現在発売中の新潮6月号に、梅田望夫×平野啓一郎というビッグ2の対談が掲載されています。
この中で、二人の共通の友人ということで、ぼくの名前が言及されているからと、親切にも新潮社からはるばるアメリカまで見本誌を手配していただきました(謝々)。それが届いたので早速読んだわけですが。
梅田さんご自身の評はこちら。
My Life Between Silicon Valley and Japan : 「新潮」6月号: 平野啓一郎氏との対談
読んでみてひしひしと感じたのは、平野も、文壇という、恐らく現世に存在するあらゆるギョーカイのなかでも最もクラシックなエスタブリッシュメント社会で孤独な戦いを続けてるんだなー、ということ。
また、史上最年少で芥川賞をとった1998年当時、時を同じくしてローンチした2ちゃんねるで匿名の名無しさんにあることないこと好き放題書かれたという、それはそれはトラウマティックな体験が、現在の彼のネットに対する悲観的なというか陰の部分をことさら強調してしまう志向性に結びついているんだなぁと。
でも、ネットはもはや「社会の相似形」ではなくて「社会そのもの」なのだから、個別事象をそれぞれ局所的にみれば、現実社会から陰湿なリンチやら青姦やらホロコーストやらIdentity Theftがなくならないのと同じ程度には陰の部分があって当たり前で、ネットがどうとかいう以前に、この住みにくい世界とどう向き合って日々をかろうじて生き延びていきますかという、物心ついた小学生の頃ぐらいからみんながずっと直面しているはずの苦悩と地続きというかそのまんま同じ問題系なわけで、そのどこに光を当てて照らしてみるかというのは書き手に委ねられているわけです。どこぞの週刊誌みたいに常に悲観的なFUDゴシップ切り口で書いてた方がコンスタントに衆目を集められるだろうけれど、そういう非生産的なスタンスでは誰も救えないというか、真摯かつ建設的で繊細な、かつての偉大なブンガクがそうであったような、世の中を力強く方向付けていくようなActionにはならないよ、無力感と絶望感のはざまでニヒリズムに堕していくよ、と思うわけです。
Actionといえば、この対談の中でも「公私の領域の区別がなくなる」というコンテキストで平野が触れているハンナ・アレント、あるいはミーハー的にはハイデガーにむさぼられた女性と形容した方がピンとくる人も多いかも知れませんが(笑)、彼女が分析したところの古代ギリシアでは、「はたらく」ということには3つの層があって、奴隷が命令され指示された仕事を嫌々ながら行う「Labor」と、中流階級の市民が自分のやりたいことを自発的に追求するという「Work」と、そして支配階級を支配階級たらしめる、偉大なコトバによって人の心を動かし、人を動かす「Action」の3つがあったわけです。(オープンソースなハッカーよ自信を持て。あなたたちは近代的な会社組織、それどころか貨幣経済というドグマができあがるよりもはるか昔の古代ギリシアの時代から「主流」だった。)
世の中には、Workしているつもりが知らず知らずのうちにLaborに絡め取られている人のいかに多いことか。。。おっとっと、これは余談だ。
かつてブンガクというものは、世の中とはこうだ、という認識枠をストレートに記述し、Actionしていく使命を自ら任じていたじゃないの。それが、人々がブンガクという記述様式への依存を薄め、映画なり、ゲームなり、ブログなり、あらゆる情報技術によって生み出される共同体創造装置、それをフィクションと呼びたければ呼ぶがいいけれど、ともあれそういうものを生み出す一次ソースとしての地位をブンガクが失いつつあることに対する危惧があるんだろう。そして、その危惧は間違いなく現実であるとも思う。だがしかし、だからといって「どうせブンガクなんて。。。」と自嘲的・諧謔的なポジションをとってマスターベーションしても何も生まれないよ。少なくとも子供は産まれない(笑)。そんな生存能力の低いgeneだかmemeだかはこの荒漠とした言説空間をサバイブできっこない。
ぼくが梅田さんのメッセージからいつもグッとくるものを感じるのは、それが世の中が「こう、だよねー」というAs-Isを記述してぬるい共感を求めるのではなくて、「こうでなくてはならない」というTo-Beを執拗に記述することにつとめている、すなわちActionだからだ。「かたち」ではなくて「ちから」、「現在」ではなくて「現在の一階微分」を記述しているからだ。それがいかにグローバリズム迎合的で目的論的に過ぎていようとも、goodとかevilとかいうコトバを不用意に使うナイーブなユートピア思想に感ぜられようとも、知を競う空しいコトバ遊びと嗤いの無限連鎖よりは、ぼくはこちらを選び取る。グーグルにしたって、全体主義イデオロギーがかつて冒した合理性への過信と五十歩百歩というか、「Meet the new boss. Same as the old boss.」のリフレインかも知れない、というか間違いなくそうだ、なんてことは百も承知だけどさ。
こういう割り切った受容の仕方ができるかどうかという点について、ぼくはいわゆる知識層と呼ばれる人々をあまり信じていない。なぜなら、世の中は無知で無謀な冒険と革命によってしか代謝したことがないからだ。知識は常に理論武装イコール自己防衛へと向かう。無知こそが外野を開拓してゆくチカラだ。コトバで大切なのは知識ではない。知識なんてものは過去への解釈学だ。そうじゃなくて、大切なのはチカラだ。チカラは未来だ。まだコトバにできそうでできない手探りの闇の部分に神だか悪魔だかはひっそり隠れている。
だいたいそもそも、みんな、世の中の発明だとかイノベーションだとか、鼻クソほじりながらボーッとテレビを見ながら偉そうな論評垂れてるうちに勝手に誰かがどっかで成し遂げてくれて、そのうち手元に舞い込んでくるものだとでも思ってないか。それをやっているのが自分でないということに危機感を感じないのか。無謀な冒険に出ていって満身創痍になりながら成長してゆく勇気を持った人たち「だけ」が、エキサイティングな未来というものを白紙のキャンバスの上に描き上げていくのだという当たり前のことに思い至らないのか。
。。。なんて、ちょっと熱くなってしまいました。
まぁ、さはさりながら、平野のいう「(現実の世界とネットの世界とで)分裂してしまった自我」が「顔というものの同一性によってどうしてもつなぎ止められてしまう」という目の付け所も、自分の中の「知」に反応する成分が激しく食指を動かしているので、ぜひ新作の「顔のない裸体たち」も読まねば。
まぁ兎にも角にも、新潮のような文壇誌にさえ、ここまで精緻なネット論議が特集されているというその一点をとっても、確実に日本の言説空間におけるネット認知のボトムラインが上がったと感じられたわけで、今回の対談はタイムリーで「Great job indeed!」です。
ぜひ平野には、ネットやテクノロジーの「手触り」みたいな言語化しにくい部分にどっぷり浸かってもらって、今後もその独走的なポジションで、コトバにできそうでできない手探りの闇の部分に潜んでいるかもしれない神だか悪魔だかの存在をあばくような作品を書き続けて欲しいなぁ、と期待しています。というか、ぼくが読みたい。(笑)
あ、そうそう、この対談、来月も続くそうですよ。
さて、そろそろ夜も白んできたし、Let's get back to work. といきますか。
♪ Def Leppard / Action
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
best search.us 琿琺 驟襃 on 2007/10/29
hinter on 2007/10/24
> cbzさん
知識って「思い」を曇らせるサイドエフェクトがかなりあるなぁというのは、自分の失敗から学んだことです。。。未来の自分へ向けて、自戒を込めて。
> hirano keiichiro
ちょww いよいよじきじきに降臨ですかww
メインの方でフォローします。
kenn on 2006/05/12
どうも、感想ありがとう。
メールでも書こうかと思ったけど、せっかくなんで、ここにコメントを書くことにしました。
梅田さんとの対談は、ご覧の通りで、個人的には非常に有意義でした。
僕は必ずしも、必要以上にネット社会をネガティヴに捉えているわけじゃないけど、対談だから、まぁ、ある程度、争点を鮮明にした方がいいからね。取り分け、ネットの明るい未来については、梅田さんがかなり強い態度で肯定的に語っているので、僕としては、どっちかというと、問題点を強調する立場に終始しました。
よく分かってるとは思うけど、なんと言っても僕は作家なので、やっぱりどうしても、「有益」性という観点から一元的に物事を見られないんです。梅田さんの分類で言うと、ネット社会の三層ほどに分かれるであろう言説の階層の最下層というのは、「有益」性という意味では、無視されてしかるべきものとして、つまり「ないもの」として処理されるわけだし、「無益」どころかしばしば「有害」なわけだから、抑圧されるべきものなんだろうけど、僕はその三層は別々の人間たちがそれぞれに担っているわけじゃなくて、どんな人間の中にも内在している階層なんだと思う。そのどの部分で人とコミュニケイトしているか、したいと思うか、出来るか、ということなんじゃないかな。
社会の変容に対して反動的な、保守的な立場からものを言うことはイージーだし、その手の本はバカウケしてるけど、僕は嫌悪しています。だけど、ある人たちが、端から見れば「無益」であり、「有害」であるとしか思えないような言葉を通じてしか、人とコミュニケイトできないところに落ち込んでいるという状況に対しては、たとえ彼らの言葉が、時にどんなに僕個人に対して敵対的であったとしても、やっぱり捨て置けないという気持ちがやっぱりあります。これはキレイ事じゃなくてね。
江島もそうだけど、僕はオウム事件があったときに、京大にもかなりの信者がいたという事実に結構ショックを受けて、その時にも同じようなことを考えました。つまり、自分とは関係のない連中のことだと無視するか、自分の問題として引き受けるか。で、僕かは必ずしも義務感からというわけではなく(なにせ、「日蝕」みたいな小説を書いてたんだから)、その問題を同世代の人間として、自分のこととして真面目に考えたいと思いました。
ネットの世界の概観に関しては、僕も梅田さんも、大して見えている風景は違わないと思う。江島が、社会の鏡像をそこに見ているのも、ある程度、正しいと思う。「最後の変身」では、ネットも結局、社会だからこそ、主人公は失敗することになるわけだから。だから、あとはまぁ、その見えている世界に対するアプローチと役割の違いだけじゃないかなと対談をしていてつくづく思いました。僕は別に、社会の「進化」(しかし、「勝ち組」、「負け組」という例のお粗末な社会ダーウィニズム的な発想と同様、この19世紀的な言葉の今日における生々しい強度は一体何なんだろう?)の足を引っ張ろうとしているわけでもなんでもないし、シニカルに言えば、そんなことが出来るとも思っていない。だけどどう考えても、その単純なイデオロギーが、社会の複雑さをあまねくカヴァー出来るわけないんだし、要するに視点を複数化したいというそれだけのことなんです。
梅田さんが、もともと「ウェブ進化論」を書いて、人々がそれに快哉を叫んだのは、日本のネットに関するジャーナリスティックなジメッとした言説空間に、別の新しい光が差し込んだと感じたからだと思うけど、それで今度は、そっちの方に一気に針が振れるのであれば、同じ間違いだと思う。今回の対談で示した通り、身も蓋もない言い方だけど、ネットの世界にはどっちの現実もあるし、もっと別の見方もあるでしょう。その複数の観点に常に跨っていることはスッキリしないことだけど、それ以外にはないと思う。その「複数性」というのが、ここ数年の僕の創作の根幹だけど、「何がしたいか分からない」という一言で片づけられることも多くて、まぁ、なかなか難しいもんです。だけど、この作家は何時もこういう作品を書いていて、だからこういう人間なんだという、そういう怠惰で、粗雑な人間理解の枠組みに自分を落とし込んで、何が読書の楽しみなんだろうと僕は思う。そこには厳密な意味で他者は存在しなくて、単に自己の鏡像があるだけじゃないのかなと思います。
江島が「ネットは社会」だというのは、よく分かるけど、でも、厳密に言えば「近似だ」くらいでしょう?ボディ・コンタクトがないこと一つとっても、大きな違いなんだから。その差異にフォーカスするかどうかだけど、しかし、どんな時だって、差異にフォーカスしなければ、両者の正確な姿はつかめないし、何が今、新しく起こりつつあるのか、分からないんじゃないかな。
僕はネットが主体を二分しつつあるというモデルに固執しているけれど、これは僕自身の今の世界観じゃなくて、そうした一種の思想的な退行が社会に見られることへの危惧の表明なんです。「見かけ」と「本質」というのは、ソクラテス派以来の問題設定だけど、二十世紀の形而上学批判を経て、僕らの時代には、もう「本質」という言葉は不可能だ、というところまで来ていたはずでしょう? ところが社会では、恐ろしいほどに、今、「本当の」という言葉が氾濫している。「本当の自分」、「本当の幸福」、「本当の社会」…。僕は、これがどうしても気になるんです。
僕が文学に興味を持つようになったのは、三島や初期のトーマス・マンあたりからだけど、それは、彼らの描く内面と外面、芸術家(犯罪者)と市民社会、というまさしく二元論的な図式が、当時の僕には非常に切実に感じられたからです。
江島は、僕のことを個人的に知っているから、何となく想像できると思うけど、僕は必ずしも社交的ではないけど、割とそつなく人と交われる方で、それは十代からあんまり変わってないんです。だけど、中学、高校時代と、僕はずっと、今の言葉で言えば、敏感に「場の空気を読んで」、うまく人とコミュニケイト出来る一方で、自分の中には、そんなスムーズな対人関係には収まりきれない、いろんなろくでもない考えや、役にも立たない思いが満ちあふれていると常に感じていました。社会的に有用である、ということに、どうしても自分のアイデンティティを全的に賭することが出来なかった。そのろくでもないようなものの一抱えすべてが自分だと感じていたし、それをやっぱり表現したかった。それがまぁ、作家になった一番の動機です。
それで、僕は今、小説を書いていて、本当によかったと思う。僕は、親類や友人を含め、小説を通じて、初めて自分という人間を、十分に理解されつつある気がします。注意深くあえて書けば、それは「本当の自分」なんかじゃなくて、要するに、自分という一個の人間の複雑な組成、「複数性」を理解されつつあるという感動です。それで僕のことをもっと好きになる人もいれば、嫌いになる人もいるだろうけど、それは納得のいく好き嫌いで、自分の様々な面を抑圧しながら人に好かれるよりはずっといいと思う。僕はやっぱり、意識の有無に拘わらず、「普通の人」として社会的な人間関係に自分を結びつけるために、その多くの部分を日常のコミュニケイションから削ぎ落としていたと思う。今はその部分の存在を、僕も相手も、一種の前提としてコミュニケイト出来ています。
だからこそ、僕は今、ブログの匿名性を、一種の「自己嫌悪的な」執拗さで批判しているんです。そうして自分を、社会的な自己と、ネット上の自己とに分けて、しかも、後者をこそ、誰にも気兼ねなく、今日会った人の陰口だのなんだのを好きなように言える「本当の自分」だと考えるような生き方は、結果、日常の社会生活をますます希薄化させてゆき、他者からの理解を遠ざけてしまうんだと。
僕は、梅田さんが「有益な」ブログに注目するのと同じ程度の強い関心で、個人の身辺雑記的な「無益な」ブログに注目しています。それは、それらの言葉が、社会生活から排除されて、行き場を失った言葉の堆積場所だからです。それは、僕も含めた誰もが抱え込んでいるものでしょう。だったら、そういうブロガーの生き方を云々するんじゃなくて、それを強いる社会自体を批判すべきだと人は言うだろうし、最終的にはそういうことになるんだけど、しかし、漠然と社会を批判して、そこに巻き込まれている個人に非はないという語り方は、社会を絶対に変えないんだな、残念ながら。やっぱり、個人の生き方を問題にして、「だけど、それは社会がこうだからじゃないか!」と怒ってもらわないと、人は真剣に考えないものだと思う。だから、「登場人物」なる不思議なエレメントからなる、小説なんていうエクリチュールのジャンルがあるんだと思います。
そういう意味では、僕はもっと、梅田さんも言ってたみたいに、mixiとか、自分の周囲の友人知人にはブログの存在をdiscloseしている人たちについては、肯定的に語るべきだったと思います。彼らは、より深い人間関係を獲得していくんじゃないかな。僕にとってのネット社会の明るさは、そっちの方に開けている気がします。だけどそれは、厳密に言うと、匿名じゃないからね。僕が散々言っているように、それは主体が、日常の社会と連続してるんです。僕が問題にしているのは、あくまで、そこを切断しようとする傾向です。
なんか、長くなってしまいました。
僕は何時も、不特定多数の人に向けて語ろうとする分、どうしても議論の力点が分散しがちだから、あえてまるで、私信のように書いてみました。
まぁ、そのうち、飲みにでも行きましょう。
「新潮」の次回もお楽しみに!
「顔のない裸体たち」も、enjoyしてくださいな(笑)
平野啓一郎
hirano keiichiro on 2006/05/11
毎回楽しませて貰っています。
前前回、「(実務を)諦めた人がマネージャー」というくだりに、納得する部分もあり、「たまたまそういう無駄マネージャが沢山いるだけで、マネージャの本質は技術者を生かす存在なんじゃないか?」と反発したり、色々考えていました。
今回、「知識は常に理論武装イコール自己防衛へと向かう。」の一文に頭を揺すられて、少し考えがまとまってきました。
知識は間違いなく武器ではあると思いますが、武器の切っ先を向ける先を間違ってしまうことがいかに多いか。部下に向けることでふんぞり返っているマネージャも、上司に(ときにはこっそり)向けることで粋がっている技術者も。
知識(武器)を得る方法より、使う方法の方が難しいというのは、当たり前に見えて案外(余裕が無くなってくると)気付きにくい事なのかもしれませんね。
cbz on 2006/05/10
ブログにコメントするにはCNET_IDにログインしてください。
この記事に対するTrackBackのURL:
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
コンテンツ学会 〜コンテンツ概念の功罪と未来
iPhonista Nightの事後報告
AMD、資金調達のために製造部門をスピンオフ
solrのDistributed Search
日経平均株価の落ち着く先は…
人々は自らの行為に恐怖した
先が見えない景気低迷の今こそ業務のシステム化への検討を
オトナになるということ
福祉国家の失敗〜40年前の「断絶の時代」を読む(3)みんなのお題では、ブロガー同士で質問を出し合いそれに対する回答や意見を集めています。今日はどんな話題が盛り上がっているでしょう?
エンタメCGM「gooメーカー☆メーカー」CNET Japan ブログネットワークは、元はCNET Japanの一読者であった読者ブロガーと、編集部の依頼により執筆されているアルファブロガーたちが、ブログを通じてオンタイムに批評や意見を発信する場である「オピニオンプレイス」、また、オピニオンを交換するブロガーたちが集うソサエティです。
広い視野と鋭い目を持ったブロガーたちが、今日のIT業界や製品に対するビジョンや見解について日々熱く語っています。
CNET Japanやその他サイトが提供するITニュースやコンテンツへの意見や分析、 ビジネスやテクノロジーに対するビジョンや見解について語っていただける方を 募集しています。ご応募はこちらから
ブログの投稿はこちらから(※ブロガー専用)
今年最も活躍したブロガーを表彰します。詳細はこちらから
これは、CNET Japan 編集部の依頼に基づいて執筆されているCNET Japan アルファブロガーによるブログの印です。
CNET Japan ブログネットワーク内で拍手の代わりに使用する機能です。ブログを読んで、感激した・役に立ったなど、うれしいと思ったときにクリックしてください。多くGood!を獲得した記事は、より多くの人に読まれるように表示されます。
今週の新製品総チェック:新PS3が登場!ニコンが発表した映像製品「UP」とは?
[レビュー]2011年画質を備えた高画質、多機能Blu-ray--ソニー「BDZ-X95」
今週の新製品総チェック:よりモバイルPCとして進化した「Let's note」が登場
今週の新製品総チェック:フルサイズCMOS搭載のキヤノン「EOS 5D Mark II」が登場
今週の新製品総チェック:第4世代iPod nano登場、ソニー「α」、松下「LUMIX」に新機種も
best search.us <a href= http://himer.info/russia-porno >琿琺 驟襃</a><br>