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Pingの議論について

2004/02/24 12:23
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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先週コメントする時間がないままPingのページについて触れた。Pingと友人が交わした議論[和訳]についてはわたしのページに、それ以上にPingのところにとてもよいコメントや批評が寄せられている。これからその一部に答えるが、上のリンク先を読むべきだ。以下に続くものよりもずっと豊かな議論がされている。

まず最初に、クリエイティブコモンズの目的を明確にしておこう。Eric Eldredがこの問題に目を向けさせてくれたとき、われわれはどんな解決策も3つの条件を満たしていなければならないと判断した。

(1) シンプルにすること:創造的活動の95%にとって、著作権法はありえないほど高くつくシステムだ。それでもこの法律の書かれ方と、ますます増えつつある使われ方によって、そのありえないほど高価なシステムがすべてに適用されている。よってわれわれの第一にして最大の目的は、この法律のコストを下げること――弁護士を雇うことなく、人々がそれぞれの選択を効果的に伝えられるようにすることだ。

(2) 機械可読であること:人々がその選択をシンプルに表明できるようにする一方で、それを処理するシステムの負担を増やさないことも保証しなければならない。別の言い方をすれば:「テキストは不便、法律テキストはもっと不便」。もっとも望まれないのは、ウェブサイトのプライバシー方針ページのようなものがあらゆるコンテンツに付いてくることだ。そうではなく、われわれは機械可読でないライセンスはそれだけで悪だと信じている。

(3) 信頼できること:最後に、だれにとっても信頼できるシステムでなければならない。だれにとってもとは、営利も非営利も含むということだ。当然のことだが(思い出してほしいが、かつてはRIAA[米レコード協会]が12歳の少女を訴えるはずがないのも当然とされていた)、ウェブサイトにある画像を使用したからといって、訴訟を恐れなければならない場合がそう多くあるわけではない。それでも、もし他者が築いたものの上に容易に、安心して築いてゆける世界を望むなら、それも今日の誰も想像できないようなやり方でそれが可能になる世界を望むなら、大仰に思えても抜かりないライセンスが法的な不確実性や不安を抑えるはずだ。

1行で:CCの目的は、人間にも機械にも読め、法的にも尊重される方法で、コンテンツにさまざまな自由の印をつけるためのシンプルな取り決めをサポートすること。

では以上のことを踏まえて、Pingの議論から発展したコメントに答えてみよう。

(小文字で)nateは非常に重要な指摘をしている。CCのような仕組みを利用することの意味とは何なのか? それはほんとうに留守番の約束(「部屋は好きにつかっていいけど、猫には餌をやること」)のような気軽な関係を、厳格な法的関係に置き換えてしまうということなのだろうか。

そうではない。一度わたしの契約法のクラスを受けに来るといい。授業の多くの部分は、“法律的な”ルールの及ぶ範囲を抑え、かわりに規範に基づいたルールを保つべき場合についてだ。

だが、nateの次のような発言には、(わたしには誤りと思える)重大な仮定が含まれている:「小規模な個人ユーザーが求めているのはもっとずっと気軽な解決方法だ。たとえば“Copyright 2004, 商利用は要許諾”と1行書き足すような」。ここで暗黙の前提とされているのは、このような「気軽な解決方法」が「解決」でありうるという主張だ。著作権法が変わらない限り、そう考えられる理由はない。よって、このような「解決策」は条件(3)の信頼性を満たせない。また条件(2)も無理だろう――これは機械可読ではない。さらに、「法的に完璧を期した大げさな契約文書を作ることに集中するかわりに、訴えられるかもしれないという人々の不安を軽減させるべきだ」という発言は、前者なしに後者を達成できるという前提に立っている。われわれも検討したが、現在の法律の下でそれが可能だとは思えない。

PingはCCライセンスへの改変をいくつか提案している。そのひとつ(わたしも賛成だが、CCの他のメンバーに(もっともな理由で)却下されたもの)は、CCライセンスにさまざまな有効期限を追加するオプションだ。例えば、このライセンスはXまで有効、またはこの日から制限Xは消滅、またこの日以降、作品はパブリックドメインに入る、など。

有効期限のアイデアには賛成しているし、いずれCCに組み込むことができると思っている。(わたしは特に、「限られた期間」ではない永遠のライセンスはおかしいと思う人間だ)。だがわたしがこのアイデアに賛成するのは、機械可読な方法で実現できると考えているからだ。(注:(Tim O'Reillyのアイデアから生まれた)創設者の著作権[Founders' Copyright]は、乱暴なやり方だが(本物の)限られた期間のあとで作品をパブリックドメインにできる方法を提供している)。

しかしこれらの変更と、「著作者が独自に設定する条件」や「任意の条件を追加できる空欄」を用意することとは大きく違う。どちらも条件(2)――機械可読性をクリアできない。ライセンスを理解するために、あらためてテキストを読まなければならないとすれば、条件(2)の目的は果たせないだろう。

これが、根本の部分でわたしがNoiseに強く異を唱える点だ。ひとりの弁護士として、もちろんわたしは人々が自分でライセンスを作るという考えに惹かれる。また法学教授として、人々が法の働きについてもっと学ぼうとするという考えはとても魅力的だ。だがそれでも、著作権の法律はあまりにも複雑であり、多くの時間が無駄に費やされるとわたしは思う。そして仮に素人が法的に有効で実用的なライセンスを作成することができるとしても(これに関しては、わたし自身も素人のひとりだと思っている――われわれは一流法律事務所の一流のライセンス作成専門家たちに頼っている)、そのNoiseの世界でも問題となるのは、一言でいえば、ノイズだ。Noiseが理想とする世界は条件(3)をクリアできない。もしページを訪れるたびに、そのコンテンツで何ができるのか知るためにライセンスを精読しなければならないとすれば、それは著作権の法律が課す重荷に対する「解決策」とはいえない。

最終的には、Thienが正しければと願っている。われわれはCCの仕組みをクリエータたちの要望に合わせようと努力している。ライセンスにバージョンを付け、新しい選択肢を追加しているが、すべて3つの条件――(1) シンプル、(2) 機械可読、(3) 信頼できる――をクリアすることが必要だ。もしそれができれば、また同時にプロジェクトを十分に国際化することができたならば、そのときこそクリエータが作品と共に送り出したい自由を表明する簡単な方法ができたといえるだろう。

それがあらゆる人々にとって充分だと言い切れないのも確かだ。だが「あらゆる人々」が目標ではないのだ。コントロール狂たちの「all rights reserved」な世界は却下するが、にわか法律家になるより他にもっとやることがある人々――それが対象だ。

最後にOyezについて:多くの人がOyezのCCライセンスに不満をもっていることは知っている。わたしはこれをこちらで説明したと同様の例だと考えている。実際、デジタル化によって別の著作権が発生すると考えるものは多い。CCライセンスで公開することによって、Oyezはそうした疑問を取り除いている。わたし自身はもっとシンプルなattributionライセンスの方を好むが、法的な不確実性を取り除くことによる利益は商利用の制限に値すると思える。

この議論を始めてくれたことについて、PingとNoiseにもう一度感謝したい。

[オリジナルポスト 2月22日午後5時08分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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