読売新聞10月13日版の調査記事「新聞、これからも必要」が90%…読売世論調査は、いささか新聞の自画自賛ぎみの報道であった。
読売新聞社が15〜21日の第61回新聞週間を前に行った全国世論調査(面接方式)によると、情報や知識を得るために、新聞はこれからも必要だと思う人は90%に上った。
新聞の報道を信頼できるという人も85%に達し、国民の多くが新聞を重視していることがわかった。
新聞について、「必要とする情報や日常生活に役立つ情報を提供している」と思う人は86%を占めた。「報道が国民の人権やプライバシーを侵さないように気を配っている」との答えは70%、「事実やいろいろな立場の意見などを公平に伝えている」は66%だった。
ニュースの背景や問題点を掘り下げて解説するという点で、大きな役割を果たしているメディアを三つまで挙げてもらったところ、「一般の新聞」は76%で最も多かった。社会の懸案や課題に対する解決策を提案するという点では63%、権力者や世の中の不正を追及するという点でも58%と、いずれも、「一般の新聞」が他のメディアを上回った。(「新聞、これからも必要」が90%…読売世論調査)
しかも、Web版では、結果しか載っていない。仕方が無いので、紙面から探ってみる。調査方法は、個別訪問面接方式、全国の有権者(つまり20歳以上)3000人のうち、回収率61.2%の1835人であった。しかし、この40%近くの人が、回答を拒否したのか、不在で会えなかったのか、はたまた新聞を取っていなかったので回収不能にしたのかわからない。ただ、質問のひとつに新聞を読む時間の質問に対して、全く読まないと答えたのが4.5%というのはあまりにも少なすぎる。この回収できなかった40%近くのかなりの部分で「新聞を取っていなかったので回収不能」でなかったのかと疑問さえ覚える。さらに、内訳をみると、男47%、女53%、20歳代10%、30歳代15%、40歳代16%、50歳代21%、60歳代23%、70歳以上16%となっている。20〜40歳が41%、50歳〜70歳が60%というのは、デジタルデバイド(パソコンに触れる)年齢が50歳だと考えると、新聞社に都合よく見える。
そこで、質問と回答を並べてみる。
@あなたは、新聞があなたの必要とする情報や日常生活に役立つ情報を提供していると思いますか、そうは思いませんか。
十分に提供している 31.4 だいたい提供している 54.8 あまり提供していない 9.0 ほとんど提供していない 2.3 答えない 2.6
Aあなたは、新聞が事実やいろいろな立場の意見などを公平に伝えていると思いますか、そうは思いませんか。
十分(公平に伝えている 以下略) 12.3 だいたい 53.5 あまり 21.5 ほとんど 8.5 答えない 4.2
Bあなたは、新聞の報道が国民の人権やプライバシーを侵さないように気を配っていると思いますか、そうは思いませんか。
十分(に気を配っている 以下略) 16.8 だいたい 53.5 あまり 19.9 ほとんど 5.9 答えない 3.9
Cあなたは、全体として、新聞の報道を信頼できますか、信頼できませんか。
大いに(信頼できる 以下略) 21.7 だいたい 62.8 あまり 10.4 ほとんど 2.7 答えない 2.5
D次の3つのメディアについて、大きな役割を果たしていると思うメディアを、次の中から、それぞれ3つまであげて下さい。
(a)「ニュースの背景や問題点を掘り下げて解説する」という点で、大きな役割を果たしていると思うものをあげて下さい。
(b)「権力者や世の中の不正を追及する」という点ではどうですか。
(c)「社会の懸案や課題に対する解決策を提案する」という点ではどうですか。
一般の新聞 (a)75.3 (b)58.4 (c)63.2
スポーツ新聞 (a)3.5 (b)4.4 (c)1.5
夕刊紙 (a)3.6 (b)3.3 (c)2.9
NHKテレビ (a)63.1 (b)37.2 (c)46.7
民放テレビ (a)49.4 (b)56.7 (c)52.2
ラジオ (a)12.8 (b)7.6 (c)7.2
月刊誌 (a)3.9 (b)5.8 (c)4.0
週刊誌 (a)5.2 (b)20.5 (c)5.1
インターネット (a)14.9 (b)14.2 (c)11.3
その他、とくにない、答えない (a)2.9 (b)7.1 (c)11.8
Eあなたは、新聞を読む習慣を身につけることは大切だと思いますか、そうは思いませんか。
そう思う 90.6 そうは思わない 8.2 答えない 1.3
F最近、インターネットの利用者が増えていますが、あなたは、情報や知識を得るために、新聞はこれからも必要だと思いますか、必要ないと思いますか。
必要だ 68.9 どちらかといえば必要だ 21.1 どちらかといえば必要ない 6.6 必要ない 6.6 答えない 1.3
G【前問で「必要」と答えた人だけ】
あなたがそう思う理由を、次の中から、あればいくつでもあげて下さい。
新聞の情報だけで十分だから 13.3
新聞は情報が整理されていてわかりやすいから 50.5
新聞は好きなときに好きな場所で読めるから 54.8
新聞は保存して資料に使えるから 31.2
新聞の方が信頼できるから 18.6
新聞を読むのが習慣だから 30.4
パソコンなどの操作が面倒だから 11.3
その他 2.5 答えない 0.8
Hあなたは、平均して、1日にどのくらいの時間、新聞を読みますか。次の中から、1つだけあげて下さい。
10分(くらい 以下略) 18.1 20分 21.6 30分 26.8 40分 9.5 50分 1.8 1時間 10.8 1時間半 2.1 2時間以上 2.1 全く読まない 4.5 答えない 1.9
以上が質問項目全てである(○数字は筆者)。長々と引用したが、それは一部を隠すことは、結局全体を隠してしまうことになり、誤った方向に導きかねないからだ。ともかく、内容を読めばわかるとおり、新聞購読者を主体にしているとしか考えられない質問ばかりだ。もし、本当に新聞が危機感を持って質問をしているとしたら当然質問が変わるべきである。そこで、僕はこんな質問を考えてみた。
@あなたは、新聞を購読していますか。
購読している 購読していない
A購読していないと答えた方、その理由は何ですか。
会社で読んでいるから購読していない
図書館で読んでいるから購読していない
インターネットで新聞を読んでいるから購読していない
テレビでニュースを見るから必要ない
森林の無駄遣いだから新聞なんて必要ない
ともかく、読売新聞の調査の発想は、読者と新聞の関係は、未来永劫変わらないと考えていることだ。昔、「私作る人、あなた食べる人」という一方的に決め付けたCMがあったが、読者はせいぜい読者欄で感想を述べるだけで、読者から情報を発信するという事実を捉えられていない。
佐々木俊尚氏の最新刊「ブログ論壇の誕生」では、「anti-monosの新メディア論」を引用している。
既存のマスコミが絶対に理解できない、かつ生理的にも受け付けられないネットの特徴は「編集権を読者に委ねている」ということ。新聞、ラジオ、テレビと既存のマスコミはすべてニュース価値をマスコミの側で判断し、それを受け手に与えるという構造だった。何をどう扱うかは最初から最後まで、すべてマスコミ次第。つまり「編集権を完全にコントロールできる」状態。言い方を変えれば完全なる「押し付け」だ。だから、マスコミはブログやSNSなど受け手の側が発信、編集するというのは生理的にも受け入れられない。(マスコミの人間が決定的に理解できないネットの本質 〜朝日、日経、読売3社連合「あらたにす」を見ての感想)
佐々木氏は、これを受けて
事態はかなり絶望的だ。
それだけではない。
ブログ論壇の急速な台頭も、日本の新聞社のプレゼンスをさらに低下させる大きな要因となっている。
後に述べるように、世代間対立を背景として若い世代の新聞社への信頼感はいまや急速に薄れている。マスメディアが体現する団塊世代の言論空間と、ネットで勃興しているロスとジェネレーションの言論空間の間に、お互い相容れないギャップが生じてしまっているからだ。
記事というコンテンツは、「一次情報」と「論考・分析」という二つの要素によって成り立っている。新聞社は膨大な数の専門記者を擁し、記者クラブ制度を利用して権力の内部に入り込むことによって、一次情報を得るという取材力の部分では卓越した力を発揮してきた。だがその一次情報をもとに組み立てる論考・分析は、旧来の価値観に基づいたステレオタイプな切り口の域を出ていない。たとえばライブドア事件に対しては「マネーゲームに狂奔するヒルズ族」ととらえ、格差社会に対しては「額に汗して働く者が報われなければならない」と訴えるような、牧歌的な世界観である。
このようなステレオタイプ的な切り口は、インターネットのフラットな言論空間で鍛えられてきた若いブロガーから見れば、失笑の対象以外の何者でもない。彼らは新聞社のような取材力は皆無で、一次情報を自力で得る手段を持っていないが、しかし論考・分析の能力はきわめて高い。ライブドア事件にしろ格差社会問題にしろ、あるいはボクシングの亀田問題にしろ、読む側が「なるほど、こんな考え方があったのか!」と感嘆してしまうような斬新なアプローチで世界を切り取っている。
今の日本の新聞社に、こうした分析力は乏しい。論考・分析の要素に限って言えば、いまやブログが新聞を凌駕してしまっている。新聞側が「しょせんブロガーなんて取材していないじゃないか。われわれの一次情報を再利用して持論を書いているだけだ」と批判するのは自由だが、新聞社側がこの「持論」部分で劣化してしまっていることに気づかないでいる。ブロガーが取材をしていないのと同じように、新聞社の側は論考を深める作業ができていないのだ。(佐々木俊尚著「ブログ論壇の誕生」文春新書)
佐々木氏の「論考を深める作業」とは何か。それは、新しい発想ができないということである。取材を通して、自分なりの記事を書くという基本を忘れてしまえば、それは単なる作業である。作業になれば考える必要が無い。たとえば、小寺信良氏のブログ「コデラノブログ3」にこんな記事があった。
いやそれはそれとしてだ、この記事中に出てくる主婦連の河村さん、専修大の山田先生のコメントって、このシンポジウムの中の発言そのまんまなんだよね。我々としては公開シンポジウムとして行なったものだから、その発言を記事にするのは問題ないのだけど。でもさ、このお二人の記者さん、ぼくらのシンポジウムには来てないんだよね。
えーと今事務局で確認したところ、いらっしゃってません。我々受付で必ず名刺を頂戴しているのだけど、毎日からはこのお二人とは別の記者さんのみ、お名刺をいただいています。
ではこの発言をどうやって引っ張ってきたのか。考えられるのは、我々がシンポジウムの内容として公開しているYouTubeとニコニコ動画の動画からだろう。これ編集したのって僕自身なので、該当のコメントもよく覚えている。休日を利用してしこしこと作業したものなので、せめてMIAUの名前出してくれるぐらいしてくれないと報われないよなー、とごくごく個人的に思う一方で。(新聞記者の記事が、それでいいの?)
新聞記者は、引用記事というのは嫌うらしい。引用であっても、いかにも取材しましたという記事を書く。そこに妙な自負と欺瞞がある。
しかし、それは盗作であり、盗用である。引用したなら、ちゃんと引用元を記載するのが最低限の礼儀だと思う。小寺氏は、
新聞記者というのは足で歩いてコメントを拾って歩くものじゃないの?
僕もNHK時代に3年ぐらい報道局で編集をやってたけど、NHKの報道番組って記者だけでなくディレクターやアナウンサーも「記事」を作る。テレビだから「ニュースV」ということになるのだけど。
でもその中で、やはり記者が持ってきたネタというのは「オレたちはディレクターじゃねぇ、記者なんだ」というプライドとこだわりを持って、ものすごく時間をかけて追った丁寧な取材テープを持ってきたよ。それが「記者」というものだというのを、僕は目の前で見せて貰ったものなのだけど。(新聞記者の記事が、それでいいの?)
この記者は、取材の必要性を理解していないらしい。また、ITProに佐々木氏を交えての「時代錯誤の舞台装置はもういらない---続々・「マスゴミ」と呼ばれ続けて」という記者座談会があった。結論部分で
収益モデルをいかに考えるのかという問題は残りますが,これからのマスコミはどうすればいいと思いますか。
佐々木氏:自分で考えたことを自分の名前で書くという方向に行くべきでしょう。そして,記者個人が専門家になることも重要です。例えば,日経コミュニケーションの記者などは,通信業界の人よりも通信について詳しいので(※筆者は含まない),そういう記者であれば誰も「マスゴミ」と馬鹿にしないでしょう。世の中の人たちすべてに同じ記事を読んでもらうことは時代背景上,成り立たなくなっているので,細分化してきた情報圏域ごとに的確かつ深い情報を届けることが,これからの記者には求められています。
専門家によるブログには詳しい情報がありますが,そこには公平性の担保がないことも多いです。やはり,多用な視点が取り込まれているか否かは重要で,一つの事象についてAさん,Bさん,Cさんに取材をし,そのバランスを取って記事を書くことは,記者にしかできません。入念な取材と多用な視点からの深い分析に裏打ちされた論考が,求められています。
阿部(ファクタ出版発行人兼編集長・阿部重夫氏)氏:我々ジャーナリストの役割はモノローグではありません。ブログはそれでもいいのかもしれませんが,我々の最終的なミッションは,“裏を取る”ことであり,それができることこそが,ジャーナリストの信用であり,生命線なのです。
ただ,裏を取るということは簡単ではありません。相当の修練や人脈が必要で,それらは時間も労力もかかるし,これといった解があるわけでもありません。プロのジャーナリストである以上,自らの特権は「一次情報に触れられる」というところにあるのではなく,「裏を取れる」というところにあることを意識し,それをフル活用した記事を書くことこそが,我々の仕事の本質です。それができている以上,その記者は決して,マスゴミとは言われません。(時代錯誤の舞台装置はもういらない---続々・「マスゴミ」と呼ばれ続けて)※(筆者は含まない)というのは、この記事を書いた日経コミュニケーションの記者のこと
新聞社は、一次情報に触れられる特権に守られ、自分達の取材力を伸ばせないでいる。今回の世論調査がいわば、仲間内の評価しか見えないのは、いまだに新聞社に危機感が無い証拠である。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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新聞の世論調査ほど情報操作の格好の例はないであろう。
その理由としては、
(1)調査内容がその新聞の思想を反映したものであること。
例えば、内閣の支持率を調査したいとして、その新聞がその内閣を心よく思っていないのであれば、調査の設問を指示が低下する方向、具体的な例としては、ネガティブな質問、でまとめて行けば自ずと低くなる。
(2)調査対象者を事前に絞れる。
前例を踏襲して、内閣支持率を調査する場合、その内閣の支持が低くなるであろう世代、例えば、後期高齢者医療制度が導入された当初に70歳以上をメインに支持率調査を行えばその不満が集中し易くなる。また、直接的に関係を持たない20代に調査を行えば「その他」と云った様な”無視できる項目”を増やすことができる。
そして、支持率の発表の際には、対象年代構成等が十分に分散しているものであるとの説明がされることは皆無で、むしろ、「あるxx世代について調査したところ」と意図的に世代を絞った調査であることを公表していることすらある。
(3)調査結果が必ず公表されるとの保証は無い。
調査を行っては見たが、自社の予測した門徒は異なる結果であった場合、その結果どころか、調査を行った事実さえも発表されずにデータが闇に葬られることが非常に多い。これは新聞社に限ったことではなく、テレビ局などの電話アンケート、昔のベストテン番組のランキングにも云えることである。
つまり、自社の予測した結果の裏打ちとして使える結果であれば公表して、”世間の皆さんの声です”という責任回避に使う訳である。
そんな馬鹿なとお思いの方は、どんどん新聞社に質問やご自身のお考えについての投稿をされると良い。何回か行ううちにその新聞社への好奇をお持ちの読者であるというリストに乗るので、アンケートのお願いなどが送られてくることになる。そうしたら、その設問を十分に検討してみよう。送られてきた日の次の日のその新聞の社説を読んでみよう。
多分このコメントの通りのつながりを見つけることができるはずだ。
改めて、敢えて云おう、新聞、テレビ、ラジオは皆さんの考えを客観的に伝えるための手段ではなく、自分たちの誘導したい意見に対する裏打ちとしてだけ聴取者の意見にフィルタをかけて使っている。