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「ワカモノの文字盤」たるケータイ(下)

2006/09/27 17:59
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松村太郎

携帯電話の機能進化が進む中、アーリーアダプター層がどのように携帯電話を使いこなし、生活がどう変わっていっているのかについて、携帯電話と社会のあり方について研究するSFC研究所の松村太郎さんが紹介します。
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 ワカモノの間で文字盤と言えば、ケータイのディスプレイのことだ。インターネットコム株式会社と株式会社クロス・マーケティングの「時計に関する調査」の記事によると、53.7%がケータイで時間を確認すると答えたそうだ。さらに「ケータイの時間は自動補正され、腕時計をわざと5分進める」という話まで聞くと、複雑な心境になってくる。1980年生まれの僕もギリギリで、腕時計はオトナの印という感覚を持っていたからだ。 文字盤の意味が少し変わってきているけれど、ワカモノの文字盤の上で表示される文字について、多くはゴシック体での表示だった。以前のエピソードで僕はフォントを集めるのが好きだったと書いたが、ケータイで表示されるフォントが変えられると知ったのは、確かN503iの頃だっただろうか(ずいぶん昔の話ですね)。普通の細字のフォント、太字のフォントに加えて、「手書き風フォント」を選ぶことが出来た。 設定でこの「手書き風フォント」を選ぶと、ちょうど以前流行していた「丸文字」のようなフォントでメニューやメールが表示されるようになる。送るメールも届くメールも丸文字に変更されていたので、メールがかわいく感じられるようになる、と愛用している人はいっていた。残念ながら僕は読みにくくなったという印象を受けるだけで、あまり理解できなかった。ただこのあたりの話は、僕がフォントを集めていたり、Macを使っている理由に近い。 僕がMacに切り替えたのは2001年だった。iTunesとiPodをいち早く使ってみたいということもあったけれど、MacOS 9、Mac OS Xともに、文字がとてもキレイに表示されてると思ったからだった。文字ばかりのウェブを見たり、テキストエディタで文章を書く作業が多いと、どうしてもキレイだと思う文字表示の環境で作業がしたくなるモノだ。フォントを集めていたのは、伝える情報にちょうど良いフォントで表示させたいと思っていたからだ。 文字に関する相反する要求をしているようにも見えてくるが、メールにおいてはパソコンでもケータイでも、前者の「どんな文字で見たいか」と言う点のみが実現されている気がする。つまり送り手は文字を完全には指定できない。もちろんパソコンでのHTMLメールでは指定できるが、相手がフォントを持っていなければ思い通りに表示されない。ケータイのHTMLメールであるデコメール(DoCoMo)、デコレーションメール(au)では文字サイズや色は再現できるが、フォントまでは再現されない。 現在ケータイのHTMLメール機能は画像を中心にした装飾に興味が向いているが、メッセージを言葉で伝えるのは文字なので、フォントを変更してそれが相手の画面にも再現されるような拡張は求められるのではないだろうか。あるいは単純に、端末に好みのフォントで見出しの文字画像が生成できる機能を組み合わせるだけでも変わるかもしれない。ケータイのHTMLメールはとても興味があるが、ちょっとフォントそのものの話からそれてきたので、別の機会に回したいと思う。 さてタイポグラファー、Jfonts協議会理事長の長村玄さんのお話を最後にもう1つ引用したいと思う。長村さんは、夏目漱石や森鴎外の小説の中で、漢字に濁点を打ってしまうような表現方法が平然と行われていたことを指摘していた。例えば「ほおづえ」を漢字で「頬杖゛」と音が濁る漢字に濁点を打って表現したり、「たびたび」を「度々゛」と繰り返しの記号にも濁点を打つことが行われていた。もちろん現在の漢字の使い方からすると外れているが、どことなく漢字が持つ音の表情を反映しているようで風情があるとでも言うべきか。 僕はこの話を聞いたときに、ケータイの中で扱われている文字には、このような自由さが存在しているのではないか、と思った。ギャル文字のように記号を組み合わせてひらがなを表現する手法や、いわゆる機種依存文字である「メートル」「キロ」といった文字を文章の中で使ったりするのは、言葉遊びならぬ文字遊びのようなものだ。また絵文字を句読点の代わり使ってニュアンスをコントロールするのは、漱石がやった漢字に濁点を打つ風情に通じるし、絵文字を2つ連ねて別の意味を作り出すこともまた、漢字の成り立ちを理解しているからこその文字合わせの手法に見えてくる。 ワカモノの国語力云々という話がケータイの普及と合わせて語られることがあり、その多くが懸念を示す内容のように見受けられる。しかしワカモノは、彼らの文字盤たるケータイのディスプレイの中で、彼らなりの日本語表現をしている様子が見受けられる。僕は言葉は生き物だと思っているので、文字盤の中で起きていることはポジティブに受け止めるべきだと思う。 その上で、軌道修正するのか、さらにワカモノの文字盤の流儀を尊重してのばすのかを議論した上で、フォントや表現方法、メール環境などでアシストしてあげると、日本語の新しい未来が切り開かれるのではないか、と考えている。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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