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「よい戦争」

2004/12/21 05:43
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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(Geoffrey Stone教授によるゲストBlog)

第一次大戦後の1919-1920年、アメリカは「赤の恐怖」に見舞われた。ロシア革命に続いて米国内で起きた一連の爆弾テロは、政府転覆を画策しているとされた「過激分子」に対する国民的パニックを引き起こした。A. Mitchell Palmer司法長官はFBIの前身BoI(Bureau of Investigation)にGeneral Intelligence Divisionを置き、若きJ. Edgar Hooverに指揮を執らせた。Hooverは多数の秘密捜査員を用い、破壊活動の疑いで数千の外国人を無差別に連行する一連の強制捜査に踏み切った。逮捕された人々のうち千人以上が直ちに国外退去を命じられた。

やがて1921年頃にはアメリカも正気を取り戻し、第一次大戦中も「赤の恐怖」の時期もひどい過剰反応をしていたと気付きはじめた。1922年にはHarlan Fiske Stone司法長官がHooverの手綱を引き、「秘密警察」の危険性について警告している。1923年までには、かつて1917年諜報法や1918年治安法で有罪を宣告された全員が監獄から解放され、政府による権利侵害を理由とする恩赦を与えられた。1920年代中頃から1930年代始めには、新聞、教育者、市民の自由の擁護者、そして政治指導者たちは言論の自由こそアメリカ的価値観の根本であると称賛するようになった。

しかし大恐慌が訪れ、新たな急進的主張が左(アメリカ共産党)からも右(German-American Bund、米国の親ナチ派)からも聞かれるようになると、言論の自由を尊ぶコンセンサスへの圧力も高まりはじめた。1930年代後半には、政府の捜査機関はそれら新たな「破壊的」団体に目を光らせるようになった。

そして1941年12月7日、日本は真珠湾を攻撃する。第一次大戦とは異なり、合衆国が直接敵の攻撃を受けたのだ。米国民は国家の防衛のために団結した。真珠湾の後にはかつての孤立主義は消え去り、アメリカ人が「よい戦争」と呼ぶ第二次世界大戦のあいだ反対の声はほとんど聞かれなかった。(第二次大戦中の米国にたしかに存在していた反対派に興味があるなら、そして特に「ナチ同調者」への訴追について知りたければ、Perilous Timesの252-280ページを参照。)

市民の自由に関わる第二次大戦中最大の問題は、日本の血を引く12万人の強制収容によって起こった。かれらの三分の二は米国市民であり、これは当時の日系米国人の90%にあたる。ドイツあるいはイタリア系住民に対する米政府の扱いと比較してみるのは有効だ。二次大戦中に米国に居住していたドイツおよびイタリア国籍の人間はすべてFBIと軍当局による調査を受け、国家保安への脅威とみなされた場合は身柄を拘束されたが、危険なしと判断された大多数のドイツ人・イタリア人は比較的緩やかな制約のもと米国に留まることを許された。そして当然、ドイツおよびイタリア系の米国市民を駆り集めようという試みは一切なされなかった。

真珠湾攻撃から数週間のあいだは、日本人や日系人を強制収容せよという声は聞かれなかったが、やがて日系住民によるスパイ・破壊活動計画という(偽りの)噂が西海岸に広まるにつれ、またアジア系移民に対する根深い敵意という背景から、米国民の多くは敵と同じ外見を持ち目的も共有しているかもしれない人々を隣人とすることに警戒と怒りを訴えるようになった。なぜ日系米国人はドイツ系あるいはイタリア系米国人と違う扱いを受けねばならないのかと尋ねられた加州司法長官Earl Warrenはこう説明した。アメリカに忠実なドイツ人あるいはイタリア人とそうでないものを見分けることはできるが、日本人という人種についてはそうした判断はまったく不可能である。

強制収容を求める声は日増しに強くなり、日和見的な政治家とヒステリックな新聞記事によってさらに膨れ上がった。西部軍司令官DeWitt将軍はついに、米国市民も含め日本の血を引く全ての住民に立ち退きと収容キャンプへの移住を勧告した。

FBI長官J. Edgar Hooverはこれを不必要かつ過剰、単なる国民的ヒステリーの産物でしかないと激しく反発した。また司法長官Francis Biddleも勧告は違憲かつ非道徳的として反対したが、Franklin Roosevelt大統領は結局、1942年2月に大統領命令9066を発行した。この大統領令により、カリフォルニア・アリゾナ・オレゴンおよびワシントン州在住で日本の血を引く人々は全員、老若男女を問わず、手荷物以外の財産を放棄して有刺鉄線で囲まれた「一時転居」キャンプに移住することを命じられ、ほとんど三年間を収容されて過ごすことになった。FDRはなぜこれを命じたのだろう? 軍事的必要性がないことは明らかだった。これはむしろ政治的判断であり、Rooseveltは1942年の議会選で西部諸州の支持を失いたくなかったのだ。

では、ここであなたに質問だ。今後三週間のうちに、米国に9/11規模のテロ攻撃が六度おこったとしよう。またテロリストの一部は外国人、一部はイスラム教徒のアメリカ市民であったと仮定しよう。こうした状況下で、ブッシュ政権が米国内のすべての外国籍イスラム教徒の拘束と、米国籍イスラム教徒の一時拘禁(少なくとも国家保安への脅威かどうか判断するまでの間)を命じたとする。あなたはこれを支持するだろうか? これは第二次大戦時の強制収容とどう区別できるだろう?

[オリジナルポスト 12月17日午前8時25分]

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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