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フリーカルチャーと音楽の未来 1:中傷と個人攻撃

2004/05/07 07:00
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lessig

「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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(Siva Vaidhyanathan教授によるゲストBlog)

フリーカルチャー運動と、運動にその名を与えた本の影響力はどれくらいだろう? 知る方法のひとつは、抵抗の激しさを測ってみることだ。

著作権の極大化を押し進めてきた者たちは、過去十余年のあいだ、公衆による審議はおろか真剣な注目といった不便さえ被らずにきた。

公共の利益の側は、最近になるまでこの問題に対する語彙を、行動の計画を、そして書誌を欠いていた。また議会へ働きかけるロビーも声をあげる投票者層もなかった。だからこそ、要許可(と支払い)の文化を追求する最大化主義者/マキシマリストたちは、文化の完全な私有化という企てはだれが何を言おうと妨げられないと知り、劇的な変化がつづいたこの年月を笑顔で送ってこれたのだ。

今になるまでは。いま最大化主義者たちはパニックに陥っている。かれらの戦術と度を超した行為には至るところで抗議の声があがっている。人々は懸かっている価値やこの問題の展開についての本を読み始め、民主主義と創造的経済が依って立つさまざまなシンボル、言葉、アイデアを自由にするための戦略について学びはじめている。

わたしにこう言えるのは、追い込まれた極大化主義者たちが悪意に満ちた個人攻撃を始めているからだ。

日曜日、わたしはラガーディア空港からワシントンのナショナル・エアポート(本当の名前ではない)行きのデルタ航空機へ搭乗した。ところで、この空港の本当の名前に関する面白い話を知りたければ(ヒント:サダム・フセインの化学兵器計画に資金と助力を提供した大統領にちなんだ名前だ)、木曜に公開されるopenDemocracyのわたしのコラムをチェックすること。ともかく、機内での話に戻ろう。

席に落ち着くとすぐ、ひとりの紳士がわたしの隣に座った。かれが毎年開催されるFuture of Music Coalition政策サミットの日程表を読んでいたので、わたしは「おなじ会議に出るようですね」と声をかけ自己紹介した。かれも自己紹介し、サミットに出席するのは今回が初めてだと告げた。かれが働いているのは……いや、かれはとても感じのよい、聡明な人物だったし、まったく善意にあふれていたから、人物が特定されるようなことにはしたくない。かれは文化を封じ込め、著作権の極大化に励む企業のために働いていた。われわれは話しはじめ、わたしはもちろん、最近どの会話でも(Blogエントリーでも)やっているように、臆面もなく新刊The Anarchist in the Libraryを宣伝した。かれは本の評判を尋ねた。前作に続いて、ローレンス・レッシグのもっと高名な本のおかげでうまくいっている、とわたしは答えた。

「レッシグ? ちょっといかれた男だろう?」

「あー、いや、そんなことはないよ」わたしは答えた。「実際にはとても理性的な人物だ」。このページのトップにある写真を見てみよう。「ボタンダウン(を着るようなコンサバティブな)」ではこの優れた教授を形容するには足りない。レッシグは過激なまでに理性的で、極端なほどの中庸派だ。

わたしはかれに、レッシグは著作権の仕組みを強く支持しており、それが社会の信頼と民間投資を生み、文化マーケットへの低コストの参加を可能にしていることを深く信じていると説明した。あきらかに、絶対的な著作権以外のことを口にするのは、著作権の完全な廃止を主張するものだけだという曲解が存在しているのだ。

人生のどんな面も、こうした悪意による二極化から逃れられないのだろうか?

ひょっとすると、わたしは本を実際に読んでから批評するようなタイプとばかり付き合いすぎなのかもしれない。だからこのやりとりには少々驚かされた。これまでレッシグやわたしに反対する意見を持つ多くの人と話し合ってきたが、われわれの真剣さや誠実さ、あるいは正気を貶めるような人物はめったにいなかった。

その紳士――前述の通り、礼儀正しく知的な人物――は、彼のコメントが多少の不快感を与えたことを察した。かれがレッシグや自由な文化を求める動きを習慣的に馬鹿にするような人々と長い時間を過ごしていることは明らかだったから、わたしは自分を抑えることにした。かれはレッシグの書いたものは何一つ読んだことがないと認め、われわれは会議の日程について話し合いをつづけた。かれはわたしの2つのセッション――どちらも著作権に関連している――に興味を示した。その後の2日間で、かれが単に雇い主によって誤った情報を与えられていただけだとますますはっきりした。

だが、他の人間からの中傷は続いた。会議では、絶対的な著作権保護以外の何かを主張する人間に対する侮辱をすくなくとも三人から耳にした。口汚い誹謗は驚くほど執拗に繰り返され、まるでKarl Roveその人が指揮しているかのようだった。悪意のある中傷は音楽産業に関する重要なメーリングリストでも繰り返された。一部の有名なミュージシャンが、著作権の極大化をまるでアーティストたちを分断する問題のように見せかけるメッセージを書くよう吹き込まれていたことは明らかだった。

この現象は悲しいことだ。音楽、技術、法律関係者の交流を進める非営利団体であるFuture of Music Coalitionは、現代の音楽クリエータをとりまく無数の問題について、常に活発で友好的な議論をはぐくんできた組織だからだ。これまでの会議でも意見を異にする人々に出会ったが、わたしはほとんど常にかれらの仕事と立場により深い敬意を抱くようになった。今年の会議でもそうした真摯でオープンな議論が主流を占めていたが、一部のグループの間には確実にパニックの気配が感じられた。

われわれの声がついに伝わったのだ。かれらは恐れている。

次回:デジタル流通システムとアーティストへの報酬について

――Siva Vaidhyanathan

[オリジナルポスト 5月4日午後7時10分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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