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Engadgetより:検索されたくない出版社社長、GoogleのPCを盗む

2007/06/18 20:00
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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Engadgetの記事によると、「Macmillan Publishersのボス」がブックエキスポの会場でGoogleのノートPCを盗み、あとから「盗られる側の気持ちが分かってもらえたかな」とのセリフとともに返却に現れたという。「ノートPCのどこにも「盗まないでください」と書いてなかった」とも。

さて、企業の「ボス」にしても驚くばかりの無知を明らかにした行動だ。

Google Book Searchは1800万冊の本のスキャンを計画したことを思い出してほしい。そのうち16%はパブリックドメインにあり、9%は著作権が存在しかつ今も刷られている。すなわち、Googleがスキャンするうちの残りの75%はすでに絶版となり、しかし著作権保護は続いている(と推測される)書籍だ。(この問題については30分ほどのプレゼンテーションを公開している)。

最初の9%については、各出版社とGoogleのあいだで契約が結ばれている。また16%については、パブリックドメインにあるため誰とも契約する必要はない。よって出版社たちが苦情を言う可能性があるのは残りの75%、絶版だが著作権保護は続いていると推定されるものについてだ。

Googleはこの75%に属する本のインデックスを作成し、検索可能にすることを意図している。検索語句が見つかった場合、Googleは該当部分の抜粋を表示する。検索結果ページにはその本があるかもしれない図書館への、あるいは買えるかもしれない書店へのリンクが含まれる。また、「出版社」がその本を復刊させることがあれば、その出版社へのリンクも含まれることになるだろう。

そして最後に、検索されることを望まない著者はインデックスからの消去を申し入れることもできる。Googleのウェブ検索と同じく、誰でもオプトアウトできる仕組みだ。

さて、では見本市のデモブースに置いてあるコンピュータを前にして、マクミラン社の「ボス」がとった行動はGoogleと同じようなものといえるだろうか?

もちろん違う。理由を列挙してみよう:

(1) まずは当然、「知財」なるものが生まれたそもそもの最初から、誰にも自明である点からはじめるべきだろう。ジェファソンはこう書いている。全文はConnexions projectで読めるが、ここで問題になる違いについての部分はこうだ:「(アイデアというものは)奇妙な性質を持つ。だれもがその全体を所有できるため、だれかの持ち分だけ少ないということがない」。「ボス」がGoogleのコンピュータを盗んだ場合、Googleはそれを使えなくなる。だがGoogleが絶版本をインデックスしたところで、だれかのその本へのアクセスが妨げられることはありえない。

(2) 所有者の分かるブースに置いてあるコンピュータは、たとえるならば著作権があり、まだ刷られている9%のようなものだ。それらに対しては、Googleは出版社と契約を結んでいる。よってこの「ボス」の行為はむしろ、著作権が保護されておりまだ出版されている本をまるごと、無料で公開してしまうことに等しい。Googleが決しておこなっていないことだ。

(3) もしそのコンピュータが所有者の分かる場所で扱われているのではなく、ゴミ捨て場に置かれていたなら(本でいえば絶版のようなものだ)、あるいはどこかに放置されてだれも注意を払っていなかったとしたら、それはGoogleが扱おうとしているカテゴリにあてはまるといえる。だがここでも、Googleはほかの誰かがそれを手に入れることを妨げているわけではない。たとえば出版社が復刊させるのもまったく自由だ。それどころか、Googleの行為は広告を出すようなものだ:「持ち主不明のコンピュータがあります。あなたのものですか?」

(4) あるいはまた、見本市が終わって置き忘れられたコンピュータの場合を考えてみよう。だれが所有者なのか簡単にはわからないとする。連絡できる番号も見つからない。この場合、この「ボス」氏に、あるいは発見者にできることはなんだろう。その地域の法律にもよるが、基本的なルールは「発見したもの勝ち」だ。「こんなものを拾いました」と告知する義務はあるかもしれないし、一定のあいだ取得物を預かる機関に引き渡す義務もあるかもしれない。だがその期間が過ぎれば、見つけたものは「ボス」氏のものになるだろう。Googleにとやかくいうことはできない。では、これを著作権の場合と比べてみよう:著作権法の場合、ほとんど一世紀近くのあいだ所有者が見つからなくても、出版社はおろかだれにも、どうする権利もない。一度持ち主から忘れられてしまえば、著作権法いわく、ずっと孤児のままでいなくてはならない。サーチエンジンのような技術を使って、その存在を見つけられるように手助けすることすら許されていないのだ。

(5) あるいはまた、コンピュータではなくニューヨークにある銀行の口座のことだとしてみよう。銀行にも名義人の消息が分からない。そのまま5年が経過すると、口座に入っていた金は州のものになる。著作権の場合:ニューヨーク州では100年前の録音物であっても、現在の著作権者が発見されないかぎり誰にも、どのように扱うことも許されていない。

リストはまだ続けられるだろう。だが明らかな点はこれだ:物質的な財産と、われわれが著作権と呼ぶ知的財産は別のものだ。ジェファソンは違いのひとつを指摘した。だがわたしがなんとか人々に理解してもらおうと試みてきた違いは、物質的な財産のシステムには、システムの効率性を保証するための数々の仕掛けが施されているという点だ。著作権にはそれが存在しない。著作権は政府が設計したなかでももっとも非効率的な財産システムだ――この意味は大きい。そして誰がなにを「盗んで」いるといった子供じみた論争を続けるよりも、いまは政策決定者たちが(そして業界のリーダーたちが)この著作権の非効率性の問題に対して責任を果たすべきときだ。

[オリジナルポスト 6月8日午前12時48分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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