いよいよ世界は本格的な大恐慌の入り口に差し掛かった。
米国的レッセフェールが振幅の大きなバブル&バーストとセットであることは、あまりにも当然のことであり、問題はそれが起きるかどうかではなく、いつ起きるかだけであった。世の中にはそうした種類の課題が数多くあるが、そういうものに限って、えてして誰もが忘れた頃にやってくる。
オバマが大統領になり、グリーンマネーのニューディールをやり、市場の規制が進み、デモクラシーはオートクラシーとは言わないまでもアリストクラシーへとゆるやかに姿を変え、皮肉なことに世の中はさらにフラットになっていくだろう。昨日まで悪口を言っていたあの国にまた一歩近づくのである。
しかし、いつの時代も真実は中道にあるのだから、そう悪い話ばかりでもない。世の中は右へ振れたり左へ振れたり、あっちやこっちへ往復運動を繰り返すのである。そんな中にあっても、イノベーションと生産性の向上は地道に粛々と続けられていく。
人間とは、かくも一喜一憂する生き物である、と思う。いや、もっと正確な印象をいうと、一喜一憂したがるよう宿命づけられているようでさえある。「富」を求めているというよりも、「富を求める動機」を求めているようですらある。
朝起きて、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行っていた時代には、そうやって夕食の支度をしたり風呂を焚いたりしているうちにもう床につく時間になっていた。そうやって毎日が繰り返されていたのである。
しかし、いま先進国ではなにもかもが便利になり、生活の面倒なことを全自動で片付けてくれる便利な道具が増えた一方で、やることがなくなった人間の脳味噌だけが取り残された。そういうときにロクでもないことばかり考えてぐるぐる空回りする脳サイクルが、もっとエキサイティングなものを、もっと頭を忙しくしてくれるものを、どん欲に外の世界に求めていく。その余剰サイクルが内に向かうと心の病を生むのだから、そのことを非難することはできない。
そういうヒトの性質をおもうとき、何の解決にもならない、間違ったゴールに向かってせっせと忙しく仕事をしている人達のことを、笑えなくなる。不毛な勤勉は思考の怠惰と同義である、などとわかったようなことを言ってみたところで、その不毛な勤勉をマジメに一生懸命やっている人たちよりも、物事を考えてばかりの自分のほうが幸せな毎日を過ごせているかどうかはわからない。
そういうヒトの性質をおもうとき、つまらないことで大騒ぎしたり炎上したりしている人達のことを、笑えなくなる。問題は、常にくすぶっている脳サイクルの供給過剰なのであって、それを満足するだけの大きなネタがないときには、何かをでっちあげたいという願望が生まれるのは仕方がない。その意味で、マスコミは正しく需要を読んで仕事をしているのである。
そういうヒトの性質をおもうとき、環境問題について大まじめに正義を振りかざしている頭の弱い人達を、戦争を政争の具にしている狡猾な人達を、笑えなくなる。大きな物語を自分よりも外側に求める人間の性質は健在なのであり、それを利用する人間の罪もまた避けがたいものである。
いよいよ米国経済の化けの皮は剥がれたが、中国などの新興国の成長はやや本物で、それを利用して最後にもう一花咲かせようと動く懲りない人達がいる。米国への一極集中の時代は終わり、これから世界はゆるやかな多極化に向かうだろうが、それには思いのほか時間がかかるだろう。
世界中のシステムに張り巡らされた糸のもつれをほどくのは大変根気のいる作業である。その糸がほどける頃には、そもそも国家とは民族や土地や言語や通貨だったのかということが問われ、世界全体を一国に押し込めた模型のような存在であった若い人工多民族国家アメリカ合衆国が、民族の独立を認めず公用語を定めず多数の州を擁しドルを刷り続けてきたアメリカ合衆国が、いよいよ世界そのものに化けて発展的解消をする過程だったということになるのかも知れない。
これから失業率が上がり、いよいよ治安の悪い時代がやってくることになるだろう。幸か不幸かこういう大変革の時代に米国で暮らすということの意味を、しっかり考えながら生き抜いていきたい。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
gari on 2008/11/07
お返事ありがとうございます。江島さんの趣旨と考えはわかりました。
深刻な事態という事は多くの人が承知している事と思います。
ただ努力は無駄ではありません。天災である津波は誰が何をしようが津波自体を食い止める事は出来ないので、その被害を最小に食い止めるために努力のベクトルが向かうべきというのはわかります。なのでこの件を津波に例えるのは(個人的には)適切ではないと思いますが、仮に津波に例えるとするならば、この「津波」は人々の対応によって大きくもなれば、(たとえ、その範囲が限られているとしても)小さく押さえる事も出来るのです。「(個人の)努力でなんとかなる規模を超えている」といって努力を放棄してはいけないのではないでしょうか。「大恐慌」が始まるなんて信じる人を増やせば、増えない時よりもこの「津波」は必ず大きくなることでしょう。
災害に例えるならば、どちらかというと人災である火災に近いのではないでしょうか。人々の努力で、延焼をくいとめる事が出来るかもしれません。ビルのキッチンが焼けた時点では「ビルのキッチンで火災が起きました。消防署には連絡したので、皆さんは指示に従って避難してください。」と言うべきで、「大火事がはじまった。消すのは不可能な規模だから、皆逃げろ。」と言ってパニックを引き起こしてはいけないように、メディア側の人には言葉を選んで欲しいと思ったのです。(江島さんの記事がこのたとえほど酷いとは思いませんが、他に良い例が思いつかなかったので。)
「そう悪い話ばかりでもない。」と書かれている所から推察するに、江島さんが警鐘を鳴らしたいのは「深刻な景気の悪化」についてだと思います。歴史に見るような、世界での大恐慌を本当に信じているのだとしたら、「悪い話ばかりでもない。」などというような生易しい物ではないはずですから。
「大丈夫だからね」と言う方がいいというのではありません。適切な警鐘を鳴らしてほしいと思っただけです。
たったひとつの言葉について重箱の隅をつつくような指摘で申し訳ありません。他の言葉に関してはここまで指摘するような事はないのですが、江島さんと同様アメリカに滞在し、肌で景気を感じる立場から進言せずにはいられなかっただけです。気に障られたならお詫びします。
di_ca on 2008/11/04
gariさん
環境問題は科学的・工学的な正当性が疑わしくとも倫理的に扇動し(され)やすいため、冷静な検証を待たず政治的に利用されている側面がかなり大きいと認識しています。私は決して漸進的な個々の取り組みを否定しているのではありません。そうではなくて、そのことに等身大以上の、必要以上の「正義」を振りかざすことの愚かさと危険を憂えているのです。環境問題というのはとても複雑な問題で、どのような因果律が決定的要因であるのかという問いに対して、この地球上に決定的な答えを持っている人間はまだ一人もいないと理解しています。
dioさん
結局、その糸を思い切って断ち切れないのは、それをやってしまうとあらゆるステークホルダーのごく日常的な次元での安全がおびやかされるから、ということに尽きると思います。まだ市民はいま、血を流す革命よりも安定を求めている段階です。そういう意味ではまだ平和です。これが、もっと厳しい局面に突入すると、歴史の教科書でしか見たことのなかったような事変が身近なところで起きる可能性があると思っています(杞憂だと良いのですが)。そしてそれはここから2〜3年で米国経済が混乱から立ち直るかどうかに全てがかかっていると思います。残念ながら日本の経済はその従属変数でしかない。
中道については、たとえば米国議会における共和党と民主党のように、わかりやすい二項対立が形式的にはあるわけですが、それらは議論にわかりやすさとダイナミズムを与えるための舞台装置に過ぎません。というか、極右や極左が正しかったことが歴史上一度でもあったでしょうか。
di_caさん
私は「そんな事態」だと思っているのです。私のまわりにも、よく言えば楽観的なのですが、そういう認識がない人達が結構います。その人達に、私は今回の件は決して楽観していない、ということを少しでも真剣に伝えたかったのです。
今回の危機は「努力すれば何とかなる」とかいう規模をはるかに超えていると思っています。自分が「とんでもない津波がきている」と思っているときに、声の届く範囲の人に「津波がきているけど大丈夫だからね」なんて言い聞かせようとしていたとしたら、それはとんでもない不義理ではないでしょうか。私は自分の感じたままを素直に書いているだけで、それに同意するもしないも読者の自由ですが、思っていることと正反対のことを書くことはできません。
kenn on 2008/11/04
mugendai on 2008/11/03
>いよいよ世界は本格的な大恐慌の入り口に差し掛かった。
そんな大変なことにならないように皆、必死でがんばっているんじゃないですか。その言葉、「世界で景気が悪化する」というのとはレベルが違います。「恐慌」というのとさえ違います。
その言葉自体が負の力を持っています。そんな事態ではないし、そんな事態にならないよう皆がまじめに考えているんです。メディアがそんな言葉を使いはじめるようになったら、使わなかった場合に比べて事態が悪化するとは思いませんか。
>こういう大変革の時代に米国で暮らすということの意味を、しっかり考えながら生き抜いていきたい。
まったくその通りです。もっとしっかり考えてから発言してください。
内容を見ると、不安を煽り立てるのが目的ではないのはわかります。それだけに、言葉は慎重に選んでください。
同じく米国で暮らす者としてコメントせずにはいられませんでした。
di_ca on 2008/11/03
糸のもつれ,変革するならほどくのじゃなくて断ち切った方が良くないかな.営々とほどくふりをしているけど,でも本当はほどく気がないステークホルダーの味方は,考えることをやめた人々を含めれば絶対的だし.切ったら切ったでいろいろ大変ですけど.
ところで,中道についての根拠は経験的なものじゃないかな.例えば両極端であってもそれぞれが引き起こす結果を観測すると1)どちらの結果もたいてい(最終的には)芳しくない,2)それらの結果はなぜか類似点を持つ(場合もある),ということは経験する気がするけど.
dio on 2008/11/01
kNara on 2008/11/01
>環境問題について大まじめに正義を振りかざしている頭の弱い人達
先進国でああしようこうしようと頭を悩ませても、中国などの新興国の協力が得られなければ焼け石に水ですからね。
ナイアガラの滝の横で節水について熱く語ってるようなものです。
しかも、結局最後には「節水の為に新しい商品を買おう!(でもその商品を生産するのに大量の水がいる事は教えないよ)」ですからねえ。
>これから失業率が上がり、いよいよ治安の悪い時代がやってくることになるだろう。
>幸か不幸かこういう大変革の時代に米国で暮らすということの意味を、しっかり考えながら生き抜いていきたい。
色々大変かとは思いますが、どうぞお気をつけて。
korly on 2008/11/01
「環境問題について大まじめに正義を振りかざしている頭の弱い人達」という点について一つ教えてほしい。私は技術的側面から、環境問題に配慮する事は製品に安全システムを組み込む事と同じ事だと思っている。つまり、環境破壊によって安全が脅かされるという事であれば、それに配慮する事はむしろ当然であると考えている。そういう意味で言えば、環境問題に配慮しないことを頭の良い賢明な判断だと言っている様に聞こえる、あなたの意見は、私には想定できない判断であり、安全システムを組み込まない製品を賞賛している様に聞こえる。なぜそれが賢明であり、逆にそれを配慮する事が悪であり、愚かなのか教えてほしい。もしそれが分かれば、環境問題への対処が進まない理由を私は知る事が出来るので、教えてほしい。私は技術的にこの問題を解決する事が出来ると考えているし、人々が払う対価もそれほど多くないと見込んでいる。だから、なぜそれおが愚かなのか教えてほしい。
gari on 2008/11/01
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gariさん
---江島さんの意見---
環境問題は科学的・工学的な正当性が疑わしくとも倫理的に扇動し(され)やすいため、冷静な検証を待たず政治的に利用されている側面がかなり大きいと認識しています。
---gariの意見---
科学的・工学的正当性については、科学の歴史を見ると分かるのですが、ヨーロッパの中世の時代、ウィルスが広まったとき、当時の科学力では解明できませんでした。しかし、対処法は分かっていたのです。科学は万能ではないので、科学的に証明されない段階でも有効な方法を選んで行動する必要もあるのです。その時の判断の仕方は、理論ではなく、現実の状況を把握する事でした。つまり、因果関係のありそうなものをベースに暫定的に行動するのです。それを温暖化に当てはめるとアイスコアの分析による地球の大気の二酸化炭素の増加ペースと気温の上昇の連動性や北極海の氷の状況、数百年溶けなかった氷河や永久凍土が溶けているという現実。海面上昇など、複数の要因を総合的に考え、恐らく、これが原因だと考える。それでいいのです。科学は重力の存在は知っていますが、重力がなぜ発生するのかは分かっていません。しかし、重力の影響を計算に加え、実際の私達は、それを活用しているのです。医療でも同じです。殆どの病気は本当の原因は分かっていません。しかし、対処法が分かっているので、それで病気を治している。科学なんてモノはその程度のものに過ぎないのです。もし、江島さんの様に原因を解明してから...という発想で医療をやったら、病気は治せません。それと同じです。
---江島さんの意見---
私は決して漸進的な個々の取り組みを否定しているのではありません。そうではなくて、そのことに等身大以上の、必要以上の「正義」を振りかざすことの愚かさと危険を憂えているのです。環境問題というのはとても複雑な問題で、どのような因果律が決定的要因であるのかという問いに対して、この地球上に決定的な答えを持っている人間はまだ一人もいないと理解しています。
---gariの意見---
その結論を出すのには恐らく、あと数十年はかかるでしょう。証明するというのは、それだけ大変な時間が必要になるのです。しかし、状況の進行スピードが無視できない規模で進展しており、果たして、結論を待ってから行動するべきか、それとも前に進むべきかという難しい問題になるかと思います。