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Kerry推薦の“enblogment”

2004/11/02 00:50
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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このBlogの読者にとって、わたしがJohn Kerryを大統領に推薦しても驚きではないだろう。わたしは現大統領を辛辣に、ときには不公平に批判してきたし(シークレットサービスに質問を受けてこそいないが)、Kerryへの批判は、選挙キャンペーンへの疑問とIP政策への不安を除いて差し控えてきた(どちらの懸念も後の出来事で和らげられている)。

だがどのBlogも、たとえ一言であっても、現在の立場を明らかにしておくべきだろう――11月3日の現実が今日のわれわれの意見を歪めてみせることのないように。

アップデート:Daveが推薦(endorsement)というアイデアを取り上げてBlog可能にしてくれた。こちらで選択肢をチェック。

George Bushという人物には、この判断を難しくするような側面がある。かれの政策については、貿易関連を除いて(鉄鋼関税の汚点はともかくとして)、わたしは明らかに反対だ。だがかれの人物には(われわれの知る限りでは)、政治家には希な、わたしがリベラルの一員として望んでやまない特質がある。Bushが好んで言うように、たとえかれと意見を異にしようとも、かれの信念がどこにあるかは明白だ。Bushももちろん意見を二転三転させてきたが(The NationのBushに関する100の事実、88から92を参照)、その核となる立場は揺るぎない。

政治家にとってこれは特質であり、バグではない。Clintonに大きく失望させられたのはこの点だ。どのような決意も圧力の前に融けてしまい、誠実さは弱点であり、困難な理想への献身は単に変節の前触れでしかなかった。

Bushは違う。たしかにある種の頑固さではあるが、原則に従う頑固さは政治家にとっては得がたい美徳だ。われわれはReaganをこんな風に懐古したがる。Lincolnに連邦のためすべてを賭ける強さを与えたのもこの美徳だ。

だが最終的に問われるべきは、その頑固さが向けられた信念とは何かだ。自分と異なる価値観に献身する人物に敬意を払うことはできるが、それは対立が本当に価値観の差によるものだと信じられるときのことだ。

ここで、Paul O'Neill前財務長官に取材したSuskindの本が助けになる。The Price of Loyalty[『忠誠の代償』]では恐るべきホワイトハウスの姿が語られる。この政権にとって、テロの恐怖は政略の要素でしかない。もちろん、どのホワイトハウスにも政略ディレクターは存在しただろう。だがその核では、確固としたポリシーが手綱を握っていなければならないはずだ。政治の駆け引きが政策を覆うことはあるだろう。政略が政策の実現を導くかもしれない。だが、もし大統領の地位が再選を確実にするための機械以上のものならば、その献身は再選を確実にする以上のことに向けられていなければならない。

現政権は、少なくともO'Neillによれば、核となる政策を持たない。それは多くの場面で確かめられてきた。Suskindの筆を通じてO'Neillが語るように、現在のホワイトハウスには政略という殻だけがあり、駆け引きを導く政策という核が存在しない。政策討論は筋書き通りに進み、筋書きからは議論が取り除かれている。凡庸な大統領がイエスマンに囲まれ、彼らは大統領からではなく大統領をその座に据えたものたちからの指示を待っている。

この批判は政府の部門を超えて一般化することができるだろう。わたしがもっともよく知るのは(多くを知っているわけではないと認めるが)、司法の部門だ。法を学び、生活する誰もが知っているように、判事たちもまた政治という殻をまとっている。かれらもまた時流に聡く、その変化に反応する。だがわれわれが敬意を払うのはかれらの政治的才覚ではなく、法というかれらの核を規定する原則に対してだ。政治という殻はその原則に応えねばならない。そうなって初めて、判事はその核となる信条を異にするものからも敬意を勝ち得ることができる。

わたしは法律家としての人生を、法的判断が原則に導かれることを想像する夢の世界に生きてきた。教え子たちはわたしをその世界から目覚めさせようとした。わたしは目覚めることを拒否した。だがひとりの市民として、わたしはホワイトハウスが政治的駆け引きという殻ではなく、政策を定める核によって導かれる世界に住みたいと思う。法の世界には、政治的駆け引きに関わらず、「正しいことをする」という理想がある。ホワイトハウスにもまたそんな理想があるべきだ。

わたしの価値観は、BushのものよりはKerryのものに近い。だから最初から偏りがあるとはいえ、もし実際にKerryが大統領の座についたならと想像するとき、想像と現実が劇的に異なるのは、もしかしたらホワイトハウスにも正しいことをするという考えが戻るかもしれないという点だ。正しいやり方で――事実に従い、疑問を追い、理論を試し、結果と疑問を導いた価値観に基づいて、正しいことをする。

Kerryは学習する。彼は問い、不十分な答えには腹を立てる。政策を持っている。この点だけでも、かれはBush大統領よりもましな大統領になる。そしてもし仮に、本来の二次的な役割にまで政治的駆け引きの殻を薄くすることができたなら、そして大多数が反対する理想を守ることを恐れなければ、かれは偉大な大統領になれるだろう――クリントンよりも、あるいはレーガンよりも、ほとんどどの大統領よりも。

言えることはもちろんまだたくさんある。その一部はわたしを怒りに震えさせ(虐待)、涙に暮れさせる(拷問)。だが少なくとも、確固とした政策を持つホワイトハウスという理想は、KerryをBushより上に置く理性的な理由だ。怒りと涙がつねに理性に勝ることは承知している。だがもし正しいやり方をしたいなら、理由のひとつはここにある。

[オリジナルポスト 10月29日午前7時20分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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