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CNET Japan ブログ

まったく愉快だ

2005/11/17 06:21
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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“Progress”and Freedom Foundation (PFF)はGoogle Print裁判の出版社側に加わったようだ。PFFのJames Delongは「Google Printと航空のアナロジー:レッシグの偽りの歴史」と題する電子メールを方々に送っている。Googleが最初に訴えられたときにわたしが書いたblog記事への反応がその内容だ。

Delongいわく(ありがとうNeil):

Google Printに関する最近のBlogで、スタンフォードの法教授ラリー・レッシグは著書Free Cultureの中心ともなっているある物語を繰り返している。レッシグは1946年に航空機の騒音を巡って争われた合衆国政府vsコーズビー事件を採りあげ、この事件への判決は土地所有者の財産権は天まで達するという古い法理論を却下して航空時代への道を開いたものであり、すなわち空を共有のコモンズと認めたのだと論じている。そしてこの例をGoogle Printに援用し、古い著作権法制度もまたインターネット時代のあらたなコモンズの名の下に打倒されるべきであるとする。だがこのコーズビー裁判の説明は偽りだ。実際には土地所有者側が勝訴したという事実を無視しているのみならず、判決がかれの主張とほぼ正反対であるという点にも触れていない。

一件のBlogエントリからかくも劇的な展開が生まれることをだれが予想したろうか。あるいはかくも間違った展開が生まれることを。

コーズビーの件のわたしの引用はどちらの文脈でも完全に適切かつ正確なものだ。判決から本に引用しBlogでも参照した部分ここだ:

古代の思想においては、土地のコモンロー上の所有権は宇宙の果てまで続くとされた。だがこの思想は現代世界では場違いである。議会が宣言した通り、空中は公共の高速道路である。それが成立しなければ、あらゆる大陸間をまたがる航空路線は、その運営者を無数の不法通行訴訟にさらすことになってしまう。そんな発想は常識的におかしい。空中空間に対するそのような私的権益を認めることは、そうした高速道路を塞ぎ、公共の福祉に乗っ取ったそれらのコントロールや発達を深刻に阻害し、公共のみが公正な権利を持つところを私的所有権の下に移すことになってしまう。328 U.S. at 261.

わたしがこの段落を引いたのは単に、古い財産権のルール(財産権は「宇宙の果てまで」及ぶ)を挙げ、それが現代の「常識」によって変化させられた(「空は公共の高速道路」)ことを示すためだ。ある技術(飛行機以前の世界)にとっては理に適っていたかもしれないルールも、別の技術(飛行機)のもとでは理不尽となる。よって社会は選択を迫られる:進歩への影響を無視して古代の考え方を支持するか(ここでいう進歩, progressとは普通の意味であって、"Progress & Freedom Foundation"なる団体名に使われている非常に異なった意味ではない)、あるいは「常識」がそのような退行的な考えを却下することを認めるか。判決はこの常識による却下を認め、支持した。財産権の法は「宇宙の果て」まで及びはしない。

DeLongはこれが誤りだという。DeLongも書いているようにわたしはこの判例を「土地所有者の財産権は天まで及ぶという古い法理論を却下し、空をコモンズにしたもの」と説明した。DeLongいわく、この説明は判決を「誤って伝えて」いるそうだ。なぜなら実際にはコーズビー側が勝訴したからだ、として:

この例が教えるのは、たとえ政府であっても、私的団体であればなおさら、既存の権利への影響を考えることなくただ何かをコモンズであると宣言することなど許されていないということだ。

これはワシントンを汚染しているバイナリ思考の実に良い例だ。わたしの主張は「古代の思想」は無効を宣言された――すなわち財産権は「宇宙の果て」までは及ばない――というものだ。コーズビーが裁判に勝ったというDeLongの言葉は正しい。だがコーズビーの勝利は、DeLongが言うように「たとえ政府であっても、私的団体ならなおさら、単に何かをコモンズであると宣言することなど許されていない」からではない。勝訴の理由はかれらの申し立てた侵害があまりにもひどいものだったからだ。しかし法廷は、「宇宙の果て」まで土地の権利が及ぶという古いルールはもはや適用されないことをこれ以上ないほど明確にしている。Douglas判事は判決にこう書いている。

土地のすぐ上空を除く空中はパブリック・ドメインの一部である。

「パブリック・ドメインの一部」。空はどのようにパブリック・ドメインに加えられたのか? 「ただ何かがコモンズであると宣言すること」によってだ。この変更によって補償を受けた者がいるだろうか? 否。DeLongはこれに反する論拠を提出したか? 否。それどころか、DeLongの主張はワシントンの大部分を覆うバイナリ思考そのものだ:財産権の極端な主張は間違っていると主張する者は、財産権そのものを否定しているに違いない。

だがもちろん、わたしの知る限り誰もそのような主張はしていない。Googleには本のインデックスを作る「フェアユース」の権利があるとわたしは考えている(Bill Patryによる周到な考察を参照)。だが、著作権のある本をスキャンして世界中の誰にでも丸ごと提供する権利があるとは思っていない。わたしは一部の権利とすべての権利を区別する。

コーズビーの件はこの区別にそのまま当てはまる。

(1) 法は著作権者に「コピー」への独占的権利を与えている。これは地権者の権利が「宇宙の果てまで」続くことに等しい。

(2) 新しい技術(デジタルネットワーク、航空機)の登場によって、昔の独占権をそのまま守ることは理不尽になった。

(3) 適切な対応は、常識によってそのような極端な主張が「却下される」ままにすることだ。(極端な主張:出版社はあらゆる種類のコピーをコントロールする権利を持っており、たんにインデックスを作るための「コピー」も制限できる・土地の権利は「宇宙の果てまで」及ぶ)

(4) 極端な主張を却下することは、すべての権利を撤廃することにはつながらない。コーズビーは「土地のすぐ上空」を飛ぶ飛行機に対して苦情を申し立てることはできる。作家及び出版社は、たとえば本をスキャンしてまるごとオンラインで提供するものには苦情を申し立てることができるべきだ。

とはいえ、DeLongのメールにも重要な真実がひとつ含まれている。いわく、

コーズビーに認められたのはその財産の価値が損なわれた部分への請求のみであり、航空時代がもたらした利益の分け前ではない。

もし原則というものがあるとすればこれこそがそうだ。基準は新技術が登場する以前の価値であり、問われるべきは新技術がその価値を低下させたかどうかだ。別の言い方をすれば、作家や出版社はGoogle Printによって以前より損をするのか?

答えるも同然の問いだ。もちろん作家も出版社もGoogle Printによって利益を得る。

ではもし法によって新しいイノベーションから分け前をゆすり取る権利を与えられたとして、作家や出版社はそのような権利を持たない場合より得をするのか?

こう質問すれば、なぜこの裁判が始まったのかを理解することができる:ベータマックス(家庭用VTR)を訴えた映画協会のヴァレンティのように、Authors GuildはGoogle Printが生みだす利益の分け前を欲しがっているだけだ。Google Printによって「財産の価値が低下」したと主張しているわけではない。そうではなく、古代の法律であればかれらに与えられていたはずの価値を要求しようとしているのだ。それが"Progress"に与える害にもかかわらずに。

[判決文の引用部分はFREE CULTUREより、山形浩生・守岡桜訳]

[オリジナルポスト 11月9日午前6時15分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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