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昨年3月11日の震災とその後の原発事故から一年が経とうとしています。福島第一原子力発電所の原子炉を冷やすために、ヘリコプターで散水したり、東京都消防局の人たちが必死の思いでホースをつないでいたのを、手に汗握る思いで見ていたのを私は今でもはっきり覚えています。その時、自分たちがそれを手をこまねいて見ているしかないことに、大きな歯がゆさを覚えました。そして、危機管理とは何か、もっと言えば、想定外とは何か、ということに思いをめぐらしたのでした。
想定外とは何か
そもそも想定外とは何でしょうか?めったに起こらない、しかもその影響が甚大であるような事象に対処するのに、統計やデータに基づく科学はどの程度貢献できるのでしょうか。
「めったに起こらない事象」を扱うのが、極値理論と呼ばれる統計学です。めったに起きない、と言っても、そのマグニチュードを考えると、このような事象は実は思ったより多く出現するようです。典型的にはべき分布で、分布曲線を書くと右側に長く裾をひく、いわゆるファットテールな分布になります。パラメターにもよりますが、このような分布では平均値を求めることもできない場合があります。つまり、出現確率とその被害額を掛け合わせると、無限大になってしまうのです。こうなってくると、被害の期待値に基づく、保険のようなリスク管理の手法はもう使えません。
もし、期待値がリスク管理の指標として使えないのであれば、何を使えばよいのでしょうか。一つのアイディアは、被害額のスケールを非線形に変えることだと思います。私にとって、1万円を損するのと100万円を損するのでは、100倍の差があります。大きな違いです。しかし、1兆円の損害と100兆円の損害には、それほど大きな差が無いように思います。どちらにしても私にとっては「終わり」だからです。少なくとも100倍の差はないでしょう。だから、実は被害額のスケールというのは、どこまでも線形なのではなくて、どんどん縮むのではないでしょうか。つまり、あるところまで行けば、備えにお金をかけるのは無駄、ということになります。私にとっては1兆円の損害が100兆円にならないように莫大なコストをかけてみても、しかたがない、ということです。
数学者の竹内啓先生は、著書「偶然とは何か--その積極的意味」[1]の中で、めったに起こらないことは、「起こらないものだ」と仮定して日々の活動を行い、万が一大きな災害が起きた場合には、その被害を社会の構成員が分担して負担する覚悟を持っていることが必要だ、と説いています。「できるだけ多くの可能性を想定すべき」という議論もわかりますが、起きうるすべての事態を想定することは不可能ですし、現実的でもありません。最悪の事態を考えすぎるあまり、日々の生活が暗澹たるものになってしまっては本末転倒、という議論もあるのではないでしょうか。
被害のスケールと、それに備える日常のコストの間には何らかのトレードオフがあるでしょう。想定外の数理に、新たな価値尺度を持ち込むことによって、「もしも」のことが起きた場合に、普段からどの程度コストをかけておくべきなのか、その最適点が見つかることを期待したいと思います。そうすれば、堤防の高さをどうすべきか、システムの冗長性をどの程度確保すべきか、などがより科学的に判断できると思うのです。
レジリエンスのメカニズム
希少事象に対する備えにどのくらいのコストをかけるべきかがわかったとしても、今度はそれをレジリエントなシステムとしてどのように実現するかを議論しなければなりません。
レジリエンスという言葉は、もともとは生物生態学の世界で使われていた言葉のようです。種としての生物、あるいはその生態系は、環境の大きな変動に対して、一旦かなりの被害を受けても柔軟に回復することが多いようです。
ソニーCSLの北野さんはNature Review Geneticsの論文[2]で、生物と人工物の頑健性(Robustness)を比較して、そこには共通に多重性、多様性、モジュール性の3つの性質がみられる、と論じています。多重性は「壊れない」システムを作る方法として、よく知られているものです。重要なコンピュータシステムでは、壊れやすい構成要素、例えば電源やネットワークなどを二重化することが当たり前に行われています。
多様性はどうでしょうか? 生物やそれを支える遺伝子の多様性が、生物のレジリエンスに大きく寄与しているのではないか、という見方は多いようです。あるいは、急速に変化する市場に対応するために、多くの企業は戦略的に従業員の多様性に目を向けています[3]。しかし、レジリエンスを高めるために多様性を人工物の設計に積極的に取り入れる試みについてはあまり聞いたことがないように思います。そのためにはまず、多様性と、それによってもたらされるレジリエンスを指標化しなければならないでしょうし、多様性とレジリエンスの関係を科学的に検証しなければなりません。一方、少なくとも短期的には、多様性は決して有利に働くとは限らない、という議論もあるでしょう。戦後に日本に移入されたブルーギルは遺伝的多様性は小さいものの、あっという間に日本の淡水に定着しました。あるいは、日本は世界の中では比較的多様性に乏しい社会ですが、その一様性を武器に戦後急速に発展し、世界第二位の経済大国にまでなりました。アップルやグーグルなども、あまり多様性のない企業文化のように思います。環境に適してさえいれば、多様性による無駄よりも、一様性による効率性が勝つと言えるのかもしれません。
モジュール性についてはどうでしょうか? モジュール性があれば、局所的な擾乱はある要素の中に閉じ込められてシステム全体に伝わらないので、システムが頑健になる、と北野さんは主張しています。でも、私はむしろ緊急対応におけるモジュール性(あるいは相互運用性)の重要性に注目したいと思います。先日、メルボルン大学でレジリエンスのコンファレンスがあったときに、講演者の一人でビクトリア州の消防局の方が、「いざという時には、ホースとか、ポンプとか、通信機器とか、あらゆるものが普段とは違う(あるいは思ってもみなかった)使われ方をする。その際重要なのが、それらが組み合わせて使えるようになっていることだ」とおっしゃっていました。これは重要な知見だと思います。
人に関すること
でも、本当にレジリエンスに重要なのは、実は私は「人」なのではないかと思っています。アポロ13号が地球から33万キロの宇宙空間で酸素・水・エネルギーの全てが絶たれた時、それはプロジェクトの誰にとっても「想定外」のできごとでした。誰もそのような事態に対して準備ができていなかったのです。しかし、地上のクルーは、宇宙船内にある材料だけで仮設の二酸化炭素除去装置を作る、などクリエーティブな発想でその危機を乗り切ったのです。
創造性と共に、意思決定のためには想像力も重要でしょう。瀬名秀明さんの「インフルエンザ21世紀」[5] は、2009年のパンデミックの時に関係者の方々がどのように対応したか、そこで何が起きたかを、丹念に取材を重ねて書いた本です。この本の「まえがき」は次のような言葉で締めくくられています。「想像力と勇気の物語が始まる。」インフルエンザ感染の仕組みは、非常に複雑で、かつ未知の事象を扱わなければならない、その中では、「絶対」ということはまずあり得ない、できることは、「この対策をしたら、どのような影響があるだろうか」を想像してみることだけだ、ということなのだと思います。
最後に、合意形成の問題があります。レジリエンスとは擾乱があったときに必ずしも元の状態に戻ることを意味していません。関東大震災があったとき、東京大空襲で東京が焼け野原になったとき、その後に現れてきた街は、それまでのものとは大きく違ったものであったことでしょう。昔と全く同じ状態に戻るのではなく、もしよりよい姿があるのならば積極的にそれを追い求めて自らが変化していく、そこにレジリエンスの本質があるのではないでしょうか。だとすれば、そのような価値観を新たに創りだしていく、人々の合意形成の仕組みや、議論の成熟度が必要なのではないでしょうか。
終わりに
私は3.11当時、求職中だったのですが、4月に統計数理研究所の職を得たのは天の配剤だったのかもしれません。統計数理研究所の上部組織である情報・システム研究機構は統数研のほかに国立情報学研究所、国立遺伝学研究所、国立極地研究所を擁する異分野横断型の組織で、様々な分野の専門家がいます。今週水曜日、2月15日にこれら一線の研究者の叡智を集めて、シンポジウム「システムズ・レジリエンス -- 想定外を科学する」が開催されます。ご興味のある方はぜひお越しください。
http://www.rois.ac.jp/sympo/2011/index.html
[1] 竹内 啓、偶然とは何か--その積極的意味、岩波書店、ISBN-13:978-4004312697、2010.
[2] Kitano, H., "Bilologicla Robustness," Nature Review Genetics, Nov;5(11):826-37, 2004.
[3] Ernst & Young, "The new global mindset: Driving innovation through diverse perspectives," 2010.
[4] ヘンリー・クーパー著、立花隆訳、アポロ13号奇跡の生還、新潮文庫、ISBN-13:978-4102133118、1998.
[5] 瀬名秀明、インフルエンザ21世紀 、文藝春秋、ISBN-13: 978-4166607334、2009.
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