お使いのブラウザは最新版ではありません。最新のブラウザでご覧ください。

CNET Japan ブログ

Sinclairの複雑なケース

2004/10/20 10:02
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

lessig

「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
ブログ管理

最近のエントリー

chart.jpg
sbg.jpg

20のFox局を含む国内最大のテレビ局チェーンを擁するSinclair Broadcasting Groupは、通常の番組を差し替え、Kerry候補はベトナムでアメリカ人捕虜を「裏切った」とするドキュメンタリーを放送すると決定したようだ。これはたとえば、大統領のイラク侵略決定の背後にあったインテリジェンス[まま]をめぐる番組の放送は「適切でない」と判断したCBSを含む他のネットワークとは対照的だ。

わたしはCBSの判断を批判している。番組の内容からすれば、選挙前の放送は明らかに「適切」と思える。今回の選挙は、ひとつには大統領の判断は果たしてアメリカにとって望ましいものだったかが争われるものだ。反対に、大統領の州兵時代に関する番組を放送したCBSの判断こそ不適切だとわたしは考える――その話はこの選挙とは関わりがない。

Sinclairのドキュメンタリーはまだ見ていないが(どころか実際に完成したのかどうかさえ矛盾した情報があるが)、説明によれば、内容としてはCBSが実際に放送した番組により近く(視点は異なるが)、CBSが「不適切」として放送しなかった番組から遠い。よってわたしがこれまで主張してきた原則から考えれば、わたしはSinclairの決定を批判するということになるだろう。実際の番組内容によっては考えを変えるかもしれないとしても、恐らくは。

Sinclairの判断を法的な観点から批判するものは多い。かれらはFCCを呼び出して放送を中止させようとした――いかなる政府組織にとっても極めて重大な決定であり(憲法修正一条[言論・出版の自由]を理由に票の数え直しを中止するのとほとんど同じくらい馬鹿げている)――FCC長官Powellは修正一条を理由に放送の差し止めを拒否している

New York TimesがKerryを支持したからといって、あるいはWall Street JournalがBushを支持したからといって、言論の自由に関わる問題だとは誰も思わない。そしてSinclairとそれらの新聞社の違いは程度の違いにすぎないと主張するものもいるだろう。

だが、程度の違いはやがて種類の違いとなる。発言者の力が政府に支えられた独占に基づく場合は特にだ。Sinclairの放送者としての権力は、技術音痴が「スペクトラム」と呼ぶものへの排他的権利を政府から与えられていることによる。誰が発言の権利をもつか支配する力のまったく馬鹿げた(そして憲法上不当な)下げ渡しは、the New YorkerのJames Surowieckiが今週号で見事に描き出しているように、当然のごとく続けられてゆく。それはまた常に憲法修正一条を巡るユニークな問題を生んできた。

新聞社に適用される修正一条の解釈が放送局に適用された場合を分析する立場となる人々には同情する。とはいえわたしは、友人たちの一部ほどには、大統領選を前にどの言論がテレビ放送を許されるかFCCが判断することを歓迎したいとは思わない。

ここまでは耳慣れた話だ。

だが目新しいのは、Sinclairも逃れることができない別の種類の「規制」だ。それは市場による「規制」であり、Sinclairの株主たちが確実に起こすであろう訴訟で強められている。

Sinclairグループの株価は先週10%下落した。時価総額で6000万ドルを失ったことになる。Josh Marshallのサイトには、Sinclairの決定をビジネスの観点から批判したLehman Brothersによるメモの良い抜粋がある。
この下落の一部には、Kerryが勝った場合にSinclairがどんな目に遭うかという計算が働いたことは間違いない。だが同時に、企業によるこのような党派的行動に対する大規模な市民的反応の結果という要素も考えられるだろう。Sinclairへの圧力を作りだしているのはたとえば次のようなグループだ。

Boycottsbg.com
SinclairWatch.org
MediaMatters.org

憲法修正一条とは、あなたの発言を誰もが気に入らなければならないという意味ではない。また発言を理由とした不買運動や広告の引き揚げから守ってくれるものでもない。修正一条が意味するのは、政府は発言を理由にあなたを罰してはならないということだけだ(少なくともそうあるべきだ。「品位に欠けた」表現への処罰は行われているとしても)。

だが、言論の自由とは憲法修正一条に書かれている以上のものだ。そして人の(あるいは企業の)発言に対するこのような「罰」にまったくなんの抵抗も感じないといえば嘘になる。こうした市場による罰の擁護を試みるとすればこうなるだろう:CBSのような「メインストリーム」の放送者さえ、あきらかに戦争と関連するストーリーの放送を「選挙にあまりにも近い」という理由で断念する世界では、あるいはまたNBCが、政治的論争から「中立」であろうと『meet the press』の映像のライセンスを拒否するような状況にあっては、集権化された大きな権力をもつ右派のネットワークが、その力を利用して選挙の行方を左右しようと試みることは間違いである。もしわれわれが政府を後ろ盾とした放送の独占を解体させることができたなら、そして放送者の文化一般を変えることができたならば、わたしもSinclairの行動になんの問題も感じないだろう。だが今、この文化のなかで、これほど投票に近い時点では、Sinclairの判断は見過ごしにはできない。またわたし個人としては、Sinclairが市場から「罰」を受けようと、あるいはそれが原告側弁護士からであってさえ、何の痛痒も感じるものではない。

[オリジナルポスト 10月16日午前11時05分]

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
運営事務局に問題を報告

最新ブログエントリー

個人情報保護方針
利用規約
訂正
広告について
運営会社