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ヒューマン・サーチャー

2007/07/14 18:50
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プロフィール

クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
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分からないことはまず誰に聞く?
少し前にaboutmeへ「分からないことはまず誰に聞く?」という質問を投げておいた。しばらく放っておいたのだが、先日久しぶりに眺めてみたら、70%前後の人が「Google先生」と回答していた。そもそもaboutme自体がPCベースのサービスだというバイアスはあるにせよ、Googleをはじめとする検索エンジンはすでに人間の知識の一翼を担いつつあると思わせる結果だった。

Googleの台頭が「人間の記憶」の価値を低下させた、とよく言われる。人間に必要な情報はすべて検索エンジンの側にあり、頭の中に情報を蓄えている意味はもはやない。大事なのは、検索エンジンに蓄積された情報を引き出すために検索のクエリをどう入力するのか、つまり「探す技術」ということだ。

確かに、検索エンジンという「システム」の中に情報が集約されている以上、それを使いこなすためにはそのシステムのアルゴリズムを理解することが大事である。そのこと自体は検索エンジンは限らず、たとえば図書館でお目当ての本を探すには、書名目録や件名目録を使いこなさなければならないのと同じことだ。あるいはサーチャーという資格試験が以前から存在している所以でもある。

ジャングル、オフィス、家庭の食卓
そうした「探す技術」が価値を持つには、いくつかの前提がある。たとえばシステムの中に情報が必ず集約され埋め込まれていること、またそのシステムが高い網羅性を有していること、等々。すなわち、Google先生とお話しできるという価値は、Googleが先生として崇められることではじめて成立する、というようなことである。

もう少し一般化すれば、その世界を制度化しているシステムを使いこなせることの価値が高い、ということだ。たとえばジャングルで生死を賭けてサバイバルするとき。あるいはオフィスの一角でクライアントの重要情報が記載された書類をキャビネットの中から探し出すとき。こうした場面では、どこにいつ頃行けば獲物が得やすいか、その書類を最後に誰が扱ったか、ということを考えられる経験や情報の有無が重要となる。

あるいは対象となる世界が明示的にシステム化されていなければ、そもそもアルゴリズムは存在しない(か定形化されていない)。たとえばあなたの家の食卓で、「このサラダに合う調味料をちょうだい」と子供から問われた時、あなたはこれまでの記憶や経験を総動員して、この子が好きなのは塩なのかドレッシングなのかマヨネーズなのか、を考えて選ぶだろう。

Googleセントリック
Google自身の「全世界の1%しか検索対象にできていない」という類の言葉を待つまでもなく、こうした世界は相変わらず多い。そしてそこでは、TPOに応じてすぐ引き出せるアクセシビリティの高い記憶は、検索エンジンよりも価値が高い。それは、リアルタイム性やコンテクストとの整合性、あるいは類推性に富んでいるからだ。さらに、人間にとって価値は他者との関係によって規定されると考えるなら、会話の場面で必要としている(らしい)情報がパッと出てくることで、相手にとっての自分の価値は大いに上がる。

こう考えると、検索エンジンにもまだまだやるべきことは山積しているのだろう。やはり彼らは、人間の記憶や行動の複雑さに対して、現状ではまだ勝負にならない。ゆえに、たとえば非同期の環境(リアルタイムの価値が低下)や汎用的な環境(コミュニケーションにおけるコンテクストの希薄化)など、検索エンジンにとって有利な状況を作り出すという「裏をかく」必要がある。

おそらくGoogleはそういう戦略を最も先鋭的に進めているのだろう。すなわち、検索エンジンという「情報を集中的に集積したシステム」に都合がいいようユーザの側を最適化する、つまりGoogleセントリックということだ。SaaSで提供されるアプリケーションは言うに及ばず、Google Gearsにしてもどこかのタイミングでサーバと同期することが前提となる。そして少なからず人々がそれを利用している現在、その戦略は一応うまくいっているように見える。

ヒューマン・セントリックという「裏の裏」
とはいえ、数多の検索エンジンが、Googleと同じ「裏をかく」という戦略を今から取ったところで、彼らにはかなわないだろう。そこは先発の優位性であり、ネットワーク外部性であり、規模の経済であり…とあれこれ説明できようが、一言で言えば「今さら」ということである。そして現状のスナップショットとしては、その「今さら」の前に挫けるその他、というような風景に見えなくもない。

だとすると、今後登場する情報システムは、Googleとは異なるアプローチを取るべきなのだろう。特に、いみじくも検索エンジンが「知りたい情報にアクセスできること」自体の価値を多くの人にもたらしたことで、むしろ「記憶」の価値が相対的に高まっているようにも思える。分からないことが分かる素晴らしさを体験したことで、分からないことを知っている(説明できる)人の価値がしみじみ分かった、ということだ。Googleも存在し、かつ人間本来の価値が再発見されるなかで、柳の下に泥鰌はもういない。

ならば「裏の裏」で、ヒューマン・セントリックの考え方がものをいうはずだ。この分野は端末やインターフェースが重要なので、単なる技術開発より複雑な領域でもある。すでにモバイルがその端緒を開いているが、iPhoneを含め、現状のモバイルでさえまだマシン・セントリックである。たとえば、価値ある記憶を有する人の「語り」をトリガーに、関連した映像や音楽をリアルタイムに引っ張り出してくれるような、そんな人間に寄り添ったシステムがあっていいはずだ。

ぐるっと回って冒頭のaboutmeに戻ると、いつのまにか性別や世代別でクロス集計できるようになっていた。そこであれこれ見ていると、全体では70%だった「Google先生」という回答が、

・10代で10%強(友達、家族の方が多い)
・40代で40%強(詳しそうな人と同じ)
・女性は50%強(男性は80%弱)

とばらついていた(反対に20代、30代では圧倒的にGoogle先生が強いようだ)。特に世代別は母数が少ないし、統計的有意も検証しづらいのだが、このあたりに何かヒントが隠れているような気がしている。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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