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「憲法修正一条を忘れている」という指摘について

2004/02/09 14:38
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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Mr. Naderへの批判のなかで、わたしが「憲法の修正第1条を忘れている」とAaronは考えているようだ[修正1条は信教・言論・出版・集会の自由および政府への請願権]。もちろんそんなことはないが、理由を以下に説明してみよう。

まず「修正第1条」について。Aaronがそのつもりだとは思わないが、憲法修正1条の意味についてはつまらない誤解がよくある。GNU GPLは違憲だというSCOの誤解と同様、それは憲法の役割に対する単純な取り違えにすぎない。政府ではなく私人がだれかに向かって大統領選に出馬しないようにと告げても「修正第1条」の違反にはならない。

Aaronの動機はもっと微妙な点にあるように思える。言論の自由を尊重することと、誰かの言論またはそれを象徴する行動を批判することがなぜだか矛盾している――すなわち、大統領選出馬というNaderの「言論」を批判するわたしは、「修正第1条を忘れている」のではないかという点だ。

だが、わたしは言論の自由についてのこうした“endless-love”的な見方を正しいとは思わない。そもそも言論の自由が必要なのは、他者の言論についてそれが間違いだとか有害だとかあるいはその両方だといえるように(例えばわたしの書いたものに対するほとんどのコメントのように)、そして批判された側がその意見を受けいれるかどうか決められるようにするためだ。「言論の自由」は、他人の意見は認めねばならないという意味では決してないし、また他人の意見を批判してはならないという意味でもない。そのような考え方は言論の自由の概念――行動や発言について、議論を通じて理解しあうこと――そのものを貶めるものだ。

だから誰か、たとえばthe Nationが、Naderに向かって「大統領選にはでないでくれ、益より害のほうが多いのだから」といったとき、言論の自由の価値を尊重する対応は批判者を批判することではない(Naderはこの皮肉に気づいていないのだろうか?)。かわりに、なぜその批判が間違っているのか説明することだ。Naderはかれの出馬がそうしないことよりも多くの善をなすとほんとうに信じているのだろうか? もしそうなら、かれはその理由を説明すべきだ。あるいは害のほうが大きいと分かっていて、それでもとにかく出馬しなければならないと考えているのなら、それも説明すべきだ。この「すべき」とは、そうしなければ国家の法律によって罰せられるという意味ではない(それは間違いなく修正1条違反だ)。そうではなく、もし自分がなんらかの敬意に値すると思っているなら、かれもまたおなじ敬意を他者に対して示すべきだという意味だ。

[オリジナルポスト 2月5日午後6時30分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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