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ケータイっ子、街に出る - こどもとケータイ特集

2006/05/29 18:37
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松村太郎

携帯電話の機能進化が進む中、アーリーアダプター層がどのように携帯電話を使いこなし、生活がどう変わっていっているのかについて、携帯電話と社会のあり方について研究するSFC研究所の松村太郎さんが紹介します。
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 前回、カギっ子とケータイっ子との比較をしながら、管理されるこどもの姿が見え隠れする事情についてお話を伺ってきた。ケータイっ子の「持たされている感覚」は、ケータイに対して受動的で、自発的なコミュニケーションを起こさないようだ。しかし小学校のクラスの中でケータイを持っているこどもが増え始めると、また少しずつ事情が変わってくる。引き続き、天笠さん、叶多さんとのディスカッション。 「ケータイを持たされる小学生のうち、8割が週3回の塾通いをしているこどもでした。電車に乗って家と塾の間を通っています。これは今に始まったことではありませんが、ケータイによって親がこどもの居場所を把握したり、すぐに連絡が取れるようになったことで、家の近くの塾にこだわらない傾向が広がってきています」(叶多さん) 公立の小学校には「学区域」という概念があった。簡単に言えば小学校や中学校毎に割り当てられた地域のことで、学区域に住んでいる小学生は基本的には学区域内の小学校に通うことになる。学区域を超えて他の小学校にはいることを「越境」と呼んだりしていた。昨今では学区域の考え方そのものを取り払い、小中学校それぞれが特色を持って、親子に選ばせる自治体も出てきている。 学区域の考え方が見直されている一方で、こどもの生活の中では完全に学区域が崩壊していると言える。塾通い以前は、徒歩、もしくはせいぜい自転車で移動できる距離の中にある公園や児童館、図書館、商店街でこどもが遊んでいた。しかし塾通いを始めると電車に乗って学区域外の地域に1人で出ていくことが当たり前になってくる。そういうこどもたちとケータイっ子は、おおよそ重なる存在だ。 「ケータイがあることによって、電車に乗る機会も増えてきて、学区域のような地域や行動範囲の縛りが外れます。塾などの目的性ある移動が多いですが、だんだん塾の回りで買い物をしたり、途中下車してみたりするようになってくる。学区域内に留まるのは家にいるとき、学校にいるときだけになってくると、いわゆる“地元”という縄張り意識も同時に崩れてきています」(叶多さん) こどもが地域に根付いて成長していく。そんなコンセプトでインフラ整備されるこども向けの公園や図書館といった文化施設は、ケータイの登場でコンセプトを見直さなければならない。こどもが地域に留まらない傾向が出始めているからだ。地域内にあれば良かった文化施設は、こどもから選ばれる文化施設へと変貌を遂げる努力が必要だ。そうでなければ、こどもたちが地元という場所に関するアイデンティティを持たなくなってしまうかもしれない。 またケータイを持っているこどもと持っていないこどもとのコントラストも明らかになる。 「ケータイを持っているこどもは積極的に学区域の外へと出て行くようになる一方で、ケータイを持っていないこどもの単独での行動範囲は以前の通り、家と学校、その周辺の学区域内に限られていることが調査から見えてきました。外出するときに連絡を取り合っているのはやはり親子間がほとんどです。しかし塾などで学校以外の友人ができはじめると、ケータイでのコミュニケーションを取り始めるきっかけになります」(叶多さん) こどもが取り始めるケータイによるコミュニケーションに関してはまた詳しく触れたいと思うが、 「外部的な関係性の中で自分を位置づける人と、自分の感性や趣味でアイデンティティを自覚する人とではっきりと分かれてきます。ケータイが特別な作用をするとは言えませんが、ケータイがあることによって、前者の他人との関係性から自分のポジションを意識するタイプの人をとても後押ししてくれます。そこで両者の間の差が開いてくる可能性があります」(天笠さん) 人は社会の中で何かをするためにはコミュニケーションをしなければならない。これはケータイがあろうがなかろうが変わらないことだ。ただそのコミュニケーションを通じてアイデンティティを自覚する場合、ケータイはとても助けになる。一方で何か秀でたものや特技を磨いて、それをアイデンティティの柱とする場合は、ケータイは特に助けにはならない。 今すぐに問題が起きるというわけではない。そしてコミュニケーションが取れることもまた能力として評価できる。しかし何かをするためのコミュニケーションでなければ、中身のない並列状態のコミュニケーションに陥ってしまわないだろうか。また特技や秀でたモノに打ち込むカタチでアイデンティティを育む人にとっては、スピードが早いケータイによるコミュニケーションの中で困難にぶち当たらないだろうか。 天笠さんは、特化したモノに対する評価をする社会を作らなければならない、と指摘する。僕はケータイがクリエイティブな活動に役立つツールになればいいとも思う。いずれにしても、現在のケータイや社会に足りない部分が見えてくる点で興味深い。・ケータイ時代のスタンダード: こどもとケータイ特集

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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