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学習性無気力で思考停止してしまわないために

2004/01/26 01:03
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mori

マイクロソフトやマッキンゼーで情報通信分野の戦略立案に携わってきた森祐治さんが、通信・放送業界やエレクトロニクス産業に関連した時事的トピックスについて、アカデミックな視点から分析していきます(このブログの更新は2004年4月9日で終了しました。続きは<a href="http://japan.cnet.com/column/mori/">コラムによる連載</a>をご覧下さい)。
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人間の思考のメカニズムそのものに、たくさんの「ズル」の仕組みがあることが分かってきた。自動化やヒューリスティックスなど、認知負荷を低減したり、不完全情報下でも判断を実現するための仕組みだ。しかし、それ以外にも学習性無気力のように、思考それ自体を放棄することがある

学習性無気力は効率追及の結果

このblogを書いていると、「当たり前のことを書いてどうなる」とか「どうしようもないんだから、そんなこといっても仕方ないだろう」というお叱りをコメントとして頂くことがある。有難いことだ

しかし、「当たり前」とか「どうしようもない」といっても、本当に当たり前である根拠が示されていたり、明らかな根拠で不可能であることが示されていることは少ない。むしろ、できないであろうことを説明する壮大な体系があって、できないことを受け入れることが、一種の通過儀礼として課されているだけのことが往々にしてある

なぜ当たり前なのか、なぜどうしようもないのか、ということはあまり考えない。それは、効率的な行動だと思われているからだし、社会的権威の影響力によって言わないほうが得策だという判断が働いている結果かもしれない。冒頭に書いたように、実は人間の認知の大部分は、小さな「ズル」によって体系化されていることが分かってきている。だが、本質的に認知的誤謬が発生するシチュエーションとは異なることに対して、一種の諦めを取り込み、それを個人や組織の中で正当化してしまっている状態を「学習性無気力」というのだそうだ

こんな学習性無気力は、方向性が見えない問題に取り組むことは効率が悪いという一種の判断によって、見えているものであっても見えなくなってしまうという根源的な思考停止状態のことを示すわけだ

# 見えるものが見えなくなる、というのは、京極夏彦のある作品のオチでも使われていたっけ。京極夏彦の作品では、妖怪や怪異というものを、文化的な「学習性無気力」の結果として生じており、それを文化として受け入れるが故に人々は安心した生活をしていることがあるという前提があると僕は思っているんだけれど

常識は疑うもの

○○だから仕方ない、とか、××というものだ、というのは説得の手法として、時に有効だ。だが、それには条件があって、圧倒的な影響力を有したもの=社会的権威でなければ、説得力を持たないということがある。例えば、規制や法令、企業やブランドなどのルールがあろう。もうちょっと抽象的に、上司とか制服なんてのもある

これらは、作業としてその内容をいちいち考えていると、効率が悪いし、間違えが発生する可能性が高いがために、行為のカタマリをまとめて外部化し、内容を理解していなくとも処理ができるようにした「制度化」の手法の一つだ。しかし、意図的に制度化されたものではなく、勝手にどんどん構成員が制度化をしてしまうことも往々にしてある。やがて、それらは常識となり、しきたりとして、文化化される

だが、それらの実際は、真実を語ったものではないことも多い。増してや、ある状況下だけで発生していた特殊なものについてであったり、今まではそうであっても、今となっては変化に耐えられず、疲労を起こしている事柄についてであったりする

広く読まれるようになったクリステンセンの「イノベーションのジレンマ」も、この現象について語っている。目の前の上客によりいい製品を届けようと、今までの経験に沿って得られた最適な発想や手法で努力すればするほど、それらの発想や手法では捉えきれない破壊的なイノベーションによって、大企業が崩壊していくことを示したものだが、これも学習性無気力の一種が蓄積して起こるという理解ができる

例えば、規制産業について。これまでであれば、民間が語ることは意味がなかった。しかし、現在は免許を与えられて事業を行っているものであっても、直接金融を行い、株式市場で資金を調達するようになっているわけだから、その評価は一般企業と同様に行われる必要がある。また、免許そのものについても、政府は紛争処理委員会を設け、免許によって与えられた権利を濫用した場合や、それによって他業を圧迫している場合、それを訂正させることができるようになってきた。故に、「しかたがない」という言い訳は、できなくなってきている

むしろ、そんな学習性無気力に立脚したポイントを「盲点」として事業機会に転換することが期待されるようになっているのではないか。典型的なのは、ADSL事業であり、NTTという巨象に立ち向かうのは愚の骨頂といわれていたのは、つい数年前だ。

常識こそを疑え、とはよく言われることだが、なかなか難しい。常識に反した行動を行わずとも、どうしてなのだろうかと考え直すだけでも価値があることが多い。それが、学習性無気力による思考停止から脱却する唯一の手段だ。ただ、そんなとき、学習性ではなく、生得的に働いてしまう脳内「ズル」装置をオフにしておくことが重要になるはずだ

# 深夜に時計の鼓動を聞きながら

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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