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必読:これからの10年

2007/06/22 12:00
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lessig

「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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iCommons iSummit 07の基調講演でおこなった発表は、一部の人を驚かせることになった。だがウェブにあがっている報告をみるかぎり、また一部の人々には十分に理解されなかったようだ。だからこの場でもう一度、背景にある理由とともに発表を繰り返そうと思う。

結論:わたしは研究を、そしてまもなく対外的な活動を、過去10年のあいだわたしを消耗させてきた問題から移し、新しい課題に取り組むことを決めた。理由とその課題については下に述べる。

この決断には、少なくともそのきっかけには、わたしが深く敬意を払う三人の人物が関わっている。

最初の一人はオバマ(Barack Obama)だ。半年前、わたしはオバマの最新の著書を読んでいた(すばらしい本だ)。冒頭で、かれは合衆国上院選に臨む決意について説明する。当時、オバマが政治の世界に身を置いてから10年が経っていた。10年はもう充分だ、そうかれは思う。「さらに上か降りるか」という時期だ。オバマは「上」に賭けた。どこまで行けるかはわれわれが見届けることになるだろう。

しかしわたしにとって、オバマの判断はまた別の考えのきっかけとなった。わたしが、わたしの名が人に知られるようになった問題について活動を始めてから10年になる。この十年のあいだ、わたしは実に多くのことを学んだ。この問題には大きな進展があった。議会にこそまだ届いていないが、なにが問題なのか、なにが懸かっているのかという点について多くの人々が理解したという意味だ。その理解のために文字どおり何千もの人々が努力してきた。10年前われわれがこの問題に取りかかったときなら、きっとわたしは現在のような進展など想像もできないといったことだろう。わたしの悲観主義にもかかわらず、われわれがこの論争で勝利するであろうと知るのはじつにうれしいことだ。今日ではないとしても、近いうちに。

この信念が(夢だという人もいるだろう)、そろそろ新しい問題を見つけるべきではないのかという考えにわたしを導いた。これまでとりくんできた問題について、わたしは学ぶべきあらゆることを学んだ。こうした運動をわたしとおなじくらい、あるいはもっとうまく推進できる人々は大勢いる。だから、いまはふたたび新しく始める時期だ。

この思いが次の考えの引き金となった。これはゴアと結びついている。

かれの地球温暖化についてのキーノートを観ていた何度目かのとき、ゴアが説明する問題とわたしが過去十年のあいだ取り組んできた問題とのあるつながりに思い当たった。温暖化に関する真実を認識することができないわれわれの政治システムの基本的な問題点について語ったあと、ゴアはこれがはるかに大きな問題の一部に過ぎないのだという。本当の問題はわれわれの政治プロセスに(わたしの表現ではその「腐敗 (corruption)」に)あるのだと。われわれの政府は、強い利益団体にとっての利害が絡むとき、基本的な事実さえ理解することができなくなってしまう。

これはわたしが数々の論争に参加するうちに、とくに知財にかかわる議論でたびたび感じてきたことだ。たとえば著作権保護期間の延長について考えてみよう。政策という視点から見た場合、すでに与えられた著作権をさらに延長するか否かという問いは、ミルトン・フリードマンの言葉を借りれば「バカでもわかる」。英国でGowers Commissionが結論づけたように、政府はすでに作られた作品の著作権を決して延長すべきではない。延長によって課される甚大な死重的損失を正当化できるだけの公的な理由は存在しない。

それでも各国政府は、この愚かな考えをくり返し推し進める。たとえば英国でも日本でも、政府は既存の著作権の延長を検討している。なぜだ?

答えは政治プロセスのある種の腐敗にある。あるいは、政治プロセスの「腐敗」のひとつと呼ぶべきか。贈賄という単純な意味ではない。わたしがいうのは、システムがあまりにもカネの影響に歪められてしまい、著作権保護期間の延長ほど単純明快な問題でさえまともに対処することができなくなっているという意味だ。政治家たちは利益団体が提供できるリソースに飢えている。米国では、資金源の命ずるとおりに動くことが再選を確保する唯一の方法だ。影響力の経済によって、公共政策はつねに理性からドルへとねじ曲げられてしまう。

むろん新しい問題ではない。どころか、派閥への警戒はわが国の成立とおなじくらい古い問題だ。われわれの政治システムがいかに腐敗してきたかを明らかにしようと、数限りない人々がすばらしい仕事をしてきた。解決策も数十となく提案されてきた。解決のための取り組みが欠けている分野ではないし、有能な人々が不足している分野でもない。

だが三人目の人物――ここでは匿名とする――が、この「腐敗」に対処する方法を求める多くの人々に加わりたいというわたし自身の気持ちに気付かせてくれた。ワシントンの共和党有力者であるかれは、わたしがネット中立性について送ったメールに次のような返信をくれた。「それから、中立性の規制を通じてマーケットシェアを守ろうとする大企業の提灯持ちをするのもやめなさい」。

"提灯持ちをする"

最近のこのblogを読んでいるなら、この言葉に対するわたしのアレルギーを知っているだろう。だがこの友人の使い方はわたしを断罪するのではなく軽いもので、むしろこの腐敗がどれほど一般化しているか気付かせてくれた。もちろんかれは、わたしがこの問題に利害を持つものたちから金をもらっていると考えたのだ。それ以外になにかを主張する理由などあるだろうか? かれもわたしも、そうした提灯持ちが当然の規範となっている職業に携わっている。だから、わたしが公共政策について議論したがるのは誰かからカネを貰っているからだろうと推測するのはまったく妥当なことだ。

わたしはその一部でありたくない。それ以上に、このようなことが公共の政策決定の一部であってほしくない。われわれは政府の「腐敗」については年中不平をこぼしている。専門職につく人間の腐敗についてもそうすべきだ。だが不平を言うよりもむしろ、わたしはこの課題に、政府を機能させるためにもっとも重要であると信じるに至ったこの問題の解決に取り組みたいと思う。

だから、冒頭の「結論」で述べたように、まずはわたしの研究を、それから活動を、これまでの十年間わたしを消費してきた問題から、新しい課題にシフトさせることを決めた。具体的にいえば、ほかの場所で定義した「腐敗」がわたしの新たな仕事の焦点となるだろう。今後の少なくとも十年、わたしが解決の手助けに取り組む問題はこれだ。

幻想は抱いていない。10年が経過しても、この問題がまだ存在していることは99.9%確信している。だが、失敗の確実性はときに挑戦の理由となる。この場合にもそれはあてはまる。

また、わたしがこの問題を魔法のように解決する特効薬を持っているとも思っていない。それどころか、わたしは初学者にすぎない。次の10年の大きな部分は、ほかの人々の業績について学び研究することに費やされるだろう。望みはそうした仕事のうえに付け加えることだ。完成済みの革命を携えてきたようなふりはしない。

かわりにわたしが持っているものといえば、これまでネットワークと知的財産の正気のために尽くしてきたのとおなじだけのエネルギーを注ぎたいという欲求だ。これは簡単な課題への移行ではなく、また別のプロジェクトだ。人によってはわたしをエキスパートであると考える分野をあきらめ、わたしが単なる入門者にすぎない分野に取り組むという決定だ。

それでは、わたしが現在携わっている仕事への具体的な影響について。

最初に、そしてなによりも重要なのは、わたしはクリエイティブ・コモンズやiCommonsプロジェクトを去るわけではないということだ。わたしは双方の理事に留まり、またクリエイティブ・コモンズのCEOも引きつづき務める。機会があるかぎり双方の組織について話し、その主張を推進してゆく。最低でも、両組織とも将来にわたって財政的な安定が見込めるまでは。また、スタンフォードのCIS(インターネットと社会センター)の指揮も続ける。

だが第二に、これから数か月をかけて、現在理事を務めているその他の組織からは退くことになる。即座にではないが可能なとき、無理のない時期に。

第三に、今後は基本的にIPの問題について講演をすることはない(TCP/IPであれ知財という意味のIPであれ)。もちろん例外はあるだろう。とくに年内にはいくつかの約束をしている(とはいえ、この決断は数か月前から進めてきたためにごくわずかな数だが)。また将来にも例外はあるだろう。だが基本的には、非常に強い理由がないかぎり、過去10年間のわたしの仕事を形作ってきた問題について新たな講演は引き受けないつもりだ。

かわりに、必要な技術的手助けが見つかりしだい、これまでわたしが作成してきたプレゼンテーションのすべてをccMixterのようなMixterサイトに移し、だれでも自由にダウンロードやリミックスして好きな目的に使えるようにする。本もすべてフリーなライセンスで配布できるよう引き続き作業を進める。また、現在はこれまで手掛けてきた諸問題に関する最後の一冊となる本の仕上げにかかっており、多少なりとも新しい貢献ができることを願っている。

第四に、このページもまた変わる。この場でわたしが扱う話題も変化するだろう。一部の人はよく思わないだろうし、それについては申し訳なく思う。BlogはCC-BYでライセンスされているから、これまで扱った(ほぼ) IP関係の話題は自由に発展させることができる。だが、わたし自身がそうした話題について続けるのは稀になるだろう。ここにはまた別の話題が登場する。

第五に、一部の人にとって、いま説明している決定は以前にも聞いた覚えがあるかもしれない。5年前のOSCONでおこなったFree Culture講演(邦訳)の冒頭で、わたしはこれが最後の講演になると告げた。実際にいいたかったのはエルドレッド裁判での弁論を控えて最後の講演という意味だったのだが、緊張のあまりその点をはっきり伝えられなかった。そのあと文字どおり数百ものレクチャーをしていることからも明白だろう(昨年だけで85回)。

しかし繰り返すが、これは今後沈黙するという決断ではない。チャンネルを変えるという決断だ。この新しい課題は、わたしの考えでは決定的に重要だ。どころか、この「腐敗」にかかわる問題が解決するまで、IP関連の問題も解決することはないだろうと確信している。だからこのページを読んでいるあなた方の一部でも、この新しい課題について興味を持ってくれることを願う。これまでそうであったように、この場所がわたしの活動の中心となるだろうから。

最後に、ある友人の表現とは違って、わたしは「運動から離れる」わけではない。ネットや著作権をめぐる「運動」に対しては、今後もつねにいまと変わらぬ忠誠を持ちつづける。だがわたしは、もっと根本的な問題が直らないかぎり、われわれの「運動」もまた成功できないだろうと信じるに至ったのだ。例えていえば、自由な文化の問題に献身する誰かが、自由なソフトウェアの力を得られないかぎりフリーカルチャーもまた実現しないと考えるようになり、フリーソフトウェアの実現に取りかかったようなものだ。わたしは自由な社会、現在のわれらの社会を支配する「腐敗」から自由な社会こそ、自由な文化にとって、さらに重要な多くのことにとっても必須であると信じるようになった。それを理由に、いまはまた新しい目標にわたしのエネルギーを振り向けることに決めた。

これまでの取り組みに力を合わせてくれたすべての人に、とくに今後もその努力を続けてくれる人々に感謝する。この運動を率いる立場に就き、成功に導く人々には最大の感謝をおくりたい。お返しにひとつだけお願いがある:いつか約束の地にたどり着いたなら、忘れずに葉書を送ってほしい。

[オリジナルポスト 6月19日午前2時07分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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