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「腐敗」レクチャー アルファ版

2007/11/26 06:04
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lessig

「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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約束どおり、腐敗についての最初のレクチャーを掲載する。アルファ版であり、コメントやフィードバックをぜひ聞きたい。文書による最初のフィードバックは、昨年の冬にわたしがこの方面へ進む決断をしたときの相談相手でもあるAaron Swartzから届いた。続きの部分にかれのコメントと、一部への答えを転載する。

またレッシグWikiにも、大きくバージョンが変わるごとに保存するページを開いてある。そちらに要約や批判を書き込んでくれればありがたい。

Aaron Swartzからのコメント:

#レッシグ、政治的腐敗について

 

**主張**

(米国の)政治は答えが明白であるにもかかわらず誤った対処がなされる例で満ちている。地球温暖化についての科学的合意は圧倒的だが、われわれは京都議定書から脱退した。栄養学者は砂糖が健康的でないことについて一致しているが、砂糖産業のロビイストは望ましい摂取量の政府勧告を変えさせた。著作権保護期間の遡及的延長は社会になにも良い影響をもたらさないが、議会はくり返し延長を決定している。

一般から信頼されている分野でも、同様の誤りは存在している。新薬への学術的評価には製薬会社寄りのバイアスがあり、法学教授やそのほかの学者たちはコンサルタント業の顧客である企業に有利なバイアスがかかった論文を執筆する。

なぜか? こうした場合に信頼されている人々が_依存者_として行動しているから。政治家は集めた政治資金に依存している。かれらは善良な人々だが、時間の1/4を資金集めの電話に費やす必要がある。よってほとんどの場合、政治家が話をする相手はロビイストであり、意見を異にする相手からは話を聞くことすらない。この依存から解放されたならば、政治家たちは喜んで正しい決断をするであろう。

科学者たちは製薬会社が書いた研究にサインして報酬を得、法学教授はコンサルタントとして支払いを受けている。

これをどう解決するか。そうした立場の人々を依存から切り離さねばならないが、それは難しすぎる。努力はすべきだが、現行のシステムに非常に多くを投資してきた政治家が、公的資金による選挙戦という考えを支持することはありえないからだ。そのかわりに、依存と対立する独立についての規範を確立する必要がある。独立は重要であると考え、依存者として行動する政治家や権威は支持しないという人々を増やすこと。そして、だれが依存者であるかを明らかにするにはインターネットを使うことができる。Sunlight Foundationが資金を提供しているプロジェクトは、選挙資金を提供した相手の求めるように行動した政治家を特定するために使える。インターネットを通じた共同作業でそうした政治家などを見つけ出し事実を公開することができる。

ここまでの要約に異存はない。

また最後に、別の種類の腐敗もある。レッシグは寄宿学校で教師から虐待を受けていた男性の弁護を引き受けたことがある。法廷はすべての責任を「怪物」、つまりその教師に帰し、虐待の事実を知りながらなにもしなかった周囲の職員は不問とされた。だがわれわれは怪物が存在する事実を変えることはできない。本当の罪は知りながら怪物を支えた周囲の善良な人々のうちにある。

もし政治家たちをそうした怪物であるとするならば、周囲の善良な人々とはわれわれのことだ。われわれはみな共犯である。

ほぼ正しい。この部分についてはもう少し明確にする必要があった。わたしの議論は3つの部分からできている。(1) 腐敗とはなにかを特定し、(2) 対抗する手段として規範が重要な役割を果たすべきであると論じ、(3) 取り組みはそのために何かができる人々に集中させるべきであって、不可能な人々にフォーカスすべきではないというものだ。わたしは政治家たちが怪物だとは思わない。政治家たちとわたしが問題にした虐待犯、あるいは現大統領を結びつけるのは、かれら自身にはなにもできない、できても不十分という点だ。

**混乱**

レッシグの議論は新しく、未完成であり、少数の場で慎重に語られたことしかない。わたし(Swartz)に完全に理解できたといえないのも無理はない。

政治家と学者のあいだでは比喩が成立しないのではないかと思う。政治家は選挙戦のために資金を必要とするが、学者の動機は欲からでているように思われる。この違いは解決策について語る際になおさら明らかになる:われわれは政治家の金に対する依存を弱めることはできるが、学者の欲を減じる方法はもっと難しい。とはいえ、規範という仕組みはどちらにも有効であると考える。

この点の区別は重要だが、「強欲」であることが学者たちの問題であるとは思わない。だが問題の性質がどうあれ、どちらの場合も規範によって(ある程度は)改善できるという点はそのとおりだ。

**評価**

最初の部分は正しい:腐敗の問題は蔓延している。それどころか、レッシグが示唆するよりずっと深刻だろう。教育機関は腐敗したプロセスによって選ばれた教科書を採用する。大学教授はすでに定着した学説を、あるいは多少新奇でも定説に充分近いものを教えないかぎり在職権を与えられない。企業は利益を最大化するために常習的に法を破る。メディアは金銭的利益のために事実を曲げる。知識人は企業が用意した論説やPRのための疑似カンファレンスに名前を貸す、等々。

しかし、問題に対するレッシグの診断は不十分ではないかと思う。レッシグは政治家について、善良な人々だが選挙資金のために間違った行いを強いられているという。政治家はほとんどの時間をロビイストと過ごしているため、一方の側からの説明しか受けていないという意味だ。これは「ほぼ」正しい。

レッシグは_フィルター_の力を見落としている。もし仮にすべての問題に対してあらかじめ正しい立場を知っており、またロビイストに惑わされない政治家がいたとしても、解決にはならない:かれらは決して当選しないからだ。企業よりの立場をとらない政治家は選挙資金を得られず、できた人間が当選することになる。これはよく記録されている。企業人は立候補者たちを招き、だれが利益にかなうか見極めるためのパーティーすら開いている。(レッシグはこれを知っているはずだ。わたしの知るかぎりレッシグはこうしたパーティーに出席しているし、主催したことすらあるかもしれない。)

かもしれないが、実際には否だ。そういった会合ではなかった。だがここでの答えとしてもっと大切なのは、腐敗の問題を解決することと、わたしが(あるいはAaronが)望む政府を実現することとはイコールではないということだ。腐敗とは、その過程におけるカネの役割の増幅を指している。だが、かりにその増幅効果がなかったとしても、われわれの支持しない側がより多くの票を集めることもあるだろう。別の表現をするならば、わたしは多数のことについて最高裁判所と考えを異にしている。だがそのひとつとして、そこに金銭が介在しているとは思わない。

さらに、政治家が金銭のために企業へ依存しないですむ方法を見つけたとしても(たとえばハワード・ディーンのように)、まだメディアへの対処が残っている。レッシグの議論は、メディアの共犯性についての言及の欠如が目立つ。(これについては後に触れる)。

レッシグはブロガーを使って悪質な政治家を特定し追放できるというが、その意味ではすべての政治家が悪質といえる。それを避けて政治家になる方法はない。

まったくその通り。だから解決策はシステムの内ではなく、システムを変えること、あるいはシステムを治めるルールを変えることにある。

さらにいえば、そうしたBlogをチェックしてから投票するものなどいない。政策に基づいて投票するものすら人口の10%だけだ。腐敗云々で投票行動を変える人間はごく少数だろう。そしてそのほとんどは、投票自体をしなくなるという逆効果の結果になる。

学者についての部分は惜しいとすらいえない。自分が科学者だとしてみよう。研究室で化学物質を計測して長い時間を過ごす。解雇されないためには必死に働かねばならず、家族にも会えない。職のために馴染みのない都市に移住せねばならず、妻は仕事をあきらめることになる。新しい土地に家を買うため借金は膨れ上がり、学費ローンもまだ完済できない。そんなときにある人物が訪れて、研究に名前を連ねてくれるだけで何万ドルも謝礼を出すと提案してくる。さらにこの人物は説得術に長けており、あなたは立ち止まって意味を考えてみる間もなく署名してしまう。

すべての科学者が善良かつ強い人間で、こうした卑しい欲望に抵抗できたならばそれはすばらしいことだろう。だが、現実はそうはならない。そうした行為に及ぶ学者への非難や制裁があったとしても、誘惑を断るのは非常に難しい。

ある種の規制を「ソフトな規制」と名付けよう。ソフトな規制とは、規範を通じて効果を持つ規制だ。ソフトな規制が必ず有効とは限らないことはたしかだ。だが、だからといってソフトな規制は不十分というわけではない。一握りの科学者が腐敗しているからといって科学が瓦解することはない。

そのかわりに、

なぜ「かわりに」? 「それに加えて」ではいけないのだろうか。

契約書とペンを持った人間に目標を絞るべきだ。その人物は偽りの研究結果を公表することになんの歯止めもない、利潤の最大化を追求する企業のために働いている(レッシグはそうした企業に対して法が抑制になるというが、お笑いぐさだ)。もし仮にすべての科学者を善良で意志堅固な人間にできたところで、そうした企業は自前の科学者を作りだすだけだ(シンクタンクには何が起きた?)。もし学術ジャーナルがそうしたニセ科学者を拒否しようものなら、こんどは学術誌を乗っ取るだろう。その学術誌を政府が否定するなら、次は政府を乗っ取ることになる。かれらが支配権を握っているかぎり、このモグラ叩きゲームに勝てる見込みはない。

レッシグはあまりにも陰鬱な結論だからこれを信じたくないという。利潤の最大化だけを目的とする企業を矯正するのは難しい。残念ながら、真実はときに陰鬱なものだ。わたしは、利潤最大化企業を正すのは良い考えだと思う。だが、ほかにもっと手を付けやすい場所がある:メディアだ。

いかなる政府も、独裁制ですら、ある程度において世論の暗黙の同意に依存している(ヒューム)。通常これはプロパガンダとメディアによっておこなわれるが、われわれの政府も例外ではない。メディアを使った選挙キャンペーン広告や、的外れだったりごくわずかだったりする選挙ニュース報道こそ、この国がどの候補者に投票するかを決め、多くの問題について意見を形成する方法だ。(民営化しないかぎり社会保障は破綻するという報道しか聞いたことがなければ、もっとも左寄りの人物でさえ民営化を支持するだろう)。

メディアを正すのは考えられないほど遠い目標ではないはずだ。インターネットはすでに大きな助けとなっており、今後さらに強大な力となることが可能だと考える。人々が投票の際にブロガーの意見に耳を傾けたり、すべての科学者に善良で強い人間になる方法を教えるよりは現実的だろう。

メディアを改善するのは正しく重要なことだ。そしてまた、わたしがネット上のピア・プロデューサーたちの活動として想像する仕組みは、有権者がなにかのサイトを読んでから投票にゆくことではなく、ネット上の活動を通じて、「メディア」上の議論に影響を与えることだ。だからメディアが重要という点についてはまったく同意する。だが、Blogをもっと読まないことが「メディア」の問題だとは思わない。メディアという分野でおきるスパイラルにはそれを動かす経済があり、チェックするには多大なリソースが必要だ。(ただ、この点について近いうちにとても良いニュースが発表されることは知っている)(わたしからではない)。

しかし、レッシグの議論の(非常に説得力のある)最後の部分はまた正しい:われわれはみな共犯である。講演のなかで、レッシグは聴衆をまっすぐ指さしさえしている。非常に正しく、勇気のある行動だ。それに見合う勇気をわれわれが見つけられることを願う。

共犯性は決めの部分だ。それを認識することが変化への最初の一歩となる。

[オリジナルポスト 10月14日午後08時17分]

 

 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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