Jerry Lobdillはこの興味深い物語で、いまや規制されているひとつのリミックス文化について語っている。
これはフラメンコと呼ばれるアートがどのようなものか――だったか――という話だ。ここでは特にギターについて話している。フラメンコの起源は歴史の靄のむこうに失われているが、すくなくとも1700年代、おそらくはそれ以前にまで遡ることができる。現在では、繰り返されるリズムパターン(「コンパス」と呼ぶ)、旋法(長調、単調、フリジアン)、また特徴的な解決フレーズやその他の音楽的特色によって区分される40種類以上の曲種が存在している。
わたしは47年間にわたってフラメンコ・ギターを弾いてきた。わたしが学んでいたころに演奏されていた曲種は、古くは1905年前後に登場した少数の名人たちにまで遡ることができた。フラメンコ・ギターの曲はどれも特徴的なメロディの部分と、それをあいだに挟む多かれ少なかれ標準的なリズム部分の組み合わせで構成される。メロディの部分は「ファルセータ」と呼ばれる。それぞれのパートは奏者の好む順序で演奏され、ギター奏者は演奏のないときに新しいファルセータの考案や既存のものの改変を試みる。大抵の奏者はかれらのファルセータの出自をある程度まで辿ることができるが、2・3世代より古い起源は通常あきらかではない。
伝説では、偉大なフラメンコ・ギタリストたちは演奏中に即興でファルセータを生みだしたとされている。これは荒唐無稽な話だ。だが実際ほとんどのギタリストは楽譜を読むことを知らず、いかなる方法でもファルセータを紙の上に記録しようとはしなかった。
カンテ(歌)においても、詩(レトラ)とメロディの多くは創案者の名と結びつけられるものの、一般に非常に古くから伝えられてきたものだ。
1950年代を通じて、演奏者たちは曲の大部分を伝統のままに、そのなかでより小さなイノベーションを付け加えることを期待されてきた。ひとつのレコーディングから次への間で演奏家のファルセータが変化することはあまりなく、事実かれらは好みのファルセータを何年間でも演奏し続けた。
だが、レコード業界の権力者たちが関わりはじめてからはすべてが変わった。
現在では、レコード会社は録音されたあらゆるものに著作権を主張している。レコードに含まれる、大昔から演奏されてきた伝統的な部分に対してさえもだ。Paco de Luciaのようなギタリストはつねに以前と違うものを作るように追い立てられ、現代のこの環境でもっとも困難を感ずるのは新しい素材を創案することだと公に認めている。しかしその新作でさえ(最近の彼が主に演奏する貶められ水増しされた代物ではなく、本物のフラメンコであっても)、はるか昔から伝わる作者不明の伝統的な解決フレーズやリズム部分を含んでいる。近年のスペインの著作権は正気を失い、新しいものと一緒にパブリックドメインまでも封じ込めてしまっている。
わたしは伝説的なフラメンコ・ギター音楽を記録した写本を数多く所有しているが、著作権法の悪用と暴政のおかげで、それらが公表されることは決してないだろう。スペイン以外の大部分のフラメンコ・ギター奏者と同様、わたしは自分にとってもっとも素晴らしいと思えるものを演奏する。このアートが商業化される以前にはスペインのアーティストたちもそうしていたように。これらの音楽が世界の人々の喜びのために公表されることが決してないのは悲しいことだ。
(参照:「単純なこと」)
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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