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私には、英語コンプレックスがある。
米国で暮らすようになって三年が経ったけれども、いまだに思うように英語で話すことができない。むしろ、三年も経ってしまったのにこんなザマでどうしよう、という焦りからか、そのコンプレックスは肥大化を続ける一方である。
昔からそうだったわけではない。高校時代には普通科ではなく「国際科」と名のついたクラスに通い、カナダにホームステイなんかもして、試験でも一番いい点が稼げる得意科目が英語だった。むしろ、ちょっとばかり英語には自信があったほうなのである。
そのことは、私が幼い頃パソコン少年だったことと少し関係がある。当時から、コンピュータの世界の中心といえばアメリカだった。プログラミングをしていても、関数につけられた名前の英語のニュアンスがわからずに丸暗記せざるをえなかったのが、意味がわかってしまえばパァッと視界が開けて概念間のつながりや命名規則が見えるようになり、英語が母国語でないというだけで損をしてると感じることが何度となくあった。だから、中学校に入れば英語が学べるということで、たいそうワクワクしたものだった。英語だけは将来かならず役に立つだろうという予感があったのだ。
そんなこともあって、様々な経緯あっていよいよアメリカに、しかもパソコン少年の聖地シリコンバレーに行けるとなったときには、心から嬉しかったのは言うまでもない。アメリカにいけば英語もペラペラになるだろうな、一年ぐらいかな、二年ぐらいかな、なんて無邪気な期待に胸を踊らせていた。
ところが、である。アメリカで暮らし、アメリカ人と一緒に仕事をしているからといって、それだけで英語が流暢に話せるようになるわけではない。日々の生活や仕事に必要なコミュニケーションはできるようになっても、そのことと英語でのソーシャライズ、つまり親密な交友ができるということの間には無限の開きがある。
渡米して一年目ぐらいの頃は、まだ良かった。まだ英語に堪能でないのは当然のことと思えたし、「まだ日本から来たばかりなので」と外国人ヅラをしていればそれが免罪符として使えたのである。しかし、二年、三年と経つにつれ、次第に自分の学習カーブが鈍ってきたことを悟り、それまで想像もしなかったことであるが、英語に対して愛憎入り乱れた複雑な思いを抱くようになったのである。
そのようなことを一番実感するのは、パーティに招待されたときだ。とくに若くて頭のいい子たちが集まるスノッブなパーティはことさら苦痛だ。このあたりのアメリカ人は英語の不自由な外国人に慣れているから、真剣に話せばじっくり聞こうとしてはくれるのだけれど、自分たちが話すときには暗喩的なレトリックを多用しながらマシンガンのように言葉を発し、どんどん話題を切り替えていくから、聞いてるこっちは今何について言及しているのかよくわからなくなる。そうなると、気の利いたジョークのひとつでも挟もうにも、文脈がよく見えてないのでハズしてたらどうしよう、などとモタモタしているうちに口に出すタイミングを逃してしまう。そうやって、ああ、相手の心に刺さるようなことが言えていないな、自分の存在を認定してもらえてないな、というのがすぐにわかってしまう。ハイエクやアリストテレスの言ったことを引用しようにも、彼らの名前をどう発音するのかすらわからない。
仕事でつかう英語というのは目的がはっきりしているから、そのようなレトリックはそれほど重要ではない。相手のジョークがわからなければ、無粋でも堂々と聞き返せばいい。ちょっと恥ずかしくても、仕事が進むことが重要なのだと割り切ることができる。ところが、パーソナルな付き合いの場面ではそういうわけにはいかない。「日本語でなら伝えられるのに英語では伝えられないこと」のもどかしさに自分が情けなく感じられ、ストレスが溜まるばかりである。
それが逃げてはいけないストレスであることはわかっている。言語学習とは単語や文法ではなく文化まるごとの体得なのであるから、そうやって場数を踏むことだけが唯一の道である。しかし、結婚して二人で暮らしていることや元来の性分的なことなど色々に事情が重なって、その道から何度も足を踏み外し、今のようなていたらくなのである。いよいよ永住権でも申請してアメリカに根を下ろそうかと考えている今でも、英語ペラペラの見通しについては年々悲観的になっていく。アメリカに暮らすだけで英語がグングン上達するに違いないという当初の無邪気な期待はしゅるしゅるとしぼみ、このまま永遠に英語ペラペラの日はこないのではないか、というどす黒い不安ばかりが鬱積されていく。
実は、一歩退いて客観的にみれば、まったく上達していないというわけではない。とりわけ読み書きに関しては着実な成長を実感しているのだが、より難解な文章が読めるようになるにつれ、英語という言語の持つ奥深さに打たれ、知的な喜びがある一方で、同時にますます途方に暮れてしまうのだ。
よく考えてみれば、日本語でさえ、単に用件を伝えるということではない、知識人をうならせるような表現をすることは容易でない。日本語でさえ、文章では可能な精密な議論が対面ではできなかったり、口頭では伝えられるやわらかいニュアンスが書き言葉ではそげ落ちてしまう。日本語でさえ、口ごもったり、滑舌が悪くなったり、間を持たせられず、気まずい思いをすることは少なくない。だから、ガイコク語である英語で気まずい思いをすることは、理屈からいっても当たり前のことだ。そうやって自分を励ましてみたりもするのだが、そうした楽観的な解釈は「とはいえ、もう三年も住んでいるのに」の数字が増えていくにつれ、だんだん説得力を失っていく。
逃げたい。英語が話せないというハンデのあるこの世界から逃げ出してしまいたい。そういう妄想に駆られつつ、その逃げ帰る先であるところの日本語、自分にとって居心地のよい言説空間である日本語は、果たして本当に楽園なのだろうか、という板挟みにずいぶん苦しんでいた。まさにそんな頃だった。新潮の「日本語が亡びるとき」という長編の論考(単行本の冒頭三章にあたる)を読んだのである。
正直いって、最初このタイトルには惹かれなかった。水村美苗という作家のこともよく知らなかったし、よくある「上から目線の憂国論」や「英語礼賛」のたぐいなのではないか、という疑念がすぐに浮かんだ。まるでハンティントンにこてんぱんにやられたフランシス・フクヤマのような大袈裟なネーミングセンスには、心ある読者を遠ざける何かがあるように思われる。しかし、とはいえあの新潮の特別評論である。何か得るものがあるに違いない。
と、不承不承いったん読み始めると、すぐにページをめくる手が止まらなくなった。「12歳で父親の仕事で家族とともにニューヨークに渡り、それ以来ずっとアメリカにも英語にもなじめず、親が娘のためにともってきた日本語の古い小説ばかり読み日本に恋いこがれたまま、なんと20年もアメリカに居続けてしまった」という驚くべき経歴をもつ著者の体験した苦しみ、悩み、葛藤が赤裸々に語られ、いや赤裸々に語られるどころか、それを主軸としながらどんどん物語が展開していくのである。「アメリカと英語を避けるうちに、ご苦労さまなことに、大学、さらに大学院でフランス文学を専攻したりもした。さまざなま要因が重なってかくもわけのわからぬ人生を送るはめになってしまったのだが、そういう人生を送ってしまったという事実は、それに触れずには何も書けないほど、私のすべてを条件づけてしまった」という著者の語る言葉には、読む者を惹きつけて離さない磁場があった。
以前に「文字とメディアの文明史」という小論で、ヒトとサルを分かつものはゴシップとフィクションによる権力構造、平たくいえばウソで他者を洗脳する言語能力の獲得であると書いたことがある。このとき念頭にあったのはもちろんベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」で、これは国家の成立やナショナリズムという難解な概念を理解する上では避けて通れない古典であった。しかしこの著者は、多言語主義者であったアンダーソンの議論に対し、アンダーソン自身が英語を母語とする人間であったがゆえに、すでに現出しつつあった英語の普遍語としての特異性を見落としていたと批判する。「想像の共同体」があそこまでの影響力をもちえたのも、この本が英語で書かれたという事実に大いに負うところがあるが、英語で書く人間だけには、そういうことが見えてこない、というのである。
このあたりから著者の言葉は急激に切れ味を増し、宗教、科学、哲学、経済学、法学、文学などの世界で起きた史実を縦横無尽に参照しながら、あらゆる国のあらゆる人物を登場させながら、それらを可能たらしめた「言語」というパースペクティブを執拗に、それこそ完膚無きまでに徹底的にほじくり返しているのである。そして、ゴシップのための言葉、現地語としての「母国語」で学問や文学ができると信じられた時期こそが例外的な事象であって、長い人類の歴史を振り返れば、地球のほんの限られた地域で、ほんのわずかなあいだのことでしかなかったと喝破する。そして明治維新からの100年をかけて花ひらいていった日本文学という言語空間が、嗚呼、いまでは世界性から取り残された人たちのふきだまりとなりつつあるというのである。
こんな肝心のところで冒頭三章は終わってしまう。残り四章が含まれた全文は、アマゾンで購入して太平洋を渡って届くのを首を長くして待っているところである。久々に手応えのある、しかも皮肉なことに「日本語ネイティブの」文明論であった。思うに、本書は読者にそれなりの教養を要求する。タイトルのキャッチーさはともかく、内容の知的水準は一流だ。アマゾンですでに一位にランクされているようだが、この要旨が万人に理解可能だとはとても思えない。だから某所での「読むまでもない」だの「読む気がしない」だの、くだを巻いて読まない理由を見つけたい人には、そうしていただいて大いに結構である。しかし、もしあなたが本当に日本と日本語を愛し、この世界のゆく末がどうなるのかを知りたいと思っている、知的好奇心の旺盛な人であるならば、タイトルに騙されず一読して欲しい。その価値はあると申し上げておこう。
話がそれた。
ともかくそんなわけで、英語というハンデのあるこの世界から逃げたいと思いつつ、しかしそれが短期的には自分を楽にしてはくれても、長い目で見ればどうにも間違っていることのように思え、アイデンティティ・クライシスに悶々と悩まされていたところにこの出会いがあったわけである。今なおジタバタしている真っ最中ではあるが、その暗中模索にひとつ、光の差す方角を示してくれたのが本論であった。
アメリカに住むことで、より日本のことがわかるようになる、というのは逆説でもなんでもない。今まで当たり前であったことが当たり前でなくなることによって初めて、日本文化に通底していた暗黙の前提が浮き彫りになってくる。日本という国の不思議さと、アメリカという国の深さが同時に見えるようになってくる。肝心なのは、それが見えてしまうことで生じる、ある種の精神的な危機をどうやって乗り越えていくかという、現実的で具体的な問題のほうである。安易な日本批判に走るのも一つの逃げ道である。安易な米国批判に耽るのも同じことである。しかし、ここで両者のもつ価値観に対して等しく誠実であろうとすると、これはまったく容易ではない。どちら側も自分の味方につけることができない宙ぶらりんの状態になってしまうからだ。
いつも言っていることだが、渡米前に心配していたようなことはたいていが杞憂に終わり、渡米前に期待していたようなことはたいていが大きな勘違いで、渡米前には想像もしなかったようなことに悩まされたり喜びがあったり活路があったりする。そんなことばかりである。私は貧乏性の心配性なので、事前にあれこれ研究して万全を尽くしてから臨もうとするタイプの人間だったのだが、もうここまで外れてしまうと開き直るしかない。だから、これから渡米する人に私がアドバイスできることがあるとしたら、「心配しなくていいよ、どうせ心配してることは全部外れるから」ということぐらいだろう。
多くの人がうすうす感じているように、英語の世紀というのは、率直にいって、もう避けて通ることができない現実のように思われる。しかし、人生は短い。それがわかっていても、いま現在の安寧をもとめ、英語というハンデのある世界に背を向け、それなりに豊かな日本語の世界に逃げ込んだとしても、日本語が実際に凋落してしまう前に寿命を迎えて逃げ切れるのであれば、一世代の戦略としては正しい。しかしそれは、ますます今後も勢力を増すばかりの英語の世紀にあっては、子孫に負債を残すことにならないだろうか。念のためいっておくと、私はそのことに対して大上段な義憤を感じているとか、こうすべきだとか、そういうことを言いたいのでは決してない。しかし反対に、このような思いを共有し、あえて心地よい日本語の世界から一歩踏み出し、不自由な英語の世界に身を投じようとする人がいるのなら、少しでも応援したいと思い、その心細さを少しでも分かち合いたいと思い、このような文章でもものしてみようかと思ったまでのことである。
来年の3月21日にはJTPA シリコンバレー・カンファレンス 2009が行われる。これまでの至れり尽くせりな「シリコンバレー・ツアー」から趣向を変えて、今回から先着順のカンファレンス形式になった。私も当日は丸一日現地にいる予定だ。このような取り組みが、少しでも日本の人たちを明るく前向きにしていくための一助となるならば、望外の幸せというものである。
♪ Jermaine Jackson / Let's Get Serious
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