた。加えて、日本海軍の人事は、2年周期前後で様々なポストを回る伝統的官僚スタイル。人事は、大臣と人事局の専任事項で上官が部下を選べない。米国では、長官と幕僚がセットで異動するので、指揮官は新しい部署でも自分のやり方に慣れたスタッフとチームワークを保ったまま作戦指揮が出来る。日本では、山本五十六司令長官ですら、全くウマの合わない宇垣参謀長を人事局から押しつけられている。

    *  *  *

 グランド・ストラテジーを担うべき軍令部も何もしていなかったわけではありません。「帝国国防方針」制定以来、対米作戦を研究、立案してきた。にもかかわらず、直前になって、現場の連合艦隊司令長官の山本は勝手に大戦略を変更してしまいます。しかも、彼は決して理詰め型ではない。ひらめき型なのですが、その山本のプランが真珠湾で大成功をしてしまう。

 日本の海軍、陸軍に限らず、日本型組織は基本的に中枢よりも現場が強いのが特徴です。現場に経験や知識、判断といった経営資源が蓄積されているので、トップが受け持つべき戦略策定や企画判断も実際にはどんどん現場に降りてきてしまう。この「現場主義」は、日本型組織の強みでもあり、第二次世界大戦の海軍のように、いざとなると山本が作戦を決めてしまうというのは、確かに十分ありうることです。ただ、このやり方は現場の負荷が重い。作戦を実行するだけでも大変なのに、大戦略を考えなければならずアップアップになってしまいます。(でも、大本営参謀本部が作戦を決めた陸軍では、現場に対する知見のなさから誤った判断を下し、現場は玉砕します。なかなか難しい問題です。)

 思いこみの強さも、日本の現場の特徴です。例えば、大きなターンニングポイントとなったミッドウエー海戦では、索敵の段階で決定的なミスをしている。重巡「筑摩」から飛ぶ黒田飛行長の索敵機は、雲の下にいたアメリカの機動部隊を見過ごすという決定的なミスを犯します。これさえなければ、当時、質量ともに圧倒していた日本海軍は全く違う結果をたどれたかもしれないとすら言われています。雲の上を飛ぶというのは索敵上基本的なミスですが、南雲艦隊全体に、そもそも、敵の機動部隊は出てこないという思いこみがあったという点への指摘もあります。実際、その後、重巡「利根」の4号機が敵索の帰り道に米艦隊を見つけるのですが、その「利根」が「敵ラシキモノヲ見ユ」と報告しても、問い合わせその他に時間をとってしまい、報告から出撃まで一時間半かかっている。敵はいないはずと決めつける”集団催眠”状態が指摘できるのではとの意見が指摘されています。

 山本司令長官が持っていた、「ミッドウエーの攻略自体よりも、それを口実に残る敵艦隊をおびき出して一挙に捕捉撃滅する」という作戦意図が現場まで周知徹底していれば、そういう催眠状態もなかったかもしれません。ここで、日本型組織のもう一つの特徴である、トップと現場の間のコミュニケーションの悪さという問題も露呈した。だから、南雲司令長官自身も、そもそもミッドウエー攻略が主で、敵の機動部隊はいないと思いこんでいた平気でいた節がある。米国では、そういうところはしっかりしています。総司令のキングと太平洋の総司令ニミッツは必ず月に一度は西海岸で直接顔を合わせて作戦を共有していました。太平洋の総司令ニミッツとスプルーアンスをはじめとする太平洋所属の各艦隊司令長官も、ハワイで起居をともにして、作戦構想や情報、価値観の共有を図っている。日本は、現場が優秀なのですが、同時に、トップと現場の距離が遠いのがもう一つの特徴と言えるでしょう。

 

2.イノベーション、技術力

 

 日本の作る兵器は、零戦にしても酸素魚雷にしても精密で技術の粋を凝らしたものでした。反面、扱いが非常に難しい上に、大量生産がきかない。純酸素を使用して強力な威力と4万メートルという米魚雷の数倍の射程距離を持った酸素魚雷は、引火すると大変なことになったし、零戦も軽量で小回りがきく分、敏感すぎて安定が悪く、操縦が難しかしいのが特徴でした。

 これに対して、米軍の兵器の特徴は、でかい、馬力がある、大量生産ができて扱いが簡単。また、いざ戦争が始まると爆発的な技術革新で瞬く間に日本を追い抜いていく。対戦当初のB17を10点のできとすれば、B29は百点。与圧室の採用や先進的な火気管制システムの採用など一世代、二世代も先に行ってしまいました。

 米国は大きなものを作らせると得意です。小型・精密志向の日本とは正反対。戦争初期に南方戦線で制空権をとりながら戦局が打開できなかったのは、このB17を撃墜できなかったからです。それだけ大きかった。日本人は細やかな美意識を発揮して作り上げた作品にすぐ何か入れたくなりますが、米国人の大雑把な性格は、こういう総力戦の時には大きな長所になる。見た目も流麗でスマートなゼロ戦に対して、グラマンF4FのワイルドキャットにしてもF6Fヘルキャットにしても、寸胴で不細工。だけれども、その分頑丈な機体だったし修理も楽。大量生産にも適していた。

 米国の飛行機は馬力があってまっすぐ飛ぶ。よく言えば安定性がよく悪くいえば鈍重。でも操作は簡単だった。これも大事なポイントでした。戦後、海上自衛隊で元海軍パイロットが米軍機を飛ばして、「こんな鈍重な飛行機に負けたのか」と慨嘆されたそうですが、それだけ米国はパイロットの養成にも有利だったわけです。米国では、戦争が始まると民間の飛行学校もすべていったん閉鎖して軍隊に応招する人だけ再教育する。マニュアルも、漢字仮名交じりのわかりにくい日本のものに対して、イラストからマンガまで効果的に使われたわかりやすい教材が米国では準備される。そして、パイロットを大量生産にし、そこに年間1〜2万機の規模で生産された爆撃機があてがわれる。この時点で、もう日本とは対応の規模が違う。戦争初期に日本は何をしていたかというと、日露戦争後将校が増えて困ったという理由から人事局が相変わらず兵学校や士官学校の増員に反対していた。

 また、日本の軍隊の民間活用がなっていなかったのも特徴です。陸海軍ともに、補給や軍需生産に回されるのは一番できの悪い連中と決まっている。みんな行きたがらない。総力戦では工業力や補給が決定的に重要という認識が全くなかった。しかも、できの悪い軍人に限って、むしろ三菱の社長あたりに威張り散らすわけで、筋が悪い。プロの軍人がいやがる分野は、最初から補給にしても生産にしても、三菱の専門家に佐官くらい階級を与えてもっと任せてもよかった。なのに、巨大な官僚組織が全部抱え込んでしまった。アウトソースが出来ないわけです。自分で自分の首を絞める。

        *      *      *

 米国が飛躍的に技術革新を遂げた背景として、米国の技術信奉主義があげられる。原子爆弾から原子力潜水艦、ポラリス・ミサイルに至るまで、最新技術を制したものが戦争を制するという考え方が非常に強い。だから技術開発に対して圧倒的な投資を行う。これに対して、日本は、作戦の立案、駆逐艦の操艦、戦闘機の操縦、いずれもアート、すなわち名人芸として理解される。技術開発も大切にしないわけではないけれど、それ以上に現場のアートが重用される。いわば、日米の当時の戦いは、名人芸vs.サイエンスの戦いだったのかもしれません。

 加えて、日本には、「標準化」という発想が欠如していたという問題もありました。作り手側は、アートですから、より性能の高いもの、思いついた機能などはどんどん途中で加え、改良したくなる。例えば、零戦一つとっても、開発は三菱、過半の生産は中島飛行機が担いますが、中島は飛行機作りには自信があって、増槽タンクの取り付け金具の位置などを勝手に変えてしまう。メンテナンスの方法などもまるで変わってきてしまっていた。この問題もはじめ、日本には、艦船にしても飛行機にしても、実に多くの種類が残されている。その結果、コスト、メンテナンス、大量生産の可能性など多くの面で、自分の首を絞めている。

 当時は、ベーステクノロジーにも大きな差がありました。特に無線機などは格段の差があった。今と違って、米国産無線機を支えていた真空管は、当時の日本には生産が出来ませんでした。その原因の一つが、長きにわたる国際的な孤立です。日本は戦前、辛うじてドイツと交流はあったものの、それも表面的なモノでしかなく技術的に孤立していた。そこにも不幸があったかもしれない。英米は、民間に分厚く蓄積されたノウハウを幅広く結集し、新しい発想を積み上げている。分権システムの中で自由に開発競争をさせ、その成果を国が吸い上げたわけです。

        *      *       *

 米国海軍にあって日本海軍にないもう一つの戦略的発想は、「ダメージコントロール」です。日本海軍の最大の欠格は、ひとたび計画を立てたらそれは完璧なもので、すべてその通り運ぶという無謬性を前提にしてしまう。例えば、戦艦大和の装甲設計が完璧なら、打ち破られた実績があってもそれはもみ消されて何か別の理由がつけられてしまう。したがって、失敗の原因を分析し、次に活かすということが社会的な仕組みとして定着しない。

 また、「安全性」が「恥」の犠牲になるという例もありました。陸軍機のコックピットの背後にあった防弾鋼板は、重いので上昇性能が落ちると自らはぎ取ってしまうパイロットが出てくる。そうこうしているうちに、それをとらないと、「おまえは命が惜しいのか」という話になってしまいます。別の例では、嶋田海相が「艦長は艦と運命をともにすべし、という精神でのぞめ。」と訓辞を出すと、ソロモン海戦の初期までは、中佐クラスの駆逐艦長が真に受けてずいぶん戦死をし、優秀な艦長を多数失っている。この点については、後になって、海軍省も、「できる限り脱出するように」と訓辞を改めています。

 

3.インテリジェンス

 

 この戦争は、暗号解読をはじめ情報戦でも完全に負けていました。ニミッツは、キンメルから太平洋艦隊の司令長官を引き継いだ際、レイトンという優秀な情報参謀を残してもらっており、彼を重用し続けました。ミニッツは、「レイトンは巡洋艦隊よりも重要だ」という公言している。ミッドウエーはじめ、彼が基本的に日本海軍の動きをよんでいました。これに対して、日本が米国海軍の暗号解読に成功したという話は、全く聞かない。

 日本では、軍令部第三部が情報担当でしたが、発言力が弱く、軍令部内でも意見はほとんど聞いてもらえませんでした。それどころか、日本海軍は、暗号書が奪われたのではないかというドイツの警告を無視して暗号変更を行わないし、ゲリラに捕まって暗号書を盗まれた某参謀長を第二航空艦隊司令長官に栄転すらさせている。米国は、入手した日本の機密書類を、暗号の変更を避けるためにわざわざ海に戻して日本に回収させるところまで手を打つのに、日本のインテリジェンスに対する意識は全くゼロに近い。山本司令長官が戦死した段階で今村大将が暗号が解読されているらしいと指摘して初めてダミー暗号電文を打ってはみますが、その時も、米国は既に偽電と気づき無視され、その結果、日本側も安心して結局暗号を変えずに継続的に使っています。ましてや、人的諜報にはなお弱い。

 情報には分析力も必要です。その点でも米国海軍はすごい。例えば、陸軍が航空写真で爆薬工場と思われる建物をとる。陸軍は、弾薬生産の専門家を連れてきて、工場の床面積がこれくらいだから日産量これくらいという分析をします。それに対して海軍は、兵器の専門家はもとより、天文学者や数学者、土壌の研究者や植物学者まで連れてくる。すると、植物学者が、「写真が撮影されたこの場所にこの植物があるのはおかしいとみて、後から植物を植えて」何かを遮蔽したのではないか」と指摘し、天文学者が、「この時期の太陽の角度からするとこの建物の影はあまりにも低く、この建物はぺったんこなのではないか」という。その結果、「この工場らしき建物はダミーだ」という認定をする。そこまでしているそうです。

 戦略の本質とインテリジェンスが何かということに対する認識の深さが違う。

 

4.上司と部下、理想の提督

 

 米国は完全な勝利至上主義の組織です。強いリーダーシップを発揮して勝つ組織を作り上げることを明快に志向しています。日本の軍人は、よく武士道精神を鼓舞しますが、例えば、同じ武士道でも、宮本武蔵の「五輪書」と江戸中期の「葉隠」ではまるで別物です。「五輪書」は戦場のリアリズムに基づいていかにして敵を倒し生き延びるかという実践が書かれていますが、「葉隠」に書かれているのは、いかに他の武士から立派な人と見られるか、人に侮られないかという世襲官僚としての処世術と美意識が強い。「葉隠」は、「武士道というは死ぬことと見つけたり」という一節で有名ですが、戦争は、勝つことが目標のはず。昭和の軍人が唱えた武士道には問題がある。軍人が美意識おぼれては、やはり戦争には勝てません。

 あらゆる企業が創業者の人物を深く反映しているように、あらゆる組織には、その組織の礎を築いた人物の考え方や業績が刻印されている。米国の場合、南北戦争で活躍したファラガット提督。日本海軍の場合、日本海海戦を制した東郷平八郎です。このファラガットという人は、南軍最後のメキシコ湾の砦に対して、「機雷なんか恐れるな、つっこめ!」と号令をかけて、南軍より多くの犠牲者を出しながら3時間で陥落させ、名をなした人物です。戦争の勝敗は損害の大小ではなく最終的な戦略目標の達成だということを明示した人です。ところが日本海軍は、根っ子のところで、どうもこの突撃精神が足りない節がある。不幸な特攻を強いるのは、もはや負けが鮮明に見えてからの話です。

 貧乏な日本海軍は、「とにかく艦を沈めるな」という意識からでしょうか、遠方から砲撃することばかり考えている。「大和」の18インチ砲もレイテ沖海戦で百発撃って1発も当たっていない。主砲射程は米国より明らかに長い。これ自体は誇るべき先端技術のなせる技です。しかし致命的な欠陥がある。大砲の弾が発射されてから着弾するまで80秒かかってしまうのです。この間に、敵は逃れてしまう。艦隊ごと相手に突っ込んでいった東郷平八郎とは大分戦い方が違う。もちろん、日本海軍にも例外はあります。レイテ湾に突っ込んだ西村艦隊と、第三次ソロモン海戦で一隻で突進した吉川中佐の「夕立」あたりは、貴重な例でしょう。

 日本は、東郷平八郎があまりにも完璧な勝利を収めてしまったが故に、完璧な作戦で勝たなければならないというストレスがあったのではないか。作戦に無謬を求める志向が柔軟性を無くしてしまったきらいがあります。なかなか難しいですね。

 

5.失敗の本質

 

 インテリジェンスに対する感度の鈍さ、現場主義故のリーダシープの弱さなど日本の悪いところばかりを強調してきましたが、それを国民性といって片づけてしまえば、進歩は望めなくなります。実際、明治維新期の日本人は、高度のインテリジェンスを発揮していたし、日露戦争当時の日本海軍は、東郷のリーダーシップと大胆な人事、で結果をきちんと導いている。日露戦争から第二次世界大戦までの間も、1930年代の日本海軍の技術的な成長は大きなものがあります。

 皮肉な結果ですが、むしろ、日露戦争の成功は、「失敗は成功の始まり」の逆で、ある意味、「失敗の始まり」になってしまった面があるのかもしれません。失敗を正視するリアリズムが当時欠けていたということなのでしょうか。そうして、日本の場合、平時の論理が戦時にまで持ち越されてしまった。人事面でも戦略面でも失敗を直視するリアリズムが欠けていた。

 でも、そのリアリズム自体も、時として残酷です。一例を挙げれば、英国のチャーチルは、独の暗号「エニグマ」を既に解読していて、イングランド第八の都市、コヴェントリーが爆撃される日時を正確に知っていた。でも避難命令を出せば、暗号が解読できていることが分かってしまう。それを恐れたチャーチルはコヴェントリーの市民を見殺しにするわけです。この決断のすさまじさは、ちょっと日本人にはマネ出来ない。しかし、そのチャーチルは、戦争が終わればその座を追われる。キング司令長官も終戦後間もなくその座を追われ、失意のうちに病に倒れています。猛将ハルゼーも戦後お金に困って暴露的な著作を書き、海軍関係者の顰蹙を買ったそうです。

 

 ********(以上、対談からのピックアップ終わり)*******

 

 

 僕は、この対談を読んで、実に色々なことを連想し、「痛いなあ・・・」と何度も思いました。しかも、何が一方的に正しいかという解はありません。iPod問題と太平洋戦争が結びつくとは思っていませんでしたが、実に色々な点で、共通する部分があるのかなと思いました。この読み方自体も色々あって良いと思います。もしその方が良ければ、僕の感じたことを書いても良いのですが、とりあえず、そのままを皆さんに紹介してみたいと思い、今回はこういう書き方にしました。自分の体調不良で書き遅れてしまったため、11月号はもう多くの店頭にはありませんので(もちろん図書館等にはあると思いますが)、その分も含めて、やや丁寧に書いたつもりです。逆に読みにくくなっていればお許しください。興味を持たれた方は、是非、本文に当たっていただければと思います。皆さんの感想などもコメントいただければ幸いです。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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