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Walter Durantyの影

2006/05/10 05:40
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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(Timothy Wu教授によるゲストBlog)

The New York Timesビルには、ピューリッツァー賞受賞記者たちの写真が飾られた長い通路がある。時代によって髪型が変わってゆくのが面白い。だがもっと興味深いのは1931年の写真、Timesがわざわざ大きな但し書きを取り付けているWalter Durantyの肖像だ。

わがツアーガイドJenny 8. Leeはこんな話をしてくれた。1930年代、Walter Durantyはアメリカでもっとも著名な記者のひとりだった。ニューヨークタイムズのモスクワ特派員として、米国民にスターリニズムの繁栄とその意味、マルクス主義との相違点、そして集産主義や五カ年計画といったことを活きいきと伝える記事を多く執筆した。

だがひとつだけ問題があった。情報源を公式発表に頼り、また徹底した検閲の下にあったために、Durantyの記事はスターリニズムの暴虐について控えめにしか、あるいはまったく触れていなかったのだ。オンラインで読むことのできるDurantyの記事はたとえばこんな調子だ。

スターリンはロシアの大衆に――西欧化された地主たちや銀行家や知識人ではなく、ロシア1億5000万の農民や労働者たちに――かれらが本当に欲するものを与えている。つまり力をあわせた努力、共同体としての努力である……スターリンはみずからを独裁者ではなく聖火――ボルシェビキの用語では「党方針」――の守護者であると考えており、スターリン主義ではなくもっと良い他の名が与えられることを望んでいる。

数十年後、ニューヨークタイムズはDurantyの業績を否定した。肖像には但し書きが取り付けられ、このような説明がある「記事はTimes記者他から信頼できないものと見なされている」。

Durantyについて話す理由は、わたしと共著者のJack (Goldsmith)のあいだで意見が一致しない問題のひとつ、すなわち「GoogleやYahooといった企業は、中国など検閲で知られる国でビジネスをすべきか」について語るためだ。Jackも当の企業を含む大勢も、結局はだれにとっても望ましい結果につながるのだと主張する。進出する企業にとって、中国の人々にとって、また米・中の経済にとって。

立場は理解できるし、孤立ではなく交流をという方針にはおおむね同意している。Googleとおなじ立場にあればわたしだって誘惑を感じるだろう。中国の.comプロダクトはひどい出来で、Googleが二流品のリリースを嫌うことを思えばなおさらだ。

だがわたしが同意できない理由は結果そのものよりも倫理に、とくにメディア企業としての倫理に関わっている。車や小麦を供給するのはまた別の話だろう。しかしわれわれはメディアというものについて、常に腐敗に向かうその性質についてすでに学んできたのではないかと思うのだ。

Walter Durantyの物語はその危険を示している。誰も気づかないうちに国家権力の道具となり、スターリン主義の道化と化してしまう危険だ。中国におけるサーチエンジンとDurantyにはひとつの共通点がある:嘘をつかなければ仕事ができない。検索は実際の人気とは違う結果を返す。ビジネスの世界ではある程度の嘘は正当化されるとはいえ、その影響を考えれば、情報を提供する企業としてはあまりにも堕落だと思える。

良くいわれるのは、Googleが参入しなくても中国産のサーチエンジンがよろこんで取って代わるだろうというものだ。理解はできるが、それで何が正当化されるのかはよく分からない。もしエンロンで働いていたとして、わたしの代わりに証拠書類をシュレッダーにかける社員はいたことだろう。だが、それでわたし自身の行為は正当化されるのだろうか。プラウダもDurantyのような記事を載せていた。しかし違うのは、NY Timesはプロパガンダではなくニュースだと思われていたという点だ。同様に、サーチエンジンが返す結果は誰かの意図で作られたものではないと思われている。

ネット上のコンテンツ企業やサーチエンジンは、自分たちが倫理的な意味でメディアであるとは考えていない。自分たちは単なる道具であり、より伝統的な企業に課せられていたさまざまな責任から自由であると思っている。それが正しいのか、わたしには自信がない。

いつか間違っていたのはわたしの方だったと証明される日が来て、Googleの中国市場参入こそ転換点であったと記されることになるのかもしれない。GoogleやYahooは、米政府が中国の内部にもっと効率的に影響をおよぼすクサビとして働くのかもしれない。だがこれからの十年、あるいは数十年の後、手を貸したのは間違いであったと判明するときが来るのではないかと思えるのだ。1930年代の過ちのように。

[オリジナルポスト 5月1日午後8時53分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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