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iPhoneという奇跡

2008-07-13 15:42:35
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前回に引き続き、今年も友人&奥さん&犬連れでアップルストア総本山のパロアルト店に並んでゲットしました、iPhone 3G。

もうiPhone自体についてはあちこちで語り尽くされていますし、今さら私が何かを付け加えたところで、いつも言ってることの繰り返しになってしまうのですが、もう一度あらためて伝えたいことがあります。

iPhoneは、1980年代にパーソナルコンピュータが登場して以来の、約30年ぶりに登場したパラダイムセッターであり、コンピュータ業界、ソフトウェア業界、ウェブ業界、モバイル業界、果てはゲーム業界まで、あらゆる関連セクタの向かう先をたった一つのプロダクトで決定づけてしまったモンスターデバイスです。

おい、そりゃいくらなんでも言い過ぎだろう、と言いたくなる方が多いのはわかります。今のiPhone 3Gを使ってみて、まぁそれなりに綺麗だし使い心地もいいしデザインもいいけど、普通に使ってる分には別に取り立ててここがダントツにスゴイ!みたいなものはないし、そこまで言い切るほどのものか?そう感じるのが普通でしょう。

でも、たぶん、あなたと私とでは見ている部分が違うのです。

私は、現時点のiPhoneには、製品としてそれほどとんがった部分があるわけではないと思っています。フツウの人に使いやすくデザインされた、ひねたところのない、純粋に「使いやすさ」と「クオリティ感」で勝負している完成度の高いスマートフォンのようなもの、という理解をしたければしてもいい。たしかに、その方向性においてもiPhoneはずば抜けているのですから。しかし、それは30年に一度の奇跡と呼べるほどの本質ではないのです。「能ある鷹は爪を隠す」ということわざは、iPhoneにこそふさわしい。鷹は爪を隠していてもなお美しい。

ではiPhoneの本当のスゴさとは何か。それは、「ネットに常時接続されているモバイル端末はどうあるべきか?という長年の問いに、いきなり究極解を出してしまった」ということです。ここで、なぜiPhoneが究極解といえるのかについては、もう少し説明が必要でしょう。

まずはその準備として、ひとつ大きなクエスチョンに白黒つけておく必要があります。

「電話」の登場と「インターネット」の登場では、どちらが後世、たとえば100年後に大きな歴史的事件として記憶されるでしょうか?

おそらく、いや間違いなく、「インターネット」でしょう。

私は、たとえば100年後の未来では、みんなが使っているのは「モバイル・インターネット端末」であり、「音声通話」は数多あるアプリケーションのうちの一つでしかない、という逆転が間違いなく起きていると信じています。今は通信キャリアの存在感が大きすぎるのでにわかには想像できないかも知れませんが、物理的なネット回線の敷設は電気やガスと同じで、ますます公共性を帯びた地味なインフラになっていくという長期的なトレンドについては、さほど異論のないところでしょう。

マイクロソフトがWindowsでもたらした革命の本質は、ハードウェアとアプリケーションをアンバンドルしたことでした。富士通のマシンでしか動かないOASYS、日本電気のハードでしか動かない一太郎の時代から、WindowsというOSが媒介となって、日立のパソコンでも東芝のパソコンでも、一太郎だろうがWordだろうが何でも動くようになったのです。

ひるがえって、インターネットは、ハードウェア(電話回線)とアプリケーション(音声通話)をアンバンドルする起爆剤となった、と後世に伝えられることでしょう。そして、ハードウェアとアプリケーションが一体だった「電話」の時代は静かに忘れ去られていき、「インターネット」だけが生き残る。

だとするならば、その100年後の未来の世界では、おそらく「携帯電話」の登場よりも、「携帯インターネット端末」の登場こそが大きな歴史的事件として刻まれていることでしょう。

そしてほかでもないiPhoneは、まさにいま、「携帯インターネット端末」の代表たる歴史的地位を確立しつつあるのです。StarTACの栄光は人々の記憶から忘れ去られても、iPhoneは長く語り継がれていくことでしょう。

そして、Macとともに誕生しWindowsで完成したパーソナルコンピュータという概念が、とうとうiPhoneの登場によって携帯電話と合流してしまったのです。

パーソナルコンピュータにとっての携帯電話とは、典型的な「イノベーションのジレンマ」ですが、アップルは、この決して当事者には克服できないと予言されたジレンマを乗り越えてしまいました。メールやちょっとした調べ事など、ほとんどの日常的な用事が携帯端末だけで完結するようになり、ヘビーデューティーな限られた用途でしかパソコンが使われなくなっていくであろう未来を先取りし、自ら先手を打ったのです。技術経営的な観点からみても、お見事というほかありません。

つまり、iPhoneとは「パソコンの側からアプローチしたパソコンへのアンチテーゼ」なのです。この一見矛盾した言い回しを正しく理解してもらうためには、まず「パソコン」を「パソコン」たらしめているものが何であるか、という部分をきちんとおさらいしておく必要があります。

ところで、「iPhoneはアップル的なデザインの良さからくるマーケティング戦略の成功に過ぎない」と考えている人は、このあたりを根本的に勘違いしています。言っちゃ何ですけど、マーケティングごときにそんな歴史を動かすほどの力はありません。真に時代を動かすのは常に「本物の技術革新」であって、マーケティングはその影響力を何倍だかに増幅する手段に過ぎず、本当に良い物を作らなきゃゼロは何倍してもゼロなのは算数の初歩です。

では、iPhoneの進歩性とは何か。iPhoneには、パソコン同様、MacOS Xに相当する最新かつフルスタックのオペレーティングシステムが搭載されています。この意味するところは、単にモダンなカーネルが載っているとかそういうことではなくて、あらゆる高機能なネイティブ・アプリケーションがこのOSの上で安定的に記述可能になっているということです。これはアップル自身にもメリットとなったし、今ではアプリ開発者も同じメリットを享受しています。

iPhone OSでは、加速度センサーやカメラ、GPS、ローカルのデータベースなど、内部のありとあらゆる機構に一般のアプリケーション開発者がアクセスすることを許しています。開発者の自由度を高めることで、開発者の情熱を引き出す。こういうオープン性がもたらす開発者コミュニティにおける化学反応こそが、官僚的なスーツ主体の組織では絶対に不可能な戦略であり、だからこそ他社が簡単に真似できない決定的なアドバンテージになることを、アップルはMacの経験から知っていました。

そして、実はこれこそが「パソコン」を「パソコン」たらしめているパラダイムの本質なのです。「パソコンの側からアプローチしたパソコンへのアンチテーゼ」を克服する、パソコン的なるものの本質とは、アプリケーション開発者の自由度を高めるオープン性、あるいは「テクノロジーの民主化」とでもいうべき思想にあったのです。

開発者の自由度を高めることはセキュリティ・リスクを増大させてしまうというトレードオフに直結していることも、技術ドリブンの企業でなければオープン戦略をとることが不可能である大きな理由のひとつです。落としどころの技術的な判断がつかないまま、会議室で議論すればするほど、より自分たちが安全な、より開発者を締め付ける方向にしか行けないのです。

さらに、iPhoneは妥協のない最高のユーザ体験をもたらすために現実世界のハードウェアの制約を含むあらゆるディティールと戦っています。これは、対抗馬となるAndroidなどにみられる理論上・コンセプト上で美しいアーキテクチャを目指す世界観とは対極に位置する、ある意味では泥臭い「本当にきちんと動いてナンボ」のアプローチです。このリアリティは、先月行われたWWDC 2008のセッションで、いかにしてリソースを節約しながら高速に動作するネイティブ・アプリケーションを書くか、というノウハウのセッションがものすごく多かったことが如実に物語っています。テーブルのセルを画面の外に出た瞬間に回収して再利用したり、再描画するエリアを最小化したり、メモリリークをとことん排除するためのツールが提供されていたり。

これらはソフトウェアのアルゴリズムがどうとかそういう大上段な話ではなくて、ユーザが実機で使ったときに「ちょっとでもスクロールがもっさりしてはいけない」というような、学者肌で理論派の開発者が苦手とする、言葉での説明が難しく、たいてい安易に妥協されがちな「フィーリング」の部分です。私は、その非言語的な価値に徹底的にこだわるその姿勢に、アップルの真骨頂をみました。そして何よりも、こうした問題が場当たり的に解決されるのではなく、ベストプラクティスがソフトウェア的に蓄積されていくというのが、汎用のOSやライブラリを持っていることの真の意義なのです。

さらにこの先には、ウェブアプリの革新が控えています。App Storeで色々なアプリをダウンロードして試された皆さんも同様のことを思われたかも知れませんが、娯楽モノ以外の多くの実用系アプリは何らかの形でウェブ・サービスと連携しており、そのサービスのクライアントとして動作します。つまり、オフラインモードやローカルデータベースをサポートするHTML 5が現実のものになってくれば、あえて気合いを入れてObjective-Cでネイティブ・コードを書かなくても、Safari上で同じ動作をするクライアントが書けるようになる3-4年後の未来が読めたはずです。

たとえばアニメーションや3Dレイアウトなど、ダイナミックなものでもCSSで宣言的に書けることはなるべく(JavaScriptを使わずに)CSSで書くようにすれば、GPUによる高速化のメリットを享受できるようになっていたり、ウェブアプリ方面でもiPhoneの技術革新への仕込みは抜かりありません。というか、そちらの界隈もアップルがSafariでリードしており、もはや独走状態です。ここまで全方位的に革新的だと、もうぐうの音も出ません。

勘違いしている人も多いのですが、あらゆる革新的な製品は垂直統合モデルから誕生します。いかに最後は負ける運命であっても、OASYSが載った富士通や一太郎が載った日本電気のようなモデル、つまりハードウェアからアプリケーションまで一体化された斬新な体験によって、新技術に突破口が開けるのです。まだ世の中に存在しない斬新なものの価値を信じて何かを作り上げることは、多くの関係者が寄り集まらないと何もできない水平分業モデルでは不可能なことです。そして、多くのトライアンドエラーと死屍累々の中から生き残り、大きなマーケットを作り上げた本物の技術だけが、反復作業を繰り返す学習効果によって徐々にモジュール化されコンポーネント化されて水平分業へと移行していき、増大する市場スケールに対応できるようになっていくのです。この順番だけは、過去一度も狂ったことがありません。垂直統合で生まれたMacがなければWindowsは存在しなかったし、水平分業のWindowsが登場しなければパソコンというものの一般への普及はなかったでしょう。そのどちらかだけに重きを置くのは誤りですが、鶏と卵のどちらが先かといえば間違いなく卵です。

だから、ハードウェアからアプリケーションまでの全レイヤーの技術を全てインハウスでカバーする、垂直統合型企業のアップルでなければ、iPhoneという技術革新は生み出せなかったのです。ハードウェアにはハードウェアのリアリティがあり、アプリケーションにはアプリケーションのリアリティがある。ただの専門バカの寄せ集めでは、iPhoneのような完成度のものは、たとえ思いついても絶対に作れない。

この点に関して、ITの世界には面白い構図があります。ハードウェアのエンジニアとOSのエンジニアは互いに互いのことをちょっとバカにしており、「お前は××の最適化の難しさも知らないくせに」と思っています。OSのエンジニアとライブラリのエンジニアは互いに互いのことをちょっとバカにしており、「お前はこれを××にも移植できるように作ることの難しさを知らないくせに」と思っています。ライブラリのエンジニアとアプリケーションのエンジニアは互いに互いのことをちょっとバカにしており、「こんなくだらん役立たずを作りやがって」と思っています。アプリケーションのエンジニアとウェブサービスのエンジニアは。。。と以下、延々と続くのです。一言にエンジニアといっても、担当するレイヤーが変わればカルチャーも用語も何もかもが違い、むしろ仲が良くないのが普通です。これらの異文化な人々をぜんぶ垂直に束ねて新しいものを作ることがいかに難しいか、おわかりでしょうか。

私は、6歳になる頃にはもうプログラムを書いてゲームなんかを作っていましたし、製品開発プロジェクトのマネジメントも長年やってきたし、今では会社の経営もやっています。もうこの世界とはかれこれ25年以上の付き合いがありますから、少々のことでは驚きません。何か新製品が出てきても、その開発プロセスがどういうものだったか、実際にモノを見ればたいてい想像がつきます。

しかし、これだけの圧倒的な複雑さと規模をもつiPhoneという製品が、いきなり最初からこれだけの完成度で、しかもアップルにとって全く先行的な経験もない状態で誕生したことは、技術経営の難しさをそれなりに知る私から見るともはや奇跡としか思えません。発売後すでに一年が経過した今でも、その思いは変わりません。

そして何よりも、iPhoneが今まさに行おうとしている革命は、かつてアップルがIBMに対して行ったのと構図も規模もそっくりな「テクノロジーの民主化」の革命なのです。

私たちはいま、「パーソナルコンピュータの誕生」に匹敵する歴史的瞬間を目撃しているのです。そのことに気付いていますか?iPhoneの本質は、セクシーなルックスにあるのではありません。その奥の深い中身と、未来に開かれた歴史的意義にこそ、その本質は潜んでいるのです。

さぁ、みなさんもつべこべいわずiPhoneを手に入れましょう。あなたが技術の世界で今後もずっとやっていくつもりなら、歴史の目撃者となる千載一遇のチャンスを見逃したことを、今後数十年にわたって後悔するのはイヤでしょう?

私はかつて、パソコンの黎明期に若すぎたことを悔しく思っていました。ただの小学生では、ソフトウェアを書くことはできても現実世界に影響を与えるほどのことは何もできず、華やかな世界を指をくわえて見ているほかなかったからです。

しかし、今この時代になって、iPhoneの誕生という歴史的なイベントを目撃できていることを、天に感謝しているのです。ようやくツキが巡ってきたぞ、と。

♪ Finis Henderson / Skip To My Lou

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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