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世の中はでたらめな仕組みで動いている

2005/07/15 07:03
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kondo

人力検索やダイアリー、アンテナなどユニークなサービスでおなじみの「はてな」。そんなはてなを率いる近藤淳也氏が、ネットのコミュニティやサービスのあり方について独自の視点で切り取ります(このブログの更新は2006年2月9日で終了しました)。
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はてなはよく「変な会社」と言われます。社内の会議の様子を音声ファイルでラジオのように毎日配布したり、合宿でサービスを開発したり、ユーザーとの対話からサービスを改善するためにアイデアの取引を行う市場を用意していたり、とあまり聞き慣れないような取り組みをあれこれやっています。

このブログでは恐らくそういうはてななりの取り組みとその背景についてご紹介していくことになると思うのですが、その前に、なぜそんなに「変な会社」になってしまったのか考えてみたいと思います。

僕はなぜか、「世の中は誰かが適当に作ったとんでもなくでたらめな仕組みで動いている」という世界観を持っています。「世の中は遠い過去からこれまで人類の英知が作り上げてきた精巧な仕組みで動いていて、現時点での最適解になっている」などとは到底思えないのです。

ですので、誰もが当然と思って使っている仕組みや環境に対しても、常に「本当にこれがベストなんだろうか」と疑ってしまい、ついつい違う方法を試してみては失敗し、「なんだかんだ言ってこの仕組みはよく考えられて作られているんだなあ」と知って元に戻ってくる、という事を繰り返している気がします。

なぜこんな天邪鬼で非効率で困難な世界観を持ってしまったのでしょうか。

これには多分に子供の頃の体験が関係していると思います。僕の父親はよく「街づくりはもっとこうなればいいのに」とか、「政治家はあんなことをやっていちゃ駄目だ」みたいな事を言っていました。それでこの世の中は随分いいかげんに動いているんだなあと思ったのだと思いますが、それを裏付ける体験もまたあったのだと思います。

例えば毎日の遊び。実家は田舎で、小学校の時は毎日日が暮れるまで遊び続けていたのですが、なにせ田舎ですので何もありません。広い田んぼや森、川などが遊ぶ場所で、何をして遊ぶかは毎日考えなければいけないという環境です。

例えばグラウンドで野球をやるにしても、野球が正式なルール通りに行われる事など一度もありません。もちろん正確なルールは知っているわけですが、例えば子供が10人しかいなければ5人対5人の試合になり、そうするとピッチャー+内野2人+外野2人、みたいな守備フォーメーションになり、キャッチャーは打撃側がやってよね、となります。さらに人数が少なくなって5人とかになると、もはやチームに分けるよりもピッチャー、バッター、キャッチャー、守備2人みたいな構成になって、10本ヒットを打ったらぐるぐる交代して行こう、ベースなんていらないや、となり、野球が始まってからも、ライトにあまりボールがいかなければ、外野は1人でいいから内野を3人にしよう、となるわけです。

こういうことを毎日繰り返していて学ぶことは、ルールなんていうのはたくさんある中の単なる1つの可能性に過ぎないということです。それはそもそも変更されるためにあり、毎回再定義をしなければまったく面白くないということです。ルールはハックするから面白くなるのです。

力量の揃った18人の選手が揃えば正式なルールのゲームも楽しいかもしれませんが、学年もばらばら、人数もばらばらという子供の遊びでは、ルールを作り変えなければ楽しく遊ぶことはできなかったのです。

ルールを作り変える時に一番重要視するのは、「たくさんの人がなるべく楽しめる」ことです。つまり、いつもみんながちゃんと楽しめるように、といういわば全体最適の問題を考えて頭を絞ることを毎日繰り返していたのです。(当時は勿論そんな意識は無くて夢中で遊んでいただけですが)。

遊びに大人がまったく介入しなかったのも良かったのだろうと思います。誰かの親父が入ってきて、毎日「よぉし、お父さんが君たちに野球を教えてあげよう」なんて言って高圧的にやり方やルールを押し付けてきていたら、多分違う結果になっていた気がします。

もう少し大人になると、ますます社会のルールはおかしいのじゃないかという確信を深めていきます。例えば中学校の制服。なぜか襟にプラスチック製の白いカラーがついた詰襟の服を毎日着なければいけません。成長期の汗をよくかく時期なのに、毎日同じ制服をろくに洗いもせずに着続けなければならない(耐えられないので首にタオルを巻いてました)。襟が少し短かったり、長かったりすることが格好良さの象徴で、先生は少し短い襟や長い襟のことを「いけない」と決め付けて取り締まる(長い襟は格好悪かったけど、短い襟はそれなりに良いと思いました)。しかも誰にどれだけ尋ねても、制服が必要な理由や短い襟がいけない理由を合理的に説明してくれません。合理的な理由が無いので、ルールがでたらめだ、という確信を深めざるを得ません。

なぜそんなことをやらなくちゃいけないのかさっぱり分からなかった僕は、生徒会長になって、生徒会の最初の会議で「校則を全部見直して変えてしまおう」と提案しました。校則を最初から順番に読んでいきながら、制服の項目に来たら「制服は要らないんじゃないかなあ」と提案したのですが、他の生徒会役員たちは「ぽかーん」として残念ながら全く反応がありませんでした(今でもその時の悲しい気持ちを良く覚えています)。

結局生徒会役員就任中には、「クラブ活動の前後であっても、登下校は制服で行わなければならない」というルールを、「クラブ活動用のジャージでの登下校も認める」という風に変えることができたのが精一杯だったのですが、こういう体験を通じて、「世の中はでたらめな仕組みで動いている」という確信を深めていった気がします。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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