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エドワーズ候補の『Four Trials』

2003/12/18 11:40
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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これまで大統領選候補の著書を読んだことは恐らくないので、わたしはこの分野に関して何も知らないとあらかじめ告白しておく。だがこの本の前提がどうにもありえないことに思えたために、Edwardsの『Four Trials』を読んでみたくなった。今日のアメリカで、法廷弁護士としての人生について語ることが選挙に有利だなどとなぜ思えるのだろうか?

法廷弁護士がいかに重要な存在か示すことが困難だというわけではない。それは明らかだ。われわれの法システムは破綻しているとだれもが思っている。それは事実だが、理由は一般に信じられているようなものではない。マクドナルドのコーヒーを膝にこぼして財をなした億万長者たちの話は真実だと思われているし、慣例のように適用される懲罰的損害賠償が訴訟を宝くじより割りの良い賭にしていると信じられている。しかし司法省の1996年の統計によれば、民事訴訟にくだされた判決のうち懲罰的損害賠償を含むものはわずか3.3%に過ぎず、賠償金額の中央値は4万ドルだ(判事による場合では7万5000ドル、陪審員による場合は2万7000ドルに過ぎない)。現実には、われわれの法システムが犠牲者に与えるのは、かれらが他人の過失によって被った被害のうちごくわずかな部分でしかない。そしてこの傾向は悪化するばかりだ。

だが、あなたがたが信じていることは真実ではないと人々に教えるのは選挙に勝つよい方法ではない。支持を得るためには、人々がすでに知っていると信じていることを結びつけることだ。それなのに、この本はその役割――候補者が大統領に選出される手助け――をどうやって果たすというのだろう。そもそもの発想が間違っているのというのに?

実際には、これは裁判のシステムについての本ではない。それどころか、どんな“システム”についての本でもない。彼が(そして私が)信じる弁護士という仕事を正当化しようという試みもなければ、あなたがたの(大半が)信じていることは間違いだと証明するための山ほどの統計もない。かわりにあるのは、被害者を顧みないことに努めているかのようなシステムのなかで、この1人の地方弁護士によって助けられた人々についての4つの物語だ。残念ながら正しい側が有利とはいえないゲームでの、4つの勝利が語られている。

読み進むことはたやすく、また心動かされる。彼は子育てについて、毎週夕食の席で彼がいま取り組んでいる仕事について子供たちに話して聞かせていたと書く。この本の4つのエピソードもまた夕食の席で語られる物語のようだ。まれに夕食の席が政治スピーチの場のようにぎこちなく感じられる瞬間もあるものの、ほとんどの部分では、まだ正義は実現されうるのだということを、ただ説明するのではなく力強く描き出している。どれほどまれなことであっても、すくなくともこの4つのエピソードにおいては。

これは信念を持つ人物の話だが、理論家の話ではない。わたしはここに語られる物語を読み、これほどの苦痛をもたらすシステムへの強い怒りをおぼえた。彼はシステムへの疑問を隠すことなく、そこから引き出すことができる善を称える。彼の心の中では多くの問いが渦巻いていることだろう。だがこれは立ち止まって疑問を唱えている余裕などない人生についての話だ。ここには怒りと苛立ちがあるが、描かれるのは与えられた条件のなかで善を求めて努力する姿であり、行動で示される理想主義だ。

こうした勝利が実際にはどれほどの割合なのか、また彼がすべての事例にここまで個人的に取り組むのかどうかは読みとることができない。そして大統領候補という立場で保つことは不可能とも思えるプライバシーと誠実さのために、彼の物語のうちもっとも痛々しく胸を打つものはごくわずかしか触れられることがない。事実、それは4つの主要なエピソードの1つですらない。

この本のいたるところで、読者はEdwardsの息子Wade――1996年4月に交通事故で亡くなった長男――への追憶を感じることができる。他のすべてのエピソードは詳細に、Edwardsの回想と共に書かれるが、この出来事だけが別だ。他のすべての物語では不公正なシステムのなかで勝ち取られた正義が描かれるが、これだけは例外だ。わたしはわずか三カ月の息子の父として、このような喪失を体験するとはどのようなことなのか想像することすらできない。そのような体験のあと、どう生きてゆけるのか考えることもできない。この出来事についてごくわずかにふれた後、Edwardsはすぐに次のエピソードへ、4つの物語のうち最後のひとつへと筆を進めるが、それはこの体験が彼にとってすこしでも重要でないからではない。おそらくそれが彼の個人的な体験であって、われわれのものではないからだ。この候補者がいかに若くとも、彼はジェリー・スプリンガー世代のひとりではない。彼は、そしてわれわれは、もっとましな人間だ。

わたしは他の候補者の著書も読むべきだろうし、少なくとも何冊かは読むつもりだ。そしてもちろん、この候補者には熱烈な支持に値するあらゆる理由があるにもかかわらず、それがまだ大きな動きには至っていないことは承知している。PAC[献金をおこなうために組織される政治活動団体]からの献金を拒否する上院議員であり、慎重で実際的な政策を要とする選挙運動を展開し、工場労働者の家に生まれ大統領を目指している人物には、いま以上の支持があってもおかしくないにも関わらずだ。

わたしが懐疑的なのは彼自身に対してではなく、彼の選挙キャンペーンに対してだ。この本はその完璧な例だ。Edwardsは人々を驚かせ続けるごくまれな政治家の1人であり、彼について知れば知るほど、想像は最良の形で裏切られることになる。だが彼についてより多くを知るためには、現代の選挙キャンペーンを支配する30秒の宣伝以上の何かが必要だ。この本はその何かになることができるにもかかわらず、Amazonでは3000位台に留まり、キャンペーン支持者への贈り物として配られている。

支持者たちではなく懐疑的な人々にこそ、この本は読まれなければならない。そして懐疑的な人々の心に届くためには、従来とは別の方法が必要だ。Dean候補はインターネットを通じて広がる力強いメッセージのなかにそれを発見した。Edwardsもまた彼自身の物語のための方法を見つけだす必要がある。

作家Cory Doctorowは著書を買ってもらうための方法――フリーなダウンロードを可能にして、人々が気軽に試せるようにする――を見いだした。目的はより多くの本を売ることであって大統領に選ばれることではないが、彼はたしかに成功した。大統領選の候補者たちはこれに興味を持つはずだ。だがEdwardsの慎重なキャンペーンは、この小さなイノベーションさえ試してみることができない。そしてこの候補者の物語とキャラクターは人に知られないままだ。

政治はSmucker'sの法則(「こんな名前の店は却っておいしいに違いない」)の逆のようなものに支配されている。つまり、「これほど弁舌に優れ、見た目もよい政治家は見せかけだけに違いない」という考え方だ。だがどちらの場合でも重要なのは、人々が本当のことを知る機会を用意することだ。Edwardsのキャンペーンは、より多くのひとびとにこの候補者の本当の姿を伝える必要がある。

[オリジナルポスト 12月16日午前6時20分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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