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「世代+ロードマップ」という戦略が苦手な日本

2003/11/06 09:59
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mori

マイクロソフトやマッキンゼーで情報通信分野の戦略立案に携わってきた森祐治さんが、通信・放送業界やエレクトロニクス産業に関連した時事的トピックスについて、アカデミックな視点から分析していきます(このブログの更新は2004年4月9日で終了しました。続きは<a href="http://japan.cnet.com/column/mori/">コラムによる連載</a>をご覧下さい)。
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連休を利用して実家に戻った。今は誰のものでもない僕の部屋で、高校生や予備校の頃に受験勉強そっちのけで貪るように読んださまざまな分野の本を眺めてしまう

今回、ふと目にとまったのは「第5世代コンピュータ」という本だ。「世代」というのは、便利な発想だ。ある程度の流れを時系列的にまとめてしまい、その到達目標や達成内容を明確化し、客観的な評価を可能にしてくれる

官主導の広域プロジェクト

第5世代コンピュータの主役である「新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)」が1982年に設立され、当時第3世代にあったというコンピュータから、来る2000年のコンピューティング環境では分散化し、推論などが可能になる「第5世代」コンピュータを実現するためのプロジェクトを開始した。当時の通産省の肝いりで産官学連携で進められたプロジェクトであり、世界的にも先進的な試みであり、広く知られたものだったといわれている

# この頃、東大の坂村先生がTRONを発表したりと、なかなか面白い世の中だったのだと思い返す。加えて、ICOT関連も含め、現在著名になっておられる先生方が、すでに何らかの形で頭角を現している時代でもあった

興味深いのは、単に工学的なトピックとしてだけではなく、当時始まったばかりの認知科学の流れなどを積極的に取り込み、経済や人類、心理など幅広い分野の専門家が「第5世代コンピュータ」を巡って、さまざまな発言を行っていたということだ

このあたり、現在であれば、さながらICOTに匹敵するのは、HRP(人間強調・共存型ロボットシステム・プロジェクト)などロボットに対する取り組みに近いのかもしれないが、如何せん文科系などの取り込みが弱い気がしてならない

# ロボットということで、ちょっと脱線。HRPなどで開発されたロボットが、アトムやガンダム世代によって作られたこともあってか、デザインがそれらもチーフとなっているキャラクターを数多く生み出した「大河原邦男」的、あるいは「スタジオぬえ」的になっていることが興味深い。今後もこの傾向によって、ロボットのデザインが収束していくのであれば、ロボットの原世界は、実は80年代に作られたということになるのだろうか

技術に世代をつけるワケ

このように、官主導で広く知見を集める際には、明確な目標を示し、そこへの達成プロセスを小刻みにする必要があったから、「世代」という区切りはうまく機能したに違いない

しかし、「官」が主導するプロジェクトは、その後、いまひとつ神通力に欠けるようになった。そのダメ押しとなったのは、インターネットの到来に代表される「デ・ファクト」という圧倒的な資本主義の原理に基づく競争環境の台頭だろう(このこと自体を考察するのも刺激的な試みだが、これはまたゆっくりと)。インターネット以降、「世代」ということを積極的言うこと自体が無効化されてしまった気がしないでもない

そして、現在でも、「次世代」とか「新世代」という言われ方はよく聞くが、実際にはきちんとしたロードマップに基づいて世代を整理しているわけではなく、「今ある製品群の次」ということ漠然と示しているだけで、場合によっては「来年度製品」でしかない場合も多い

「いやいや、携帯電話なんぞでは世代というではないですか」という指摘もあるだろう

しかし、携帯電話の世代の議論も、官主導であり、また実は形骸化しており、「第3世代」といわれているものが、今から5年前に言われてきた「第3世代」かどうかははなはだ怪しい。「そんなことはないですよ、ITUなどの議論を見れば・・・」とおっしゃられる方も多いかもしれないが、そういう皆さんの中でコンセンサスがあるかというと、はなはだ疑問だ。そもそもデ・ジュリをめざした第3世代携帯電話技術標準が、デ・ファクトに押されて当初計画されてきたものと比べてずいぶんと多様化し、明確な世代間の区分がなされないようなものが主流になった(GSM>GRPS>W-CDMAやcdmaOne>cdma1xなどなど)ことからも、少なくとも官主導で世代を設定するのはあまり意味がなくなりつつあるのは事実なのだろう。もちろん、端末のリリースに合わせて、「5xx」とするのも、ロードマップがあるというよりは付加された機能区分でしかない(もし、携帯電話端末に世代を付けるとしたら、付加機能の多少ではなく、チップの数など通信の基本機能単位ベースであろう)そして、もしあるとしたらマーケティング的に外部に対するコントロールを目的としたものではないか

その路線で、相変わらず「世代」を、明確に「世代」とは言わないまでも、語るものは多い。MicrosoftやIntelなど、業界の圧倒的なリードを有するプレーヤーだ。OSのバージョンやチップのファミリーは、明らかな世代区分でしかないからだ

彼らにとっての「世代」、あるいはロードマップは、官主導の「世代」議論とは異なり、自らの戦略優位を外部周辺プレーヤーに刷り込み、彼らの服従を強化し、同時に競合他社の追随を心理的に損ねることを目的としていることが多い

ロードマップを作るのが苦手な日本企業

このようにデ・ファクトの世界での世代+ロードマップ議論は、ダントツのリードを持つトップ・プレーヤーが存在する市場では成立し、むしろそれなしでは産業全体の活動が膠着してしまう傾向すらあるほどだ。すなわち、世代を明確化し、次世代製品の登場とその性能を予告したロードマップというクロックに従って、顧客、チャネル、サードパーティなど生態系を構成するさまざまなプレーヤーの購入/販売/事業計画が、決定されていくといってもいい

もちろん、世代交代という課題を自社製品の連続性の中で作り出すことはリスクでもある。しかし、それらを補っても余りある価値は大いにあるのだ。陳腐化しかねない事業自体の価値を、定期的な買い替え需要を創出することで維持し、むしろ周辺製品を飲み込み、圧倒することで今まで以上の価値すら生み出す。1社、1製品だけでは成立しない複雑なIT産業では、商品および流通の周辺を巻き込むことは必須にもかかわらず、どうも日本企業はこのあたりが苦手だとみえる

かつて、あるクライアントはロードマップについて「世にも出ていない製品のことを語るなんて、信頼を裏切りかねない行為だ」と話してくれた。また、「アメリカの企業のように、上手じゃないんですよ」と、自嘲とも本音ともとれる発言をしたクライアントもいた。どうやら、モノつくりのメンタリティとして、ロードマップを語るというのは受け入れ難いらしい。今の製品こそが最高の製品であり、完全な自信をもってお勧めできます、といいたい気持ちはわからないでもない。しかし、そんなことが不可能なのは明らかだし、むしろ買い替え需要の創出は自社にとって生命線ですらあるのに。頭ではわかっていても、ダメらしい

しかし、研究開発部門では効率的な製品開発を行うためにロードマップつくりが必須となっており、当然のことながら、顧客需要や突発的な発明発見によってその訂正は必要不可欠なものにもかかわらず、それらを組織的にフィードバックする仕組みの構築ともなると、甚だ心細いというのが現実なのだ

官が与えてくれた「世代」という枠組みを超えて、自らの成長のエンジンをどう活かすのか。どうやら80年代以降、あまり成長がみられないというのは言いすぎだろうか。このままでは、いまさら誰も言わないが「(米国に再び)追いつき、追い越せ」という掛け声すら気恥ずかしくなるほどに、圧倒的にやられっぱなしの状態が続くに違いないのが現実だろう

第5世代コンピュータの頃の熱狂をもう一度。いまさら「官」ではないだろう。では、リードを執るのは誰なのだろうか?

# 赤坂のTBS近くのStarbucksにて

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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