「絶対にファンタージェンに行けない人間もいる。いるけれども、そのまま向こうに行きっきりになってしまう人間もいる。それからファンタージェンに行って、またもどってくる者もいくらかいるんだな。きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ」(ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店)今回は「夢」と「現実」について考えてみよう。
ファンタージェンは人の夢が集まって出来ている夢の世界だ。ファンタージェンに行くにはさまざまな方法がある。眠りに落ちて夢を見るのももちろんだが、小説を読んだり音楽を聴いたり、映画を見たり、旅に出たり、人に会ったりしてもいい。それをきっかけに、未知に触れ、今まで失っていた何かを手に入れ自分を大きく開くもの、それが「夢」なのである。「夢」は非現実的で、はかなく幻のようなものだと人は考える。だが、現実には「夢」の産物があふれかえっているのである(小原信「ファンタジーの発想」新潮選書)。映画も音楽も演劇も小説も、すべての文化・文明は自らの「夢」を他人に伝えようとした者、言い換えれば、「夢」の世界から戻ってきた者によって作られているからだ。「夢」の中で自分の真実を見出して、新たな自分を作っていく作業、これは一生の大事業である。
夢の旅へ出かける前に、次の三つの点に注意しよう。(1)まず、夢を信じること。疑ってかかれば、すべては幻想に終わる。これは冒頭の絶対に行けない人間のことだ。(2)また、必ず現実の自分に帰ってくること。帰れないということは、現実を忘れることである。帰れなかった人間は、自分で殻を作って自分の世界に閉じこもるイビツな人間になりやすい。(3)「夢」を「夢」で終わらせないで、自分の成長の糧とすること。すぐれた「夢」に数多く触れた人間は心を豊かにする。それでは、眠りにつくことにしよう。
さあ、下を見てごらん。全人類に共通する広大な無意識の海だ(秋山さと子「夢で自分がわかる本」史輝出版)。君達は、胎児がわずか十ヶ月の間に魚の体形から人間に至るまで人類発生の進化をたどっていることを知っているね。この無意識層もその人類の発生までの記憶をここに刻んでいるのだ。だから、夢の世界は現実とは比べ物にならないほどはるかに広い。ユングは夢のことを「無意識の世界からの意志のメッセージ」と呼んでいるけど(はなやるまほう貌「夢の本」JICC出版)、「夢」はこの無意識の海に咲く幻想の花だと僕は思う。
今、上空で光ったね。まるで花火のようにも思えるけど、誰かが「夢」を見ているしるしだ。でも、目覚めているときなら「ひらめき」や何かを見ての「感動」であるかもしれない。実際、まだまだ「夢」についてはわからないことが多い。日本の古代人が「夢」を「神のお告げ」と考えていたり(樋口清之「夢と日本人」講談社)、ギリシャでは死と再生の国土からやってくると考えていたのも無理はない。宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で死後の世界を旅したように、夢の世界の一部に「死後の世界」があってもおかしくはないのだ。
そろそろ目覚めのときだよ。よく現代人が「現実」の厳しさゆえに「夢」をもてないというけれど、さっきも言ったとおり、現実には「夢」があふれているのだ。彼らは「行けない人間」だから「夢」が見えないのか、テレビに映る虚像のようにまがいものの「夢」を「現実」と誤解しているのかもしれない。もっとも、たとえ見えたとしても、彼らにとって「夢」は単なる「夢」であって、「夢」から何かを学び取ろうと考えもしないし、ましてその「夢」で自分の現実を変えようなんて考えたこともないだろう。でも、「夢」を「実現」する方法はただひとつ、「現実」をひっくり返してみてごらん。ほーら。
追記
この(異文化文献録)のシリーズは、20年近く前にあるタブロイド紙で連載したコラムである。これは、僕の文章スタイルの原点でもある。引用文と地の文が明確でないし、ネット・メディアとはあまり関係ないと思われるかもしれない。だが、メディアは現代文化のひとつの様相であり、文献をつないで現代日本人を探る姿勢は変わらない。自分のデータベースとしては、このシリーズを載せないでは中途半端だと思っている。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
mugendai on 2007/08/29
率直に言って、「夢」とか「楽しさ」って、言葉で分析的に語るのには不向きなのでは? パーッと記事を読んでみても、なんだかNHKのドキュメンタリーや下手な朝ドラみたいなうさん臭さ、押し付けがましさしか印象に残りませんでした。実際、自分から見ると、「言葉」で「分析的に」しか語れないメディア、そしてその束縛から逃れられなくなってしまった人たちが哀れに見えてしまいます。自分の回りには、その逆、感情や行動が先に出るような人の方がずっと多いんで。
ところで、「素人だから言えることもある」と看板にある割に、「この(異文化文献録)のシリーズは、20年近く前にあるタブロイド紙で連載したコラムである。これは、僕の文章スタイルの原点でもある。」とわざわざ断っているのは、どういう事なんでしょうか? 昔とはいえモノ書きをしていた、しかも単発ではなく連載していたのであれば、「素人」と書くのはウソではありませんか? もしかして、「当時は自分の記事が全然注目されなかった、何とかしたい。ネットなら名前が知れていないから、『素人』だと名乗っちゃえ」という程度のきっかけでしょうか?
谷村 正剛 on 2007/08/29
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谷村さん、コメントありがとうございます。実は、タブロイド紙と言っても一般に販売している新聞ではありません。ある大学で異文化コミュニケーションをテーマに月刊の小冊子を作るという企画で、たまたま編集者を募集しているというので、素人ながら応募したところ、(といっても編集経験などありませんが)、コラム記事なら書いてみないかということで書いたものがこのシリーズだったのです。言葉にこだわるのは、当時、ビジュアルブームというのに反発して何年たっても古くないテーマということです。文章で原稿料をもらったのがこれが唯一であり、内容をよく読んでみればわかるとおり、ほとんど「素人の発想」から始まっている点(というよりそういう発想しかできない)で、いわゆる専門家と違った視点で語る存在価値があると思っています。