(Richard Posner判事によるゲストBlog)
ラリー・レッシグは最高裁のEldred裁判に負けたことでたびたび自分を鞭打っている。だが、かれは自分を責めるべきではない。これは数々の理由で勝ち目のない裁判だった(7−2という偏った結果が鍵だ)。確かに議会は「限られた期間」の著作権しか与える権限をもたないが、何が「限られて」いるかは見方の問題だ。仮にシェイクスピアの時代にソニー・ボノ著作権期間延長法があったとしても(まあ当時は著作権自体存在していなかったが)、シェイクスピアの没年は1616年であり、作品は1686年にはパブリックドメイン入りしていたことになる‐300年以上も昔の話だ。だからラリーは延長法の遡及的適用(既に与えられた著作権をさらに延長すること)に的を絞ったが、それは問題を「限られた期間」から逸らせてしまう――再延長された作品とて結局「限られた期間」しか延長されていないのだから。また「財産化」による社会的利益という側面‐所有者は自分の財産を保全するインセンティブを持つ‐を無視することになる。有料道路が「オープンアクセス」の高速道路より混み合わない理由であり、もし誰でも無料で彼を雇えるなら、哀れな老ミッキーマウスはいまよりなお「フリー」でなくなる理由だ。さらにまた、もし最高裁が延長法を無効としていたなら、議会は州政府に著作権を交付する権限を認めることで復讐していたかもしれない。望むなら永遠の著作権でもよい‐1976年までほとんどの未公開作品に認められていたことだ。
とはいえ、ソニー・ボノ法そしてエルドレッド判決の最終的な影響はおそらく悪いものだろう。だが最悪の影響は実に容易に回避することが可能だ。続きは次回。
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