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    The Art of Innovation

    2010-08-08 13:47:25

    トム・ケリー著、発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法 という本を読みました。原題は、"The Art of Innovation"です。これはシリコンバレーにある、IDEO(アイディオ)というデザイン会社の人が書いた本です。最近、「デザイン思考」という言葉を聞くことがあり、その関連で知った本です。IDEOという会社は結構有名なようで、パーム、プラダ、ペプシ、アムトラック、NECなど多くの一流企業のヒット商品をデザインしたそうです。この本は、IDEOの経験をもとに、イノベーションの方法論について語っています。

    私はイノベーションに対してはいつも興味を持っていました。社会人になって、20年以上コンピュータ・サイエンスの研究をしていましたし、後には研究所のマネジメントとして、イノベーションをどのように推進するかは私にとっての大きな課題でした。また、IBMの価値の一つがイノベーションをお客様に提供することであることから、単なる技術革新だけでなくて、その技術を使って世の中をどのように変えていくか、が私にとっての大きなテーマとなりました。私は、デザインの世界はよく知りませんでしたが、この本を読んで、研究、デザイン、ソフトウェア開発などにはどうやら共通する要素がある、という思いにいたりました。それはCreativity, 創造力です。

    IBMのGlobal CEO Studyは世界の一流企業のCEOが今後のビジネスをどのように考えているかを1000社を超えるインタビューを通してまとめたもので、今後のビジネス環境を考える上で大変貴重な資料です。今年発行されたGlobal CEO Study 2010で世界のCEOたちは、「ますます複雑化する社会にどう対応するかが最大の経営課題であり、その中で勝ち抜いていくためにリーダーに求められる最も重要な資質は、創造性だ」としています。

    では、そのような創造性を発揮するには、決まった方法論があるのでしょうか。この本は、その問いに一つの答えを与えています。ここでは、この本の中で語られていることで、私がこれだ、と思った点をいくつかご紹介しましょう。

    まずは観察すること

    「イノベーションは見ることから始まる」というのが、IDEOのイノベーションのスタートポイントです。お客様第一というのはよく聞くスローガンでしょう。でも、お客様に何がほしいか尋ねても、お客様は今までに無いものは想像できないかもしれませんし、また想像できたとしてもそれを表現できる語彙を持たないかもしれません。そもそもお客様が気が付いていない問題を持っているかもしれません。これに対して、IDEOではエンドユーザーがどのように道具を使っているか、を客観的に観察することによって、その道具やシステムに内在する問題を明らかにし、解決策を考えることができるというのです。

    観察するとは、「先入観を持たずに問題をとらえること」なのかもしれません。そのように考えると、いくつか思い当たることがあります。デザインの世界の話ではないですが、コンピュータ・サイエンスの世界で最近注目を浴びている、新しいデータベースの考え方に、Key Value Storeというものがあります。通常のデータベースでは、ACID (Atomic, Consistent, Isolated, Durable)と呼ばれる性質を満たすことが求められています。これは、データの整合性を保つ上で極めて重要な性質です。銀行で振り込みをしたら、間違いなく指定されたお金が一つの口座から別の口座に移動しなければなりません。片方から引き落とされたが、もう一方に振り込まれなかったなどということがあってはならないのです。このACID属性を保つためにはしかし、大きな代償を払わねばなりません。特に、ACID属性を保ったまま、多数のサーバーで分散処理をするのは非常に難しいことととされています。

    最近のKey Value Storeのいくつかは、ACID属性を持たないデータベースがあってもよいのではないか、という発想から生まれたものだと言えると思います。Amazon.comのDynamoというデータベースは、Aを書きこみ、それからBを書きこんだとしても、それをすぐに読みだしてみると、Aが見えたり、Bが見えたり、両方が見えたりするという不思議なデータベースです。そんなものが役に立つのか、と思うかもしれません。でも私は、これはAmazon.comの技術者が、サイトでショッピングをするユーザーの振る舞いを観察することによって生まれたイノベーションなのではないかと想像しています。Amazon.comでは、このDynamoを、例えばショッピングカートの内容を保持するデータベースとして使っています。ユーザーは、買っていないものがショッピングカートに入っていたらとまどうでしょう。でも、買ったと思ったものがチェックアウトの際に入っていなければ、その時に気がついてまたクリックするだけです。もちろん、そういうことがしばしばあってはいけませんが、銀行の振り込みのような100%の厳密さは必要ないのです。観察によって、そのことに気がついた技術者が、ACID属性のないデータベースというイノベーションを起こしたのではないでしょうか。

    私は自らのコンサルティングの経験をもとに、周りの人に常々「現場に出よう、お客様の声に耳を傾けよう」ということを言ってきました。でもきっとそれだけでは足りないのでしょう。先入観なしに問題の本質をとらえるためには、「イノベーションは見ることから始まる」というのが、より的確なアドバイスなのだと思います。私にとって、新しい気付きでした。

    イノベーションはチームで行われる

    IDEOの強い信念の一つは、「イノベーションは孤独な天才によって作られるのではない」というものです。ともすると私たちは、「あの人は創造性が豊かだ」などと言いがちですが、IDEOでは創造性はチームで発揮されるものだとして、個人による創造性の神話をきっぱりと否定しています。企業の中でも、「自分のアイディアに夢中になるあまり、そのアイディアを手放したがらず、それを人に実験させたり改良させたりすることがほとんどない」人が多くいるのではないでしょうか。そういう人が関わるプロジェクトはうまくいかないのだそうです。

    この点については、私もまったく同感です。私はIBMでGlobal Innovation Outlook (GIO)やInnovation Jamに参加して、多くの人がコラボレーションすることによって、素晴らしいアイディアがどんどん出てくるのを目の当たりにしました。私の以前のブログでも、それらの体験を紹介しました。Global Innovation Outlook 「セキュリティと社会」 (2008/09/22), I am Jamming! (2008/10/07), それにGlobal Innovation Outlookディープ・ダイブ「低炭素経済への道筋を探る」(2008/12/15)です。これらの経験からわかったことは、新しいことを、一人で考えていても煮詰まってしまいますし、何よりも多様な視点が大切だということです。多くの人の多様な視点をぶつけ合うことで、イノベーションが生まれてくるのではないでしょうか。

    イノベーションはチームで行われるのだとしても、そのチームが同じ方向性を持って進むことが重要です。このためには、よいリーダーが欠かせません。この本の中では、よいリーダーシップについて、ノートルダム大学のフットボールチームの監督の言葉を挙げています。チームのメンバーは毎年変わりますが、メンバーが口には出さないが問いかけてくる質問が3つあると言うのです。それらは、

    • 「私のことを気にかけているか?」
    • 「あなたを信用してもよいか?」
    • 「このチームを成功させることに身を捧げているか?」

    なのだそうです。そして、最高のリーダーはこれらの質問に対して、言葉でなく行動で答えなければならない、としています。これは大変重要なポイントだと思います。デザインや研究などにおいても、技術力など専門性だけでなく、人と人との信頼関係など、人間力が本質的に求められていることを示唆しているからです。

    イノベーションは反復プロセスである

    3つ目に取り上げたいのは、「プロトタイプを作ることの重要性」です。アイディアがあったらまずそれを作って見せる。だめだったら悪いところを改良したり、新しいアイディアに基づいて新しいプロトタイプを作る。プロトタイプを見ることで、新しいアイディアがわくし、お客様に見せることで、お客様の気付いていなかったような要求を引き出すことができるというわけです。この本の言葉で言えば、「短時間のプロトタイプ製作とは、答えを得る前に行動し、一か八かやってみること」だそうです。

    このプロトタイピングの考え方は、ソフトウェア開発におけるアジャイル開発の考え方と類似しているのではないかと思います。ソフトウェアのような複雑なシステムを開発する際、実装が進んでから設計に不具合が見つかって手戻りが発生すると、設計変更が実装が進んでいる他の部分にも波及するので大きな損失になります。従って、ソフトウェア開発においては、上流の設計段階でできるだけ完璧なものを作り、後で手戻りが発生しないようにすることがよいプラクティスだとされてきました。これをウォーターフォールモデルと呼びます。しかし、このモデルがうまくいくのは、ソフトウェアの要件がすべて事前にわかっている場合だけです。特に企業向けのソフトウェア開発では、お客様の要件が、お客様自身にもあまりよくわかっていないことがしばしばあります。ウォーターフォール型開発では、実際のシステムが動いているのをお客様が見るのは、開発の最終段階に入ってからなのですが、その段階になってからお客様が「これは思っていたものとは違う」と思っても後の祭りなのです。

    アジャイル開発は、完璧な設計を求める代わりに、動くデモシステムを頻繁に作ってお客様に見せ、フィードバックをもらって修正していく、反復プロセスです。IDEOにおけるデザインと同様、「作っているものの最終形の正解がわからない」活動ではうまくいく考え方なのではないでしょうか。

    一般に、問題には「なぜそうなっているのか」がわかれば解ける問題(ものごとを分析することが主になるので、これを分析的問題と呼びましょう)と、問題を解くためには複雑なシステムを設計しなければならない問題(これを設計的問題と呼びましょう)があるような気がします。地球温暖化の主要因を突きとめるのが分析的問題だとすれば、温暖化ガス25%削減のための社会制度をどのように作るかは、典型的な設計的問題でしょう。設計的問題では、多くの場合、解の最終形が事前にはわかりません。IDEOにおけるデザイン、ソフトウエアの開発、あるいは企業における研究開発の多くも、そのような設計的問題の範疇に入るでしょう。このような、まったく新しいものを創造的に作り上げる問題解決においては、反復的なアプローチが望ましいのではないでしょうか。

    バリアを取り除く

    この本の原題は、"The Art of Innovation"です。つまり、イノベーションは工学ではなく、アートだと言っているのです。工学においては理論と方法論があり、それらに則って開発を行えば、一定の基準の成果物が作れます。一方アートの世界には、そのようなルールは無く、それぞれの人が自身の経験や他人のベスト・プラクティスから学んでいくしかないのです。この本で述べられている事柄も、「このやり方でやれば誰もうまくいく」という意味での「方法論」ではなく、むしろIDEOでうまくいっているベスト・プラクティスを述べたもの、と考えればよいでしょう。

    「こうすれば絶対うまくいく」ということは言えないのかもしれませんが、イノベーションを阻害する要因は取り除くことができます。この本では、そのような障壁(バリア)についていくつか述べています。例えば階層構造の組織があります。「組織のトップがだしたアイディアを強要したり、縦の組織構造を厳格に守ったりしていると、新しいプロジェクトは押しつぶされてしまいがちである」ということですが、これは日々の活動の中で、まさに感じるところです。官僚制もそうです。「プロジェクトの開始時にかならず定形の用紙に書き込んだり、弁護士に相談したりしなければならないとしたら、新しいことを試みる回数がたちまち減ってしまう」とこの本では述べています。組織が大きくなるとこのようなバリアは多くなってくるでしょう。バリアを小さくするよう、常に気に留めていたいものです。

    この本を読んで感じたのは、IDEOのイノベーションを推進しているのは、何よりもIDEOの企業文化なのだろうということです。IDEOの社内のカラー写真が何枚も掲載されていますが、特に私の目を引いたのはブレーンストーミングの風景です。ブレーンストーミングの参加者が身を乗り出して議論している、その姿を見て、IDEOの社員が皆情熱を持ってイノベーションにあたっているのだな、ということを感じました。訳者あとがきにありますが、著者のトム・ケリーはIDEOの企業文化を「誇りと喜びを持って」紹介しているのです。ぜひ自分もそうありたいものだ、と思います。

    ※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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